浅草北の田圃の真中に突如、出現した「新吉原」の郭内は東西、百八十間・南北百三十五間
四角で総坪数は二万七百六十坪で周囲を幅二間(当初、五間)の
鉄漿溝(おはぐろどぶ)で巡らされている
くの字に曲がった五十間を歩くと大門が見える 現在の大門(おおもん) この先が仲之町
新吉原 春曙之図「江戸名所之内」 妓楼の内部ジオラマ
紅殻(べんがら)を塗った太い格子で通りと接する
京都太秦映画村に再現された吉原遊郭 大門より 再現された吉原遊郭 内側
(京都訪問時に大門を潜ると紅殻を塗った朱色が鮮やかに眼に飛びこんできました・・・)
ここに「遊女三千」と妓楼の人々他、日常生活の必需雑貨・食品を扱う商店と職人・医師・芸人
銭湯など一万近くの人口を有する町が形成され「一日千両」の繁栄をもたらし
江戸町民人文化が花開く舞台になったと言われています
衣紋坂下の日本堤からくの字に折れた五十間を抜けて大門(おおもん)へ・・・そこから
南北の方角にメイン通り「仲之町」がある
この中之町に対して直角に「六つの町」が配置され出入れ口は「大門一カ所」で
幅五間(約九メートル)の掘は、お歯漿(おはぐろ)に用いる鉄漿のように黒々と泥が溜まった
ことから「お歯黒どぶ」と名を呼び・・遊女にとっては非情の街でもある
四角の辺りに差しかかると階段や緩やかな坂で急に低くなり人工の造成でつくられ
平坦でないことが想像できる・・今でも石垣がほんの僅か・・遊郭の名残をとどめている
中心地をブラ~リ・・ブラ~リ歩くと黒服のお兄さん?さんがソープ店頭陰から手揉みしながら
・・・まだ夕暮れ時に早い時(時間)でも・・「・お客さん・・お兄さん・・」と客引き声を掛けてくる
ソープランドになった街の通り沿いに・・・
ぽつりぼつり並ぶ柳の連縁に過ぎし歴史を幾重にも想い・・・興味が尽きない
過ぎし時間(とき)を振り返るばかりの色里でした
現在も江戸「角海老楼」の名が使われる「角えび」本店 石段の右側下の黒ずんだ石垣は
中級ソープランド店 江戸期のお歯黒溝の石垣でしょうか?
江戸町通り郭内を見る 江戸町一丁目 京町通りの郭内を見る 京町一丁目
低い 手前側が「お歯黒どぶ」があったのでしょうか?通りの四角んは高低差が見られます・・
吉原観音像 右は地蔵菩薩像 吉原神社
花吉原名残碑(はなよしわらなごりひ) 遊女の実像
(1850年前後、弘化二年から嘉永二年に7,144人の
吉原郭外近くにある 樋口一葉が住んだ旧竜泉寺町
樋口一葉の旧居跡