流出映像の犯人探しが始まった。


法治国家として、流出という罪を犯した者を見過ごすことは出来ないだろう。


しかし、動機と目的を考えた時2つの観点が思いつく。


流出させた者は、


その行為自体が罪に成るという事は重々承知の上での行いではないだろうか。


しかし、


何故、罪を負ってまで流出するに至ったのか。


理不尽と不信感の渦巻く現状に対する、憂いと大義の為であろうと私は思う。


自分の身を危険に晒して覚悟して、


日本の国益と国体を守り、


日本人のアイデンティティーを取り戻そうとされたのではなかろうか。


実際に、あの映像を見ることによって、世界も我々も想像するしか出来なかった真実を知ることが出来た。


そもそも、何故、自己犠牲の動機を持たざるを得ない環境になったのか。


きっかけは、“先生”と呼ばれる議員の方々にもあるのではないだろうか。


“先に生きる者”として、


率先して犠牲的精神で、


国を想い、国民を導くべき者が、


保身に走り、迷い、なびいているように見える。


国民の代表たる国会議員は、国民と国益と国を守るという情熱と責任を持って然るべきだ。


しかし、現状は責任を取る姿は見えず、国民に不安と不信を与えている。


国益と、この国の未来を考えて決断しているのか、他のことを中心に考えて決断しているのか?


動機がずれているように感じる。


我々には危機感が募るばかりだ。


そして、自分達の責任は隠したまま、論点をすり替え犯人探しである。


それにしても、大義、道義、信義は何処に行ったのか。


こう思うのは私だけであろうか?


この国の未来を憂いている、今日この頃である。


合掌、
藤岡弘、


サムライ着ボイス第2弾!!「若者達へ編」


藤岡弘、オフィシャルサイト

侍語録@Twitter