本日は八月十五日 戦争を美化などという人たちに物申す |    敷島のうた

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しきしまのやまと心を人とはば、朝日ににほふ山ざくらばな

自虐史観から抜け出そう。
誇りを持とう。
愛国の心を持とう。
国を守ろう。

本日、終戦の日。敗戦の日である。

本日は私は靖国にて昇殿参拝を行う、、、はずだったが、仕事の影響にて残念ながら断念した。

私は自営業だ。本来、自由に行動できるはずだが、しかし、自由でないこともある。
例えば休みの日。
一般的に、休みの日は仕事しないということなんだが、自由業では休みでも仕事になる。

まあ、言い訳になるので、この辺にしておきます。

さて、本日八月十五日は何が何でも靖国にお参りしたかった。
昇殿参拝を友人と共に、と思っていたが叶わなかった。

さて、終戦のこの日。
戦争を美化する、という人たちがいる。
彼らは言う。先の大戦は植民地支配とか、世界侵略の戦争だったと。

おっと。その価値観は戦後の日本を蝕んでいる。

戦前の日本を考えてみましょう。

日本は侵略国家だったのか。
田母神さんの論文をぜひ見てください。
http://www.toshio-tamogami.jp/thesis/

戦争の美化という人たちに問いたい。

日本という国を愛し、そして守る、という精神も戦争の美化なのか?

左巻きの人たちは 大東亜戦争にてお亡くなりになった人たちも否定する。
彼らはいう

「日本国は周辺諸国を侵略した。戦争に巻き込んだ。戦前の日本軍はひどいことをした」と。

ならば、私は問う。

義勇の精神について、どう思うのか。

日本国が大東亜戦争にて侵略的行為をおこなったと、私は思っていないがそう思う人たちは、それを侵略と言う。

韓国については、合邦(ごうほう)であり(国際的な条約)、大東亜戦争後に日本の戦犯がどうのこうのと問われれば、あえて言いうが私は韓国も同罪であると思う。
※合法当時の韓国では特攻に志願する人も多かったようだが、実際には特攻に行った人たちは日本人も韓国人もいたが、その多くは日本人だった。

韓国は日韓併合条約にて合法的に一つの国家でした。
戦後に、日本の責任等々問うならば、韓国も日本の一部であったのだから同等の責任を負うべきだと思うが。(私はそれを問う気持ちはないが)



国を守る。郷土を守る。そして、家族のために。
それを義勇の精神という。

義勇の精神は尊いと私は思う。


戦争とは 国家存亡のとき、それを守ろうとする義勇の精神が発揮されるばであろう。

過去に、日本が侵略をしようと戦争を行った記録があるのか?

記録を読めば、日本国は常にせめられていたと歴史は語る。


古くは元寇。これは高麗と元の連語軍が日本を侵略しようとした歴史の証拠である。


戦争を美化、というところの避難する考えは愚かだと思う。


戦争を美化なのか。
私は戦争は美しいとは思ったことはない。ただ、美化というならば、戦前、戦中の義勇の精神を美化してなにが悪いのか、と左巻き諸氏に問いたい。

国を憂い、身を賭する覚悟のどこが「戦争を美化」なのか。


私は日本を守ろうと思い、そして行動したところの義勇の精神こそ美しいと思う。
それを美化という人たちは愚かである。

私は、先の大戦は日本が追い詰められて戦争に至ったと解釈する。

故に、大東亜戦争は 侵略戦争ではなかっただ。

義勇の精神にて先人たちは日本国を必死に守ろうとした。

私は、その精神を美しいと思う。文句ある?

私は戦争を美化、しておりません。

戦争を美化じゃない。

国を守ろう。家族のため、、郷土のため、国家のために、、という精神が美しいのです。