10-FEET

「RIVER」

ロッキンオンジャパン2015のオオトリ「10-FEET」。

僕は40代も終盤になってHI-STANDARDにドはまりし

AIRJAMをリアルに体験してないことを心の底から悔やんで

DVDを全て揃え、ジョギングしながら「STAY GOLD」をヘビローして涙し、

横展開でHUSKING BEEにいって、そうしてやっーと10FEETを聴き始めた。


私は47歳になっていた...(笑)


彼らがめちゃくちゃ人気があることは知っていた。

でも聴いているのはガキばかりで、このブログでも前に書いたけど、

海外パンクのパクリ野郎ぐらいに当時は思っていたので

あまり近づかないようにしていた。


10-FEETを語るなら、まずその兄貴分である

伝説の3ピースバンド、ハイスタについて語らねばなるまい。

音楽フリークを自負する私でありながらお恥ずかしい話、

ハイスタは青春時代、全く通過しなかったバンドだった。

昨年、WOWOWの横山健のドキュメンタリーで運命の出会い(?)を果たす。

それまではクレイジーケンバンドの横山剣と間違えていたほどである。

健さんが東日本大震災の支援に立ち上がり、

伝説のフェス「AIRJAM」を10年ぶりに復活させた映像が流れ、

そのライブを観て僕は完全にやられてしまった。


なんだろう?

この圧倒的な時代感...



既に解散してしまったバンドの復活劇だからなのか?

でもそれを明らかに凌駕する圧倒的な存在、それがこの3ピースバンドにはあった。

人生で熱狂できる出来事が10回あるとする。

その1回にハイスタを挙げる人は多いと思う。

そんな熱狂を未体験のまま、僕は歳を取ってしまった浦島太郎だった。

ワールドカップサッカーを全試合見損ねてしまったような気持ち。


これ、体験しなくていいやつだっけ???


焦った。

会場はさながら、ジョンとジョージが生きていて、

ビートルズが再結成されたらこんなことになっただろうなぁ?

という妄想を掻き立てる異様な雰囲気に包まれていた。


AIRJAM2012での「ブラフマン」TOSH-LOWの伝説のMCをご存知だろうか?

ブラフマンの人気もすごいけど、りょうの旦那のMCはマジで心を打つ。

前後の経緯がなーんもわからん人でもとにかく見て欲しい。

その辺の政治家こそ、このMCを本当にちゃんと見て欲しい。

勝手に時代の証人になった気にさせてくれる。


百聞は一見にしかず↓





日本の音楽シーンの中でハイスタは「革命児」であった。

もちろん過去には売れたミュージシャンはたくさんいる。

でもその方法論を根こそぎ塗り替えたのがハイスタだ。


「上を向いて歩こう」

日本人のビルボード1位は後にも先もこの曲のみだが

しかも日本語の原曲のままでの1位はまさに金字塔。

でも悲しいかな、次が続かないからいつまでたっても金字塔のまま。

海外から焦がれて活躍し、火が付く人もいる。

小澤征爾さんとか。最近では辻井伸行さんとか。(やはりクラシックが多い。)


ハイスタはビルボード1位ではないけど

最初は海外から火が付いたパンクロックとしては稀有なパターンだ。

正確には国内外で同時多発的に火が付いた、というのが正しい表現かもしれない。


以下はwikiの彼らの活動期の年表。

■1994年、ミニ・アルバム『LAST OF SUNNY DAY』をリリース。
■1995年、アルバム「GROWING UP」をリリース。海外盤を含めると、70万枚を超えるセールス。
■1997年、アルバム「ANGRY FIST」をリリース。オリコン初登場4位を記録。
■1999年、PIZZA OF DEATH RECORDSをトイズファクトリーから独立化し、アルバム「MAKING THE ROAD」をリリース。インディーズとしては異例の日本と海外を含め、ミリオン・ヒットした。
■2000年4月、シングル「Love Is A Battlefield」をリリース。オリコンチャート初登場2位を記録。



まさに敵なし。

そうして2000年8月26日のAIRJAMを最後にハイスタは活動休止に入る。

桜が大好きな日本人の習わしに従って、鮮やかに咲狂って、鮮やかにパッと散った。

一番の熱狂のピークで。


今、彼らのアルバムを聴きまくっているが、当時僕がもしこのはまり方をしていたら

ハイスタロスは半端なかったであろう。タモリロス以上のハイスタロス。


根こそぎ変えた方法論とはハイスタのアンチメジャー主義に尽きる。

バンドが単にブレイクして、海外でも売れました、という陳腐な構図とは違う。

彼らは音楽ビジネスそのものの革命児なのだ。


「僕がハイスタを知って、好きになって、CD買って、家で聴く」


ただこれだけの何ということはない日常の音楽との接点。

でも実はその裏側ではメジャーからインディーズへの鞍替え、独立、

自主制作のCD、販売手法は手売り、最小限の告知、

海外メジャーアーティストとの対バン等、革命道をひた走り、オリコンチャート1位!

メジャーレコード会社の顔を完全に潰した。あらゆるタイアップもことごとく排除した。


「アンチ電通音楽」


痛快そのもの。


そうそう、ある意味でAKBはハイスタ路線の継承者でもある。

東京ドームでライブを演った翌日に秋葉原の小さなCDショップで握手会をする。


「会えるアイドル」


ハイスタは「ライブハウスに足を運ぶ人を最優先に情報を届ける」ことに決めていた。

次のライブの告知はライブ会場で撒かれたビラで知ることになる。

くまなく地方を回り、キャパ500名以下の箱に拘った。


「会えるパンクバンド」



脱線しまくっているが、「時代感」を身にまとった

ミュージシャンをちょいと考えてみた。


例えば60年代の美空ひばり。

例えば70年代のキャロル。

例えば80年代のYMO。

例えば90年代のブルーハーツ。

ハイスタもこれらに匹敵すると個人的には思う。


チーマーもどきの不良、チーマーに憧れた郷土愛溢れる地方都市の不良達、

10代で子供産んたヤンママ達、そんな青春の裏側にはずっとハイスタが流れていた(偏見?)

きっと夜中の駅前をナンパ仕様で流しているデコ軽自動車の中では

いつも大音量で「Mosh Under The Rainbow」がかかっていたはずである。


脱線ついでに。

僕と横山健さんは実は同じ年号生まれである。

1969年...

この年「長崎は今日も雨だった」「ブルー・ライト・ヨコハマ」

そして「365歩のマーチ」が大流行した。

ニューヨークの郊外、ウッドストックでは伝説のライブが行われた。







「幸せは歩いてこない だからあるいで行くんだよ♪」


伝説のこのフレーズで始まる水前寺清子の365歩のマーチ。


「1日1歩、3日で3歩、3歩進んで2歩下がる♪」


当時の日本の世相はこの曲に象徴されているように思う。

ちなみにこの年にビートルズは「Come Together」、

ストーンズは「Honky Tonk Woman」を発表している。



さーて、話はようやく一回りした...

ハイスタの弟分、ハイスタに憧れて音楽を始めた世代が10-FEETだ。

1997年、京都で結成された3ピースバンド。

ロッキンオン2015のオオトリが彼ら。

これ鳥肌もんだった。最後の曲は彼らの定番「RIVER」。

飛び入りでDragon Ashの降谷建志が一緒にステージに上がった。


グっときちゃったのはサビの歌詞。


母は泣いた 手に触れ泣いた

「良かった」とまた一言泣いた

君は泣いた 深々と泣いた

嬉しいと一言また泣いた

僕は泣いた ただただ泣いた

気が付くと独りで泣いていた

昔行ったあの場所に行った あのRIVER



こんなゴリゴリのパンクロック曲で

母は泣いた は止めて欲しい...

こっちが泣いてしまう。


ようやくデビューが決まって東京に旅立つ日。

母は泣いた、恋人も泣いた、僕は地元の川(おそらく鴨川??桂川?淀川???)

に立って泣いていた。


気持ち分かり過ぎる....


10-FEET主催のフェス「京都大作戦」

憧れのハイスタと共演した彼らの映像が残っている。


一生懸命やっているから

命懸けでやっているから

憧れ続け乞い続けているから

ハイスタと一緒にステージに上がりたい、ただそれだけ

あるパンクロッカーの男の子の人生の熱狂に遭遇した瞬間の

記念すべき映像である。舞台でボーカルのTAKUMAは号泣している。



以下にちょっと長いけどその時のTAKUMAのブログも掲載する。


「京都大作戦2013の一生の想い出」


まだ今も目を閉じればフラッシュバックする興奮と幸福感の京都大作戦の想い出を書き記します。今回は京都大作戦のオフィシャルカメラマンのハヤチンとみんなが僕に送ってくれたりツイッターで呟いたりリプライで見せてくれた写真もほんの少しだけ使いましたよ^^



今年京都大作戦に来てくれた人も、来れなかった人も、良かったら読んでみて下さい。



『京都大作戦の少し前』



京都大作戦の数週間前に、渋谷のクアトロでKEN YOKOYAMAとThe birthdayの2マンがあった。

同日、下北沢シェルターでライヴだった僕は、リハーサルが終わるやいなや渋谷にすっ飛んだ。京都大作戦に出てくれる2バンドだし、KENさんにお願いもあった。

そこでチバさんや皆さんに挨拶した後、KENさんとサシで話し、京都大作戦のその日、僕らがSTAY GOLDを練習していってカバーするので一緒にやって貰えないかと、するとKENさんは「そんな事言ってお前w難ちゃんも一緒に引っぱり出してやらせようなんて考えてんだろ(笑)いいよ。一緒にやんだったら面白いかもね。」とひとまず良い返事を貰えた。「ありがとうございます!後日段取り等、流れを連絡します!」と伝えてシェルターの本番にとんぼ返りした。きっと思う事はあったのだろうけれど、その時は「心意気に応えてやらなきゃな」という思いでひとまず言ってくれたのだと思う。

そして本番前日、電話が繋がらなかったので留守電で段取りと翌日に向けての挨拶を入れさして貰った。

難波さんにも数週間前に相談をした所「KEN君が良いなら全然いいよ。一回聞いてみなよ。」と言ってくれた。


そして翌日。

『京都大作戦初日』


2013年の7月6日、大作戦初日。dustbin、花団、KEMURI、The Birthday、Dragon Ash、MINMI、MAN WITH A MISSION、KiM、SECRET 7 LINE、四星球、S.M.N、NUBO、BUZZ THE BEARS、MOTORS、大阪籠球会。

野球で言えば「投げればチームが勝つ投手」というエース的存在、dustboxのライヴを皮切りに京都大作戦が始まった。

Dragon AshのSHOESサプライズにはビックリしたなぁ。でも大好きなバンドにカバーされると本当に嬉しい。


以前ブログでも記事を書いた憧れのThe Birthday先輩、札幌の酒場で偶然出会ってからの念願の京都大作戦出演。花団に関しては出演の二ヶ月前に解散したばかりだったのだが、僕が解散直前に八王子まで行って「解散ロスタイム2ヶ月にしてくれへんか!頼む!m(__)m」と強引に無茶振りしてしまった結果でした。大作戦当日ステージ袖で花団を観ていたMINMIが感動してステージに登場したり、結果として僕らは大作戦会場にて、花団のとんでもない奇跡と笑いを目撃する事になったのだ♪

その後、MINMIのステージで飛び入りしようとした花団は、花団ライヴの冒頭で着用していた聖闘士星矢のフェニックスイッキのクロスのコスプレをもう一度着用してMINMIのライヴ中のステージ袖へ、しかしMINMIのスタッフに「え??出るんっすか?えっと、、、、MINMIに許可取ってます?」と聞かれた、花団は「いや、僕らも出て来て貰ったんで、、、」と、スタッフはさらに「MINMIには許可取ってるんですね?」と、花団は「、、、、、、」黙り込んでしまい、変な空気に、勿論許可など取っていない。花団は一旦しばらく様子を観る事にした。しばらくしてスタッフさんやセキュリティさんが手薄になった機を見てもう一度トライしようとすると、今度はステージからダンサーが一時退場するタイミンングと重なってしまし、ダンサーのみんなは花団の姿を見て「、、、、、出るんすか?それMINMIに言ってあります?」と聞いた。すると花団は「えっと、、、、、僕らも出て貰ったんでぇ、、、」。そこでビビってしまった花団は急にみんなで僕の所に来て「タクマ君!これ、ひょっとしたらマジでやばいんっすかねぇ、、笑」と引きつった顔で聞いて来たので僕は「ピンチはチャンスや!多分全然大丈夫や!行ってこい!後で謝ろう! 笑」みたいな無責任な事を言って僕は一旦その場を後にした。大丈夫なワケが無い 笑 行ったら100%怒られるだろうが、是非とも花団がマジで怒られてる所が見てみたいので、俺はやたらGOサインを出した。


すると彼らは見事スタッフの守備網を突破してステージに辿り着き、ドラムを叩いたり、煮タマゴをやったり好き放題やってお客さんを湧かせたのだった。そして後日、これがきっかけで花団はMINMI主催のレゲェビッグフェス「FREEDOM」のオファーを受ける事になるwそして俺はこれも結構強引に勧めたw


リスク無しにチャンスは無いんやね^^

ピンチはチャンスだとはよく言うたもんやね。

ピンチはピンチやと思っとったけどね 笑

花団やるなぁ♪




大作戦の当日は毎年の事ながら、走り回ってみんなにありがとうを言ってるウチに自分達の出番が来て、毎年心の準備をする時間も無く、メンバー同士で励まし合いながらステージに出て行く、この日だけでは無いけど、身体も精神も準備の出来ない京都大作戦ではいつになく俺たち10-FEETが励まし合って支え合って助け合って、盛り上げ合って、ライヴをする。ライヴ中も心の中はいつも仲間、スタッフ、来てくれたお客さんへのありがとうだらけだ。


『京都大作戦二日目』


SiM、UZUMAKI、ROTTENGRAFFTY、サンボマスター、東京スカパラダイスオーケストラ、10-FEET、NAMBA69、KEN YOKOYAMA、THE SKIPPERS、SHANK、G-FREAK FACTORY、SCOOBIE DO、SLANG、HAKAIHAYABUSA、LABRET、大阪籠球会。


毎年出演者以外も予定さえ合えばみんな京都大作戦に遊びに来てくれるのが本当に嬉しい。


トップバッターSiMのとてつもない牛若ノ舞台まで届く場外ホームランライヴとMAHのあのMC。普段は必要以上に多くを語らないアイツの京都大作戦の源氏ノ舞台に対する思いとそれまでをあんなに赤裸々に真っ正面から語れるアイツは本当にカッコイイと思った。二日目が始まった。

この日のROTTENGRAFFTYのライヴは、これまで長い付き合いの僕達から見ても最高峰のモノだった。「感動」とかって言うよりはちょっと本気で驚いた。年々凄くなって行きます。

皆が鬼気迫るライヴを繰り広げている中、KENさんが会場入りした。京都大作戦に出て貰える嬉しさと感謝の気持ちを伝え、そしてメンバーと考えた夢のセッションの段取りを話そうとしてKENさんに声をかけた。するとKENさんは「今日は呼んでくれて本当にありがとう。その話なんだけどさぁ。ちょっと今どっかで話せない?」と言ってくれた。



予備の楽屋を借りて大作戦首脳スタッフとメンバー、そして難波さんとKENさんと10-FEETの三人で楽屋で意気揚々と席についた。でもKENさんは何か神妙だ。KENさんはしばらく黙ってから。「その話なんだけどさぁ。俺あれからもう一回ちゃんと考えたんだけどやっぱり出来ないわ。ごめん。俺今回ハイスタで呼ばれた訳じゃないし。俺今KENバンドマジでやってるから。やっぱり自分的に筋が通らないんだ。。オトナゲ無くてごめん。やっぱり無理だわ。ほんとにごめん。」

消沈したみんなの雰囲気を見てKENさんはすぐに「いやぁ。俺面倒くさくてホントごめんね(笑)」と崩した声と笑顔で言ってくれた。

内に秘める決意と信念。それを僕達みたいな歳の離れたハナっ垂れに男として本当に真摯に伝えてくれたのが伝わったし、その後の「面倒くさくてごめんな」っていう台詞に滲み出るあの人の優しさに、僕らは心を打たれて同じく心と顔を柔らかに崩した。

きっと家族やメンバーと真剣に話す時もKENさんはこういう表情と気持ちで伝える人なんだろうな。と思った。僕の身体の中を説明するのが難しい嬉しさが転がった。

僕はそれでもう充分だった。その時点できっと一生忘れない瞬間を貰ったと思う。

その楽屋に居た人以外には誰の耳に入る事なく、僕達三人だけの男同士の話としてひっそりと残り続けるであろうお話でした。


正直言うと、一度OKになって目前だった夢の共演が目の前で確実に可能性を絶った事はショックだったけど、本気で伝えてくれたKENさんに僕達は、下手くそな笑顔で「大丈夫です!KENさん!一切忘れて下さい!僕らも10-FEET本気でやってるんで解ります!やめましょう♪その代わりKENさん!難波さん!KENバンド難波バンドでめっちゃくちゃ京都大作戦楽しんでいって下さいよ!あと僕らSTAY GOLDめっちゃ練習して来たんで見てもらいたいです!僕らだけでカバーしてもいいですか!」

と伝えると二人は快く承諾してくれた。


俺らはKENさんや難波さんをたどたどしい笑顔でそれぞれの楽屋に送り届けて三人ですぐ10-FEETの楽屋に戻って戸を閉めると、三人共イスに座ったまま一言も話さなくなってしまった。

しばらくしてから「めっちゃ本気で言うてくれはったなぁ。。STAY GOLDは残念やったけどやぁ。俺らあれちゃう?だいぶ兄さんらと仲良くなれたんちゃう?やばいなぁ♪」と言った。

二人ともすんげぇぎこちない謎の余裕感で「なぁ。本気で言うてくれたはったなぁ。ちょっと嬉しかったなぁ♪」と明るいが、やっぱりスーパーぎこちなかった。俺もさっき余裕感たっぷりで話し出したつもりやったけど、おそらくきっとそんな感じやったのね。と思った。

コウイチがハリボテの鼻歌を奏でながら楽屋を出て行った。そして直樹が「よっしゃあ!」と謎のやる気全開で楽屋から出て行った。

俺は独りになると緊張の糸が切れて少し落ち込んでしまった。

でもあの瞬間にKENさんの真摯な気持ちにしっかりと応えられて良かった。

そりゃぁショックやけど俺達は絶対間違って無い。

ハイスタに憧れて背中も追っかけて来て、憧れの男、あのKENさんの丸裸な言葉と想いに応えられない様な自分であったならバンドなんか辞めた方がいいと思った。ダサイから。そんな男がバンドなんかなんだかちゃんちゃら可笑しいと思った。

そして俺達は京都大作戦の主催者や。来てくれてるバンドとお客さんが楽しんでくれる事が一っっっ番大切なのはこれまでもこれからも一生変わらへん。

なんや言うても俺ら10-FEETがバシッと締めるんや!

、、、、、

でもなぁ。。STAY GOLD一緒にやれたらすっっっっっごかったやろなぁ。。

いや!そんなんちゃうねん!それありきや無いねん!京都大作戦は京都大作戦やねん!いつも俺らがバシッと決めんねん!

せやけどなぁ。。。

みたいな事を独り言でブツクサ言いながらひとしきり凹んだ後「オーゥィェーイ!」とやっぱり謎の元気丸出しで楽屋を出て行くのでした。

するとKENさんが、変な笑顔の僕を発見し、少し笑いながらこっちに来た。

「ねぇねぇ。タクマごめんな。お前さぁ。。お前はイイ男だよ。ほんとに。正直あんなに早く気持ちよくバシッと一つ返事で返してくれると思わなかったよ。しかし京都大作戦のお客さん何か凄いなぁ!イイフェスだよ!楽しまさせて貰うわ!本当ありがとう。」

楽しそうで優しい先輩を見て。

「間違って無かったな。うん。これでええねん!よっしゃ!やるで!」と自分に誓った。



その頃大好きなスカパラ先輩達がスーツ姿でスタンバイしているのを見つけたので走って行き「ええなぁ!僕もそれ着たいです!七五三みたいになる思いますけど!いつかコラボして着るの夢です!」て言うたら「俺達が本番2分前のシチュエーションでかける言葉としてパーフェクトだね。 笑 タクマは本当に完璧だよ 笑」と谷中さんは笑ってました^^確かにパーフェクトだ 笑

スカパラはみーんな優しい兄貴なんです。最近スカパラ兄さん達には面白い事やって♪と、よく無茶振りされます^^高校の時の部活の先輩にもそんな風にいじられては面白い事練習してたさかい嬉しくなっていつも張り切ります。段々自分達が先輩になってきて最近こういうの減ってたから最高にモチベーション上がります♪

そして難波さんもこの日の勢いは凄いモノがあった。前回よりも攻撃的で会場を完全にロックしていた。

そしてKENさんのライヴは初出演とは思えない、初年度からの常連かってくらい会場の一体感が凄かった。会場中には「右」でも「左」でも何でもないド真ん中、自分が生きてる国、故郷の旗がひらめいていた。


KENさんのMCや言葉には本当に飾りっ気が無い。

美しかったり精巧とかじゃ無く、ただただ「この人は自分に対して話してくれてるんだな」と思わせる力を持っている。それでいてもの凄く身近に感じさせてくれるからライヴ中も普段一緒に話している時もどんどん引き込まれていく。かと思いきやすっトボケたりするから突き指するように吹いちゃうのだ 笑

その波状攻撃でライヴ中みーんなKENさんの事好きになっていっちゃうよね♪

ほんとにイカす先輩です。

不敵な素敵先輩です。

本当に初出演とは全く思えませんでした。



そして、その後、終わって欲しく無い今年の京都大作戦最後のバッター10-FEET。




僕達の一生忘れられない夏の想い出に繋がって行ったのでした。。。



ここからは少し後日難波兄さんKEN兄さんに聴いたお話。

京都大作戦の当日、僕達10-FEETのライヴが始まる直前、難波さんはKENさんに「ねぇ、やっぱりダメかなぁ。一緒にやるの。」と聞いてくれたみたいなのだけど、KENさんの答えは変わらなかったらしい。

本編を終え、アンコールに入り、コウイチのコントからsuper stomper、そしてSTAY GOLDカバー、ステージ袖を見向きもせずに一心不乱にSTAY GOLDを演奏する俺ら。

STAY GOLDの2番を歌って間奏前、突然僕の目の前に真剣な顔のKENさんが現れて両手の平を僕に見せて言った。「ストップ。。。ストップ。。。」

一緒に演奏はやらない筈なので僕は直感的に

「え?????あ、、あ、これは、、何かがヤバい。。怒られる?殴られる?なんかヤバい感じや。。」と思った。

まずSTAY GOLDをKENさんが絶っっっ対にやるワケは無いし、、でも曲中に出て来るのはただ事じゃないし

「10-FEETのフェスなのに何で自分達の曲で締めねぇんだよ!」ぐらい言われるんやろかなと思った。

ふと直樹を見たら背の高い難波さんを見上げて顔が引きつっててカツアゲされてるみたいになってた。するとその直後に難波さんがベースを受け取ったのだ。


「うわ!!!!!うわ!!!!!!うわーーー!!!!!!!!!!!!うわーーーー!!!!」


と心の中で叫び散らしてKENさんの方を見るとガム噛みながらニヤッと笑って「貸して♪いいからいいから♪貸してよ♪いいのいいの♪」と。。。。。。。


僕は本当に何が起こったのか解らなかったんだ。そしてここでいろんな事を思い出しました。僕の中で何かが何かを乗り越えてきた。その全部を止められなくなってコントロール出来なくなりました。


嬉し涙だったのか、違うモノだったのか、未だに自分でもよく解らないモノがぶわっと溢れかえった感じでした。

それを感動という一言で表現するにはなんだか陳腐に感じるぐらいでした。

「すっげー!!!すっげー!!!すっげー!!!」

て何回も言いました。


もの凄かったなぁ。。。

自分が白髪になっても間違い無く忘れない一生の想い出になったとその瞬間に確信してました。


再び後日の難波さんのお話なのですが。

10-FEETのライヴが始まって、難波さんとKENさんは会場が凄い盛り上がっているのをステージ袖で観てくれていて、難波さんはまた「ちょっとだけやらない?」と言ってくれたそうです。でもやっぱり一度決めた事は変わりません。ライヴ前にみんなで話した事はあの時も今もこれからも変わらない。決心や覚悟や信念ってそういうもんだ。

難波さんはその後も何度か言ってくれたみたいだけどそういう雰囲気にはならなかったって。

そしてアンコールが始まる直前からKENさんがステージ横に行ったり、ステージ降りてタバコ吸ったりで、ソワソワし出してそのウチ今度はKENさんの方から難波さんに

「あのさぁ、、俺さぁ、、大人げ無かったかなぁ、、俺小さい?大人げ無い?」って聞いて来たんだって。

難波さんは「いいじゃん♪大丈夫だよ!行こうよ!絶対イイ感じになるよ♪」って言って、そこから「うーん。そっか。じゃぁ少しやろうか!どこから出ようか?じゃぁ間奏のさぁ。。」ってなったんだって。


僕はアンコールを終えてステージを降りてまっしぐらに走ってKENさんと難波さんを探しに行きました。

飲食所で見つけました。

KENさんと難波さんは二人で肩を組んでニヤニヤして僕を待っていました。

僕が「ありがとうございました!ほんまにありがとうございました!ほんまにビックリしました!絶対無いと思ってたんで!ほんまにビックリしました!俺一生忘れないです!ほんまにほんまに嬉しかったです!!!」と言うとKENさんは自分の肘を難波さんの肩に置いて手首をプラプラさせながら

「ねぇ難ちゃーん。俺らってさぁ♪ホント大人だよね~♪」と言いました。

難波さんは「ねぇ。やばかったよねぇ♪」と笑って一言だけ言いました。

この時の姿、言い方、表情。


俺は多分一生忘れへんと思うなぁ。





『幸せのいれもの』




今年の今日と大作戦を振り返って僕が思った事。

悲しみや淋しさや悔しさや失敗が、来たるべき日の幸せの器になってるのではないかという事。



ずっと幸せだったら気づけないモノってあるかも知れないよ。



僕の過去にある悲しい記憶で照らせる幸せに、いつかは逢えるかな。



しんどい事、悲しい事があってもそんな風に思いながら、




僕もアンタもなんとかかんとかここまでやって来たね。



悔しかった後の優しい誰かの何気ない励ましやジョークは、悠々自適な時には見えない愛や、本当に大切なモノを教えてくれる気がするんだ。



悲しみや淋しさが大切なモノを照らしてくれる瞬間だ。



そして、どんなに幸せボケして平和ボケしても、痛みや悲しみだけはいつも鮮明だ。そしてその鮮明な痛みや悲しみが教えてくれる事は必ずあると思う。それは随分時間が必要なモノもあるけれど。



歩む事さえ辞めなければ。。



2013年のあの日まで、幸い大きな事故したり、大きな病気したりも無くて、ありがたい事に今もこうして生きて音楽も出来ていて、そしてどんなに悲しい事があっても、どんなに悔しい事があっても歩みを止めなかったからこそあの日のあの感動に出会えたのだと思ってる。



この歳になって志半ばで天国に逝った仲間も随分増えてきました。



今歩いているこの道はあいつらが歩みたくとも歩めへんかった道やとも思って歩み続けて行かなアカンなと。そう思うと少し勇気が湧いてきます。


みんなもイケる時でええさかい、イケる時は勇気出していきや!ちょっと恥ずかしい思いしても奇跡への可能性が生まれるなら。勇気を出して行かなアカンで^^自分の一言や行動一つで人生は変わる可能性をいつも鍵を開けて待っとる。

よくよく振り返れば俺らはいつも鍵の開いたドアの前でそのドアを開けもせずに理由をつけて恥ずかしさにわざと負けたり「どうせ○○だし」とか言って迂回していつも通りの道を歩いては「ハッとする出来事なんてなかなかそう無いよ」とか「お前はいいよな」とか言ってボヤいてる。

とは言いつつ俺もいざとなると大抵からっきしなんやけどね^^

でもどんなにすくんでも心の底から湧き上がる大きな気持ちがあるのなら、何かを直感的に感じたなら、その時は全力で行かなきゃね。立ち向かわなければ現実は勿論、自分の中身も「これから」も変わっていかない。


俺も一番最初にKENさんにSTAY GOLD頼みに行った時、どんっっっっっっっっっだけ緊張したか 笑
だってホントのホントの詳しい事や気持ちは本人以外は解んないんだもん。めっっっちゃ恐る恐るやったけどちゃんと伝えたんだ。

一度は断られたりもしたけれど、最初にお願いしてこの話が生まれなければ今回の奇跡は100%無かったわけ。



言葉にして思いを伝えればストーリーやあなたの中が変わってゆくよ。



この世に生まれて死ぬまでの旅を良き旅にするために必要な支度は、悲しみに対する覚悟と、感動に対する希望と、歩みを辞めへん事の決意や。たまに立ち止まって悲しんだり、考えたりする事も必要やけどとにかくゆっくりでもいいから歩みを止めない事。


そしてどんどんチャレンジして行く事!新しい道や新しい物事を恐れず、より多くを知って本当の幸せや本当の自分、自分の行くべき道を見出す。迷ったら新しい方へ、迷ったらビビる方へ。俺はそうする様にしてます。



さぁさぁ、俺やお前の明日はどんな明日やろなぁ^^



勝つか負けるか、上がるか下がるか、得るか失うか、何も変わらないか。



泣くか笑うか。



めっちゃくちゃ怖いねぇ♪



期待も覚悟もポケットにパンパンにして!





いってらっしゃい^^



追伸

9月21日、もうすぐ「GRF(グンマロックフェスティバル)」ってのがあるんだ。俺らがそのLIVEスタイルに魅了されて影響を受けた昔からのライバルG-FREAK FACTORYという京都大作戦にも出てくれている盟友、レゲエロックのバンドが主催するフェス。チケットは先週の時点で売り切れ前だったからもう無いかも知れないけどもしあったら是非チェックして来てみて欲しいんだ。

去年このフェスに「G-FREAK FACTORYが旗を振るなら絶対スケジュールを空けてすっ飛んで行くから!」と昔からのバンド同級生達、10-FEETは勿論、マキシマムザホルモンやdustbox、HAWAIIAN6、そしてイカす先輩東京スカパラダイスオーケストラ、他にもそうそうたるメンバーが駆けつけた。そしてトリのG-FREAK FACTORYでは俺は涙でライヴが見れない状態だった。このG-FREA FACTORYもクソ熱いバンドで毎回対バンとオーディエンスの塩分と水分を目から奪っていくバンドでGRFでは京都に負けない不思議な奇跡を起こしてくれる。京都大作戦とGRFは兄弟分だと思ってる。京都大作戦が好きなヤツは是非行ってみ!そのかわり泣かされるぞ^^

勿論俺らも出ます^^

去年は本番泣きそうでライヴ大変やったけどな 笑

GRF ダイジェスト↓

http://m.youtube.com/watch?v=pHkrgHnTgQs&desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3DpHkrgHnTgQs

↑俺も出てくるから^^




次回はケンタと京都大作戦の想い出について書きます。

良かったらまたヒマな時読んでな。



ではこの辺にて。



男前もブサイクも、可愛いコも可愛くないコも、今日もし嫌な事があったなら、風呂入ってビール飲んで布団入って「なめんな!」つって屁して寝ろ!


明日またモリモリに盛り返したろや♪





ほなな!


おわり。




人生にもし熱狂というものがあるなら

人生にもし嬉し涙にくれる瞬間があるなら

人生にもし心から生まれてきて良かったと思える瞬間があるなら

それはあなたが一生懸命だからです。

そう、一生懸命が全てを運んでくる。

故に全ての素敵な瞬間は実はあなたの中にある。

全てがあなたのすぐそばにある。

苦しくて赤っ恥かいて逃げたくなるその時に

あなたは掴んでいます、熱狂の切符を。





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