昨年、
広島でおこなわれた
原水爆禁止世界大会。
私の感想文です。
今年は広島でひらかれます。
ぜひ、参加しませんか。
http://blogs.yahoo.co.jp/jcp_samegu2/9792492.html
※いま、
全国でたたかわれている
原爆症認定集団訴訟。
今週、
仙台高裁、大阪高裁と
たて続けに勝訴しましたね。
しかも、原告全員が勝利。
本当にうれしいです。
…
「へいわへの ねがい」
小1 くろだ だいき
おりづる おったから せんそう やめてね。
ひとが しぬから やめてね。
ひこうきから ばくだん おとさないでね。
子どもの詩から見えるもの
「平和の理」江口季好さんより
…
うん、わかったよ。
せんそうやめるからね。
ぜったいになくすからね。
「核兵器のない平和で公正な世界を」
今年も原水爆禁止2007年世界大会へ。
大会前、
偶然みつけたこの詩を胸にいだき、
長崎にいってきました。
「核兵器なくそう・世界青年のつどい」の
会場には21万羽の折り鶴が
各地からもちよられました。
「21万」
この数字は、
広島、長崎の原爆投下によって
年内に亡くなった人たちの数です。
たくさんの人たちが
平和を願って
一羽一羽に想いを込め、
集められた21万のいのち。
折り鶴には瞳はありません。
しかし、私の目には、
戦争も核兵器もない未来をみつめ、
うつくしく輝いているようにみえました。
詩をつくったこの子が、
この折り鶴たちをみたら
どう思うのでしょうか。
せんそうをなくそうとしているひとたちがね、
こんなにもいるんだよ。
せんそうはかならずなくせるよ。
いっしょにへいわをつくっていこうね。
そう伝えたいです。
私が参加した分科会
「青年のひろば」
グループになって
被爆者の方を訪問し、
4人の方から体験をうかがいました。
すべての方が、
人前で体験を話すのは
今回がはじめてとのこと。
感謝の気持ちでいっぱいです。
「本当は忘れたいできごと。
それでも、
いま私が伝えなければいけないと
思ったから今日みなさんに話しました。
戦争はなにも生みだしません。
のこるのはむなしさだけ。
どうか、平和を伝えていってください。
よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
最後のこの言葉。
平和のバトンを
うけとった気がしました。
帰りの電車のなかで、
一人の女性と出会いました。
すみわたる夏の空と
諫早湾を写真におさめる、
となりの席の女性。
「きれいに撮れましたか」と
声をかけました。
「あなたも長崎の式典にいったのですか」
ときかれ、
よくよくお話をうかがうと、
広島で被爆された80歳の方でした。
博多までの時間、
原爆の体験、
おいたち、
いまにつながるその後の人生を
きかせていただきました。
その方は被爆当時17歳。
爆心地から2.5キロという
近さでの被爆です。
鮮明で刻銘な記憶。
たいへん貴重なお話でした。
被爆者の方からこれまで何度か、
体験をきく機会がありました。
そのたび思うのは、
原爆が落ちたときのお話も重要ですが、
私が一番ききたいのは、
そこからどうその人が
人生を歩んでこられたのか
ということです。
ご両親を原爆症ではやくに亡くし、
ご本人は原因不明のめまいと下痢、出血。
そして一度目の出産では流産。
20代、
一日の大半を寝たきりで
過ごされたそうです。
結婚されたパートナーさんにも
子どもにも被爆をしたことを
伝えなかったとのこと。
自分が被爆者だとわかると
仕事や子どもの縁談に
影響があるからと。
被爆体験を語りつぐことを
決意されたのは、
パートナーさんが亡くなり、
お子さんも自立された
60代のころです。
なにが
その方の原動力なのでしょう。
「生き残ったのは奇跡。
私は生かされているのよ。
だから、戦争をなくすために生きていくの。
いのちのある限り、自分にできることをやりたい」
その想いを語られているときの
瞳のうつくしさ。
私は、この人の想いも、
運動もひきついでいきたいと
強く強く思いました。
本当にありがとうございました。
出会えてよかったです。
いつか、またお会いしましょう。
握手をしたときの
あたたかいぬくもりと力強さ、
私は一生忘れないでしょう。
生きていてくださって
本当によかった。
出会いとは大切ですね。
この3日間、
怒りや感動、泣き、笑い、
すべての感情を
ともにできた富山のメンバーたちと、
出会うことができた世界中の人たち
一人ひとりの瞳のうつくしさ。
その瞳の先に、
あかるい未来を
みることができました。
これからなにをすべきか、
なにができるか。
みんなでたくさん考え、
行動していきたいです。
広島でおこなわれた
原水爆禁止世界大会。
私の感想文です。
今年は広島でひらかれます。
ぜひ、参加しませんか。
http://blogs.yahoo.co.jp/jcp_samegu2/9792492.html
※いま、
全国でたたかわれている
原爆症認定集団訴訟。
今週、
仙台高裁、大阪高裁と
たて続けに勝訴しましたね。
しかも、原告全員が勝利。
本当にうれしいです。
…
「へいわへの ねがい」
小1 くろだ だいき
おりづる おったから せんそう やめてね。
ひとが しぬから やめてね。
ひこうきから ばくだん おとさないでね。
子どもの詩から見えるもの
「平和の理」江口季好さんより
…
うん、わかったよ。
せんそうやめるからね。
ぜったいになくすからね。
「核兵器のない平和で公正な世界を」
今年も原水爆禁止2007年世界大会へ。
大会前、
偶然みつけたこの詩を胸にいだき、
長崎にいってきました。
「核兵器なくそう・世界青年のつどい」の
会場には21万羽の折り鶴が
各地からもちよられました。
「21万」
この数字は、
広島、長崎の原爆投下によって
年内に亡くなった人たちの数です。
たくさんの人たちが
平和を願って
一羽一羽に想いを込め、
集められた21万のいのち。
折り鶴には瞳はありません。
しかし、私の目には、
戦争も核兵器もない未来をみつめ、
うつくしく輝いているようにみえました。
詩をつくったこの子が、
この折り鶴たちをみたら
どう思うのでしょうか。
せんそうをなくそうとしているひとたちがね、
こんなにもいるんだよ。
せんそうはかならずなくせるよ。
いっしょにへいわをつくっていこうね。
そう伝えたいです。
私が参加した分科会
「青年のひろば」
グループになって
被爆者の方を訪問し、
4人の方から体験をうかがいました。
すべての方が、
人前で体験を話すのは
今回がはじめてとのこと。
感謝の気持ちでいっぱいです。
「本当は忘れたいできごと。
それでも、
いま私が伝えなければいけないと
思ったから今日みなさんに話しました。
戦争はなにも生みだしません。
のこるのはむなしさだけ。
どうか、平和を伝えていってください。
よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
最後のこの言葉。
平和のバトンを
うけとった気がしました。
帰りの電車のなかで、
一人の女性と出会いました。
すみわたる夏の空と
諫早湾を写真におさめる、
となりの席の女性。
「きれいに撮れましたか」と
声をかけました。
「あなたも長崎の式典にいったのですか」
ときかれ、
よくよくお話をうかがうと、
広島で被爆された80歳の方でした。
博多までの時間、
原爆の体験、
おいたち、
いまにつながるその後の人生を
きかせていただきました。
その方は被爆当時17歳。
爆心地から2.5キロという
近さでの被爆です。
鮮明で刻銘な記憶。
たいへん貴重なお話でした。
被爆者の方からこれまで何度か、
体験をきく機会がありました。
そのたび思うのは、
原爆が落ちたときのお話も重要ですが、
私が一番ききたいのは、
そこからどうその人が
人生を歩んでこられたのか
ということです。
ご両親を原爆症ではやくに亡くし、
ご本人は原因不明のめまいと下痢、出血。
そして一度目の出産では流産。
20代、
一日の大半を寝たきりで
過ごされたそうです。
結婚されたパートナーさんにも
子どもにも被爆をしたことを
伝えなかったとのこと。
自分が被爆者だとわかると
仕事や子どもの縁談に
影響があるからと。
被爆体験を語りつぐことを
決意されたのは、
パートナーさんが亡くなり、
お子さんも自立された
60代のころです。
なにが
その方の原動力なのでしょう。
「生き残ったのは奇跡。
私は生かされているのよ。
だから、戦争をなくすために生きていくの。
いのちのある限り、自分にできることをやりたい」
その想いを語られているときの
瞳のうつくしさ。
私は、この人の想いも、
運動もひきついでいきたいと
強く強く思いました。
本当にありがとうございました。
出会えてよかったです。
いつか、またお会いしましょう。
握手をしたときの
あたたかいぬくもりと力強さ、
私は一生忘れないでしょう。
生きていてくださって
本当によかった。
出会いとは大切ですね。
この3日間、
怒りや感動、泣き、笑い、
すべての感情を
ともにできた富山のメンバーたちと、
出会うことができた世界中の人たち
一人ひとりの瞳のうつくしさ。
その瞳の先に、
あかるい未来を
みることができました。
これからなにをすべきか、
なにができるか。
みんなでたくさん考え、
行動していきたいです。