>よそは、よそ。
>うちは、うち。
>そう母に言われる時って
>子どもながらに
>都合よく、言い訳にして
>言いくるめられてるような
>気がしてた
基本は、放任主義っぽい母で
比較的に自由にさせてもらえて
育てられたけれど
母のルールの中での自由だった
よそは、よそ。
うちは、うち。
母のルールで
断固として譲ってもらえなかったのが
ゲーム禁止❗
子どもの頃
テレビゲームしたかった~
友達には持ってない人は
いなかったし
友達のとこで
たまに、ゲームさせてもらっても
操作に慣れてないから
めっちゃ下手くそで
クリアするなんて、全然できなくて
進まないし、すぐにゲームオーバー
「ゲームが欲しい」と
何度も何度も、母に言ってみたけど
「絶対にダメ❗買いません❗」
一点張りだった
ゲームは絶対に買わないけど
外で遊ぶものなら、買ってあげる。
↑
それが母のルールで。
家には
ローラースケート、一輪車、ホッピング、
スケートボード、フラフープ
そういうのは揃ってた
習い事も、したい。と言っても
させてもらえなかった。
習い事は
英語とプール
母は、そう決めてて
それは
英語も、泳ぐことも
母のできなかったことだったから
困らないように、させたい。と
考えてたみたい
プールは、とりあえず
泳ぎ方を覚えたら、それでいい。と
短期で終わった習い事だったなぁ
英語は習ってて、良かった
学習塾ではなかったから
身についた英語は中学生レベルでも
英語を理解できてて
中学の授業では、簡単すぎるくらいで
得意科目だった
だけど
文法とか、ちゃんと理解しないままに
話し言葉のように
感覚で理解してたみたいで
高校の授業での英語は
全然できなかった~
そして、子どもの頃は
家族での旅行は「祖父母の家」
それ以外は行ったことがなく
家族旅行の概念もなかった
友達から旅行の話を聞いて
そういうのが、ある!と知った時に
「家族旅行をしてみたい」と
お願いしてみたら
「夏休み、年に1度のおばあちゃん家へ
鹿児島に行くのが家族旅行です」
はっきりと、言われた
「旅行は、大人になって働いてから
自分で稼いだお金で、すればいい」
そうも言ってたわぁ
父の実家、故郷が鹿児島で
航空券代も高くて
金銭面のこともあったみたいだけど
そもそも父が
人混み嫌い、並ぶの嫌い、待つのが嫌い。
そういう人で
お出かけや旅行には
向いてないタイプの人だった
(大人になってから理解した)
日常の生活では
自由にさせてもらってたけど
なんでもかんでも
好きに、自由にできて
望むように、できてたわけじゃない。
なんでもかんでも
子どもの好きに
自由にさせてあげること、
望むようにしてあげるのが
いいわけじゃないだろうなぁ。と
自分の体験から、思ってた
子育てするのに
自由にしてあげるのが、いい。
ルールがないのが、いい。
そういうのには
なんとなく違和感があった。
それって違うような気がしてた
自分の感覚と
心理学の面では、一致してた
子育ての中では
ある程度のルールって、必要なことらしい。
まるっきりの自由にして
ルールも、全くないままで
好きにしていーよー
自由にきていーよー
というのは
子どもにとっては、良くないみたい。
精神的に参ってしまったり
心の病や鬱傾向に、なりやすいらしい?
ある意味では、虐待にもなる。
というのに、驚いた!!!!
ルールもない
完全なる自由というのは
大海原にポーーーンと
放り出してしまうようなもので
どこに行けばいいのか?
どこに進めばいいのか?
わからなくなって、混乱してしまう。
ルールがあることで
ルールの中での自由だから
どこに行けばいいのか?
どこに進めばいいのか?
どうしたらいいのか?
どうしたいのか?
それが、わかってくるらしい。
その理論は
自分の感覚と一致してて、納得できた
ルールが、ダメなことで
自由なことが、素晴らしい。
子育てにおいては
一概に、言えないってことだなぁ。と
子育てには
正解も、間違いもないから
ルールの全くない
完全なる自由で、子育てがしたい!
というなら
それが、したいなら
それで、いいと思うの
子どもによって
個性、性格も全然違うものだし
自分の感覚に合ってるなら
自分のしたい子育てをしたら
いいんじゃないかな
サメくじら