誠小 お疲れ様でした。 | SAMのブログ

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神戸を中心に移動販売車 挟み焼き粉物 がちまや〜号で西に東に走り回ってます。日々の営業の事や身の回りの事を書いてます。

この2~3日新聞を見てなかったので気づきませんでした。

琉球民謡 登川流宗家の登川誠仁氏が亡くなりました。

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兵庫県尼崎市で生まれ

沖縄に渡り7歳頃から手製の三線を手に毛遊びを覗いて民謡を覚え11歳でカチャーシーを踊れた。

8歳で喫煙 9歳で飲酒を覚え学校にもあまり通わなかったとか。

戦後は米軍基地で下働きをしながら物資の横流しで稼いでいたとか、破天荒な方でした。

琉球放送の素人のど自慢で故嘉手苅林昌氏と共に優勝。

1956年の素人のど自慢で知名定男氏を見出し弟子にして独特の鍛えたかで育て上げました。
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三線だけで無くギターもされていて、三線や三板の改良も
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この六線は有名です。

映画ナビぃの恋やホテル ハイビスカスにも出演されていて、カチャーシーなどの早弾きから三線界のジミヘンの異名もありましたが親しみを込めて誠小(セイグヮー)と呼ばれてました。

林昌おとぅもセイグヮーもぐそーに行って寂しいな~
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誠小 お疲れ様でした。ぐそーで林昌おとぅと仲良く一杯やって下さい。







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