原作はDelia Owens, Where the Crawdads Sing (2018)、

翻訳は友廣純氏、早川書房のお抱え?

舞台設定がアメリカで1960年代、沼地でザリガニと聞けば、

すぐにルイジアナ南部に広がるバイユー(Bayou)湿地帯を想像しちまいました。

ザリガニといえばニュー・オーリンズでごちそうになるケイジャン料理が

香ってきますし、『フォレスト・ガンプ』(1994)でもガンプが、

足をベトナム戦争で失った兵士と一緒にバイユーでザリガニ漁を成功させて

一財産築いたエピソードがありましたしね。

ただ、読んでみれば舞台はもっと北部ノース・キャロライナ州の海岸線。

しかもbayouではなくmarsh (湿地)とswamp (沼地) 、たかがシソーラス的

違いだけどやっぱりちょっと違う。しかもcrawfishじゃなくてcrawdadsだし。

 

物語は、2人の少年が沼地の奥に建つ火の見櫓の下で、

田舎町で派手に人気を堪能するチェイス・アンドルーズの

死体を発見するところから始まります。保安官が来て現場を調べますが、

現場には指紋も足跡も見当たらず、どうも事故というよりは事件の臭いがします。

ほどなくチェイスの母から、息子が肌身離さず身に着けていた

貝殻の首飾りが遺体から剥ぎ取られているとの証言を得て、

それが捜査の手掛かりとなります。

その首飾りを、自分の手で作って彼に与えたのが「湿地の少女」。

カイアと自称する彼女はその湿地に一人で暮らすミス・キャサリン・クラーク。

もともとは父母や兄姉と一緒に暮らしていたのが、一人また一人と

家を逃げ出すように出て行き、最後には父親までいなくなってしまって

6才から、一人そこに残された次第。

湿地のそばに広がる田舎町、バークリー・コーヴ。

チェイスも、遺体を発見した少年たちも、

この物語の登場人物のほとんどもこの村の住人ですが、

カイアはそことはほとんど関わりを持ちたがらないのです。

言うまでもなく、村人からは気味悪がられ、あらぬ噂話も広がり、

彼女の住むあばら家は言ってみれば村の子どもたちが肝試しに使う始末。

 

物語は事件の起きた1969年前後と、

カイアが思春期を迎えた1950年代後半からの生い立ちの様子を、

行ったり来たりしてゆっくりと進みます。

孤独になってしまいながらも、彼女に近づく数人の村人たちとの関わりが

描かれ、彼女を慈しむ人々、彼女を弄ぼうとする人々、蔑む人々、

そしてチェイス・アンドルースもまた彼女に近づき。。。

彼女は深く傷つきながらも、誰にも頼らず湿地に育まれ強く生きているのです。

やがて彼女の兄ジョディ(彼も家から出てしまったのですが)の友人テイトが

彼女に気を掛けて読み書きを教え、彼女に心を配る。しかし彼もまた

大学に進学し、彼もまたカイアの元から離れていく。

そのような中、当局の捜査は中々実を結ばず、それでも少しずつ集まる

証拠や証言は静かにカイアを指差すのです。そしてとうとう逮捕、裁判。

 

物語の骨格はフーダニット系のミステリーです。法廷の展開を追いながら、

だれがチェイスを殺害したのか、彼女が犯人なのかそうでないのか。

本当に事件なのか、それとも事故なのか。

読者は13人目の陪審員となるのです。

しかし、とてもそれだけではこの小説の全容を物語れません。

著者のオーエンズは動物行動学が専門の学者、

その手の論文も発表しているくらい。

物語の要所要所に湿地帯で展開される自然の営みが

生々しく、生き生きと描かれ、そこにある麗しさと残忍さの共存が

物語そのものを彩ります。ページをめくるたびに、獣臭がしたり、

土や泥の臭いが漂い、きのこやカビの匂いが鼻をつき、

鳥や草花の鮮やかな色彩が目に飛び込んできます。

このところNHKの朝ドラ『らんまん』で、植物学者牧野万太郎の

生涯を描いていますが、まさに万太郎を彷彿させるようなカイアの

生き様が魅力です。彼女を育んだ自然界が彼女のDNAに刻み込まれ、

純朴な麗しさと、防衛本能的な野生とが共存しています。

そんな彼女を異質と見なすか、魅力に感じるか。オーエンズはこう描きます。

「潮の満ち引きのように果てしなく繰り返される自然の営み。

自分もその一部になれれば、カイアはそれで満足だった。カイアは、

ほかの人間とは違う形で、地球やそこに生きる命と結びついていた。

この大地に深く根を下ろしていた。この大地が母親だった。」(498頁)。

 

分かりますよ。まさにそうなんです。そしてこれがこの作品の軸であり、

やつがれの感想としては、そこが「やりすぎ」なところ。

あまりにも人間を動物行動学の枠の中に当てはめて描くものだから、

何か作者自身も色眼鏡でカイアを傍観しているように思えてきてしまった。

還暦を過ぎてのデビュー作ですから、その点も注目されているのですが、

やはり人生経験が豊かなだけにそのすべてをカイアに詰め込もうとして

最後の方では、何だかもうごちそうさまになってしまいました。

 

刊行されてしばらくベストセラーとして注目され、

映画化もされただけあって、魅力的な物語であることは間違いありません。

翻訳されたものも2021年本屋大賞に選ばれました。

おすすめできる作品です。

オーエンズさん、これからも小説を書きたいそうです。