しばらく山本周五郎先生が続いたところで、

私立図書館からメールが届き、よ・う・や・く

予約していた『JR上野駅公園口』が回ってきたとのこと。

早速カウンターに行って借りてきました。

 

166頁+あとがき+解説(原武史氏)+参考文献一覧

著者は柳(「やなぎ」ではなく「ゆう」)美里先生。

韓国籍ですが1968年生まれ、ということでやつがれと同世代。

1997年に『家族シネマ』第116回芥川賞を受賞、一躍著名に。

(その前から著名だった説、有力ww)

本書は2014年に同河出書房新社から出版され、2017年に

原武史氏の解説付きで文庫化されます。

その間、韓国フランスイギリス アメリカ(ポーランド語)にも翻訳され、

もはや世界大の読者層を獲得しています。すげーびっくりびっくりびっくり

 

思いの外短編だな、というのが第一印象。

ただ某ブックチューバーのライブ読書会で、

この本について、

・相当に暗い作品だということ、それから

・時系列が複雑で混乱をするかもしれない、

という予防接種を受けて読書に臨みました。それも助けになりました。

 

 

主人公カズ(姓は森)は福島の田舎から出稼ぎで上野に上ってきた男。

(白状します。本書ほぼ一人称書きなので、なかなか主人公の

 名前が思い出せず、結局ネット検索でみつけました笑い泣き笑い泣き

東京オリンピック(1964年)を前に、土方仕事で稼ごうという算段。

福島県相馬軍八沢村(2011年3月、津波と原発事故で直撃された)

昭和天皇と同じ年に生まれ、さらに彼の長男は

平成天皇と同じ年月日(1960.2.23)に生まれた。

息子の名前は浩宮から一字取って、浩一。

実は1947年8月に、カズの地元に天皇のお召し列車が停車、

7分の間、地元民の万歳三唱に包まれ、無言で手を振り続けた姿を

彼は印象深く見て記憶している。

呑まず、打たず、遊ばない実直な出稼ぎ人は、実家に戻るのは盆暮れのみ。

息子の浩一と娘の洋子の養育費を含めて生活費を仕送りする。

新卒社員の月給程度は振り込んできた。

そんな浩一が21でようやくレントゲン技師の資格を取り、

独り立ちをする、というときに突然死で亡くなる。

この死が彼の死生観に大きな影を落とす。

妻の節子(この名前も皇族と関連有り)と老後を暮らそうと、

カズは還暦を迎えたときに、出稼ぎを辞めて地元に戻るも、

数年後に節子も亡くなってしまう。

孫娘の麻里が、カズを案じて同居を始めるが、

年頃の娘(21才)を年寄りのために実家に縛るのは不憫、

ある日「探さないでください」と置き手紙をして再び上京。

 

ここからホームレス生活が始まる。

支える家族もなければ、社会的立場を保つ入用もない。

が、決して悠々自適で気ままな暮らしではなかった。

それどころか、血肉と地元の後ろ盾を失い、社会的には抹殺された

実質「無い」ことになっている存在として「在り」続ける苦悩、

それが放つ悪臭に苛まれながら読者は読み続けなければいけない。

秀れた教養と品性を持ち合わせたホームレスのシゲさん、

彼もまた誰にも知られずある日、冷たくなっていた…

シゲさんは友情の手を差し出してくれたのに、カズも彼を拒んだ。

存在そのものが無いことになっているホームレス。

それを象徴するのが「山狩り」と呼ばれる特別清掃。

皇族が上野近辺に出向く際、その直前にホームレスの「コヤ」が

一斉に撤去を強いられる物静かな行事。

ある夏、カズは「山狩り」実施の通知を張り紙で知らされ、

皆とともにコヤを畳んで移動をする。

やがて撤去時間も終わり、元居た「擂鉢山」に戻る道中、

菊の紋章の入った黒塗りセンチュリーに遭遇し、

乗車している天皇夫妻を間近に観る。

そして、カズは意を決して上野駅のホームに向かい…

 

読後感としては、

何よりも、丁寧なリサーチを重ねた作品だな、と感心しました。

聞けばホームレスを取材するために上野近隣でホテル住まいをしたとか、

相馬市(福島県)に居を構えて、地元民とともに暮らしたとか、

そしてよく勉強なさっている。

 

特に感心したのは浄土宗の葬儀とその背景にある教義の詳説。

浄土真宗が染み渡る地域に暮らすやつがれも良い勉強をしました。

この死生観ならではの死の迎え方、そしてそれでも救われないカズ。

その悲しみと虚無の深みが実に辛辣なまでに描き殴られています。

 

それから、周五郎先生をしばらく読んできて、彼の作品は

時代物ではあっても武家の「立派な」世界ではなくて、

「市井の人々」の暮らしの慎ましさを描いているところがその魅力な訳ですが、

本書「解説」で原武史先生はこう記してます。

「『市井の人々』は、地域共同体にしっかりと根を下ろした人々を

 意味している。しかし本書の主人公の男性は、そうではない。」

2016年8月に天皇が自ら続けた巡幸について語った感想のフレーズに、

「国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える

 市井の人々のあることを私に認識させ…」

というのがあるのですが、つまるところ皇族は巡幸の中で、

すべての国民を見渡した、ということを言っているけれども、

カズはこの「市井の人々」にも数えられないのですよ、

と原先生は指摘しておられる。

カズだけでなくホームレスの御一同様も。何せ特別清掃の対象ですから。

この書に出てくる市井の人々とは、言って見れば

ルドゥーテ『バラの図譜』に描かれる麗しい花々。

ロサ・ガリカ・プルプロ・ヴィオラケア・マグマ(司教薔薇)、

ロサ・ブミラ(愛の薔薇)、

ロサ・ムンディ(絞り咲きのプロヴァンの薔薇)、

ロサ・ガリカ・レガーリス…

本編ではこれでもかというくらい、

見目麗しい薔薇の品種が続けて紹介されます。

このリストにロサ・カズ・ホームレスはないんですよ。

 

この作品は、市井の人々が便利に乗り降りする上野駅公園口を降りて、

少し踏み入ったところに漂う独特の臭いを読者に嗅がせ、

「そういう『つくづく運がねぇ』他者を哀れに思うのは勝手だけど、

 あなたは本当に天皇のおめがねに敵う『市井の人々』の一員ですか」

と問い詰めてくるように思いましたし、さらに言えば、

「そういう『市井の人々』の一員に数えられたとして、幸せですか」

と皮肉られているようにさえ感じました。

いや、強烈でした。

これ以上長い作品だったら、きっと窒息死してるドクロドクロ

 

それからカズは1964年オリンピック開催を前に、

出稼ぎ生活に入るんです。

昨年2回目となる東京オリンピックをコロナ禍で断行したばかり。

すっかりフクシマ復興オリンピックの色も褪せてしまった大会…

そういう意味でも昨年全米図書賞に輝き、再び脚光を得たのは

タイムリーでしたね。

 

この作品は著者あとがきを読むと、一層深いところにある

作者の呻きが聞こえるように感じました。