時間がかかってしまいましたぁ!

やっと完結です。

これが宮部女史の力作であることは、

本書の分厚さからも容易に感じ取ることができますが、

とにかく自分の目で人の悪、いやこの世の悪を凝視したい、という

意気込みが読み取れる大作だったと思います。

豊田商事事件はやつがれがまだガキの頃、

毎日のようにテレビで騒がれていたから覚えてる。

悪が人の心を飛び出して、この世界を汚染していく。

そのエグさをマルチ商法に託して掘り下げる。

悪意がなくとも人は巻き込まれていき、

巻き込まれると自ずと悪と化していく。

この辺りの迫りは凄まじい。

ただ、

残念なのは本書のタイトル。

本編100頁辺りから何故この書が「ペテロの葬列」なのか

解き明かされていきます。

アムステルダムの美術館所蔵、レンブラントの絵画がモデルだそう。

絵画の曰くはよくわからんけど、

少なくとも新約聖書のペテロの後悔からは程遠く乖離していて、

だから結局最後までピンと来なかった。

宮部さん、福音書を読んだのかな。

新約の登場人物をタイトルにするんなら

むしろイスカリオテ・ユダだよな。

ペテロはあの数日後に赦しを確信して、

その後は献身的に生きるからね。

いつまでもくよくよしないで。

そもそも新約聖書にそんな生き方をする人物はおらんよね。

 

そういうわけで、そもそもこのタイトルにつられて

読み始めた宮部さん作品、

そのタイトルは残念ながらはずれだったけど(やつがれにとって、だよ)

とんだミステリー小説を掘り当てた、という意味では

この上ない読書経験を得ました!

 

最後に:

ケチをつけたいのは、杉村夫妻の成れの果て。

なんか、罪と悪を迫力いっぱいに彫刻する匠が、

家族を描くと急に小学生女子が描く少女漫画レベルの

イラストに終わってしまうのか、と興ざめしてしまった。

例によって腹心の杉江さんも解説で一生懸命讃えてるけど、

それがまたイタいほどに空回り。

昭和の終わりから平成にかけて、

家族の在り方、男女の在り方に多様性を求めて

いろんなカタチがあっていいんじゃない?的な時期があり

(やつがれ世代ドンピシャ)

あれこれ試した結果、大した成果もなく

でも元の鞘には戻れず、地団駄踏んでる世代に

「だいじょぉぶだぁ」と慰めのエールをまだ送ろうとしてんのかな?

だめだよ。家族を壊したら。

菜穂子の最後の言い訳がまじで昭和のトレンディドラマの

「ナウい女」に見えて、読んでてはずかしくなりました。

 

ただ、こういう展開を自由自在にできる宮部女史、

恐るべきかな!