私立図書館で他の本を探していたらたまたまタイトルが目に飛び込んできました。

毎週説教を語っている身としては見過ごせないテーマですから。

使徒パウロが述べているように、福音の説教にはどうしても

「私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、

 御霊と御力の現れによるものでした。」(1コリント2の4)

というスタンスがあったりします。無論パウロは一般的な意味で「説得力」を退けたわけでなく、当時の弁論術や詭弁術などへの敬遠があったと言われています。ソフィストと呼ばれている弁術師たちは決して詐欺まがいの口車で人々を扇動したわけではないのですが、人の心を動かして主イエスのもとに招くのは言葉の術によるものでなく、究極的には神のわざだ(御霊と御力の現れ)という戒めです。

確かに赤木氏の快活な解説はついつい乗せられてしまうほど「説得力」があります。逆にいえば、この本を手本にして物を売る営業マンには耳を貸してはいけない、と警戒心を抱きたくなるほどです。無論赤木氏は説得の術は人を騙眩かすものではなく、書の締めくくりに至っては「聞き手本位」でなければならないと諭してさえいます。あれれ、前半の勢いはどこへ?とか少々感じるのですが、恐らくこれが彼の本意なのでしょう。

前半は原理的な、一般教養的な解説が続きますが、様々と興味深い用語定義なども参考になりました。

今一つの特色としては、古代ギリシャの修辞学を折あるごとに取り上げて、アリストテレスやキケロなどの世界とビジネスマンのプレゼンを結びつける試みは新鮮でした。特にパウロのコリント教会牧会を修士課程で学んだ者としてはソフィストの存在に言及されたあたり、とても懐かしく思いました。その辺り、赤木先生にもう少し聞いて見たいです。

Bruce Winter, Philo and Paul among the Sophists, Cambridge, 1997

を参考資料に挙げておきます。

思いがけなく、面白い本に出会いました。

図書館はブラブラ棚を見ながら歩いて見るものですね。