塩・ユチョン

塩・ユチョン

愛しい塩顔、時々塩対応
不器用で飾らない
そのまんまのユチョンが好き
♡6002♡
ユチョンが好きな人が好き。
ユチョンを好きな人はもっと好き。
ついったアカウント→@pkyc6002salt

後悔する前に、

その振り上げた拳を下ろそうよ。

取り返しのつかないことになる前に。

 

 

 

どうやって生きるかは

選べる。

 

 

どう見られたいか。

 

 

 

何を口にして

何を口にしないか。

 

 

 

その思考が、言葉が人から見られた時の自分を作る。

 

 

 

綺麗事だけど

綺麗事なのだけど

この世の命に価値の差があるのかな。

 

 

 

 

 

なんかね。

思ったの。

 

 

 

 

 

私はさあ、

もう、恨む気持ちなんてないんだよ。

悲しさや悔しさはあるけど。

あとやり切れなさと虚しさも。

 

 

 

 

 

でも私が一番、

虚しいなと感じるのは

この「社会」

 

 

 

 

 

私は、誰か個人じゃなく

この「社会」が恨めしい。

 

 

 

 

 

誰かのせいにして自分の怒りを正当化してるうちは

きっと、その怒りを解消することはできないんだろうな。

むしろきっとずっと持続してしまうんだと思う。

 

 

 

 

 

その振り上げた拳が

正義の名の下の暴力じゃないかどうか。

自分の心に聞いてみる。

 

 

 

 

それでも

わからない

通じないこともあるよね。

 

 

 

 

その場合は、

自分とは価値観が違うんだなぁと思って

上手に手放したい。

 

裁判に行った韓国のファンの方に

「結局ユチョンは何が悪かったんでしょうか?」

と聞いた。

 

 

 

 

その時の答えが、

忘れられない。

 

 

 

その方は、

こう言った。

 

 

 

 

 

「何の後ろ盾もないこと」

 

 

 

 

 

 

 

これが全てだと思う。

全て見てきて、そう思う。

そしてあまりにも反論の余地もない事実に。

完璧なまでの正論に、

ただただ、打ちひしがられた。

 

 

 

 

 

警察にも、検察にも、

その上の政治家にも。

誰にも何のコネもない。

 

 

 

 

 

 

 

私は、

罪のあるなしの話をしたいのではない。

この一言は、

罪があろうと、なかろうと。

真理である。と思うから。

 

 

 

 

 

 

 

権力の列に並び、

権力者のご機嫌を損ねないように細心の注意を払い、

権力者が移り変わる時は

華麗に乗りかえる。

 

 

 

 

 

 

 

それが世間の言うところの「正義」なんだと

いろんなことを見ていて思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

権力者の寵愛を受けて生きていくのは簡単だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

だけど、「才能」が死ぬ。

 

 

 

 

 

 

ご機嫌を伺うための

媚びた「entertainment」なんてうんざり。

きっと、権力者も芸術になんて興味ない。

どう、利用できるかしか

考えてない。

 

 

 

 

それがどれだけ無意味で虚しいことか。。。

 

 

 

 

 

 

だけど、それが

世間で言う所の「正義」なのだと

今回の件で痛いほど知った。

 

 

 

 

 

 

私の「正義」はいつでもユチョンだ。

 

 

 

 

 

 

 

大衆が背を向け石を投げることなんて怖くない。

 

 

 

 

 

むしろ、それが

彼が彼の魂を売らずに済んだ代償だとするなら

喜んで受ける。

 

 

 

 

 

 

間違ってない。

その生き方は。

 

 

 

 

 

私の好きな人の生き方は

なんてかっこいいのかな。

 

 

 

 

 

誇りに思う。

いつでも。

 

 

 

 

 

 

声を大にして言う。

何度でも。

 

 

 

 

 

私の「正義」はユチョンだ。

誰の庇護を受けることなく

才能だけでこの人生の荒波を乗り越えていく人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前、Twitterで

 

 

ユチョンは分かる人だけ分かればいいどころか、

自分だけが分かっていればいい的なところがあるって

 

 

つぶやいたことがあるんですけど。

 

 

本人だけがわかっててもダメだって

「みんな」が分からなきゃダメなんだって

「分かる」人だけ「分かる」なんて

怠慢だって

 

 

 

そう思う人がいても仕方ないと思う。

 

 

 

思えば、ユチョンの語る言葉は

いつも正直で

そして、行間がたくさんある話し方をするから

誤解されることもしばしばだった。

 

 

 

 

100人いたら、

100人とは言わずとも

90人くらいが理解できるような話し方をすれば

 

 

 

 

簡単に済む話なのかもしれない。

 

 

 

でも分かりやすさって

時に想像力を奪う。

興味も奪う。

 

 

 

 

分かりやすいことが美しさを奪うこともある。

 

 

 

「誰にでも分かる」

 

 

 

というのは

なんの引っかかりもない。

簡単で、凡庸だ。

ということと近しい。

 

 

 

 

 

「分かりやすい」は

「分かりやすい」であるだけだ。。。

 

 

 

 

 

たくさん言い訳をする機会もあったと思うし

しようと思えばできたかもしれない。

だけど、きっと長い芸能生活の中で

一番説得力を得られるのは

「行動」だと学んだんじゃないかと思う。

 

 

 

どんなルーマーがあっても

真摯に仕事をしていれば

きっとわかってくれる人がいること。

(そして、完璧に自分のことを他人にわかってもらうことなんてほぼほぼ不可能に近いということもわかってそう。。。)

 

 

 

言葉でそれはこうなんですよ。

といえば済む話を

行動で示すのだから

わかってもらうまでには大変な労力と時間が必要だと思う。

 

 

 

 

ある人にはそれがとてもとても

気が遠くなるほど遠回りに思えるだろうと思う。

 

 

 

 

だけど、ユチョンにとってはそれが近道なんだと思う。

 

 

 

 

現に。

 

 

 

 

彼にとってありえないことがたくさん降りかかった今も

強固に彼を信じ、応援する人がたくさん残っているのは

その彼の生き方が、

今まで歩いて来た道が

そうさせたんだと思う。

 

 

 

 

キラキラに着飾り

甘い言葉をささやいて

いい夢を見させるのなんて

簡単だと思う。

その道なら行く人がたくさんいる。

 

 

 

だけど、そうしないのは

そうやってみた夢はいつか覚めると

わかってるからだろう。

 

 

 

 

ユチョンが一番

ユチョンを信じてるんだと思う。

 

 

 

 

私はそこが好き。

 

 

 

なんだかんだ言っても

ユチョンが一番、

ユチョン自身を尊重してくれるとこ。

 

 

 

もちろんたくさん犠牲にしてるところもあると思う。

 

 

 

だけど一番大事な部分。

魂だけは売らない。

 

 

 

 

いつも言う。

ユチョンは

「なんでもない僕」

って。

でも、その「なんでもない僕」を

そのまんま、愛してるのは

ユチョン自身なんだと思う。

 

 

 

もちろん、ファンからしたら

ユチョンが持ってるものがたくさん見える。

大切なもの。秀でてるもの。

たくさん。

 

 

 

でも、それはユチョンにとっては特別なことではなくて

もともと自分にあるもの。

それも含めた自分が自分なんだと思う。

 

 

 

 

私は本人じゃないからよくわかる。

 

 

 

それがとても特別で

他にはない

「才能」だということが。

 

 

 

 

一番難しい道。

だけど一番得るものが多い道。

一番削られる道

だけど一番自分を大事にできる道。

強いからこそ。

才能があるからこそ

進める道。

 

 

 

誰にでも行ける道ではない。

 

 

 

 

不器用に見えて、

心配になったりもするけど

でも信じると決めた。

 

 

 

心ない言葉に傷つくことがあっても

間違ってないと思える。

 

 

 

 

誰の評価よりもまず

自分自身を誇れる道を行く人。

 

 

 

 

くだらないものに思えるんだよ。

他人の評価なんて。

ユチョンを見てると。

 

 

 

 

 

わからない人には

わからない。

 

 

 

それは一種の排除なのだろうと思う。

だからこそ、

それが批判の元になるんだと思う。

 

 

 

でも、だからこそ

面白くて

ずっと見ていたいのだ。

 

 

 

わからない。

分かりたい。

わからないまま

愛でててたい。

 

 

 

言葉と言葉の行間を感じていたい。

 

 

 

そう思わせる人。

唯一の人。

 

 

私がユチョンの何を一番信じてるのか。





それは、彼の

「才能」だ。






沼に落ちて今まで、

ひどいルーマーはたくさん目にして来た。





それでも、まだ

私がここにいるのは

彼の才能を信じてるから。

諦められないから。

求めてるから。





誰がどう言おうと、

私は私がユチョンからもらった感情や感動が本物だと感じられる。

どこかで揺らいでも必ず自分の気持ちに立ち返る。




ユチョンは今、

今までにないくらいのピンチだと思う。





それでも、

私が希望を持つのは、

彼の「才能」が故だ。





あの力が

きっと、ユチョン自身を

躍進させてくれるだろうと思える。

信じられる。





ユチョンの才能がこの苦境を招いたのかもしれない。

だけど、その才能がまた良いところへ導いてくれると思う。






ユチョンが冤罪だろうとそうでなかろうと

苦境なのには変わりない。

世間的にも法律的にもやった人なのに変わりはない。






だから、

厳しいかもしれないけど

頑張れよ。って思う。





本当に、力入れて、

立ち上がってくれ。って。

絶対絶対、こちらから手は離さないから。

ユチョンも離さないでねって思う。





負けるなよ。

今、地面に這いつくばって、おでこに擦り傷作っても。

ただで、起き上がるなよ。





全部全部糧にして、

自分の心の栄養にして、

作品として吐き出して欲しい。





待ってる。

それを。





世間は味方じゃない。

人生は厳しい。

波乱万丈。悲惨なものだ。






だけど

それを嘆くだけで終わってほしくない。

この不条理を、

悔しさを、虚しさを

遣る瀬無さを、

消化して、昇華して欲しい。






今。






とにかく。






同じ道を行ったり来たりしてるように思えたとしても、

一人じゃないと分かるでしょ?







ユチョン自身のその

弱さや心の揺らぎは

無駄じゃないと思うから。






ユチョンが見てる世界を見たい。

ユチョンの考えを知りたい。






作品を通して。








ある人に言われた。

私は才能原理主義者だって。

なるほど、その言葉が

ストンと心に落ちた。







私は冷たいファンだ。

ユチョンのプラベが例えどうであろうと根っこのところでは関係ないんだ。

才能原理主義だから。




だけど、その才能や感受性は

ユチョンの人間の部分から生まれるから、

私がユチョンの才能に惚れ込んでるうちは

どんな姿でも肯定的に映るだろうなと思う。






私はきっと、ユチョンの才能に

がっかりしない限りは、

ずっとユチョンのことを

人間ごと、まるごと、

好きだろうなって思う。

例えばさ、

すごく裕福な家庭に生まれて、

欲しいものは何でも手に入って。

 

欲しいと思う前にもう手に入って。

 

世界を思うままにできる権力もあって。

 

そんな人生ならきっと

毎日楽しいだろうなって思う。

 

 

楽しく

毎日を消費して生きると思う。

 

 

 

だけどあまりに簡単にいろんなものが手に入りすぎて

自分の本当に好きなもの。

を見失うかもしれない。

 

 

 

 

あまりに簡単にいろんなものが手に入りすぎて

思うままにならないことに執着してしまうかもしれない。

全てを思うとおりにしないと気が済まなくなるかもしれない。

 

 

 

自分の前に世界を全てひざまずかせないと

気が済まなくなるかもしれない。

 

 

 

手にあるものよりも

手にないものばかり見るようになるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

今の自分は

完璧ではない。

 

 

 

なんの力もない。

 

 

 

無力で、日々、

消費されている。

消耗している。

 

 

 

それでも、くっきりとわかる。

 

 

 

どうすれば、

自分を幸せにできるのか。

 

 

何が自分を幸せにするのか。

 

 

 

自分の好きなものやことも。

 

 

 

手に入れることより

 

 

 

そのままそこにあるものを眺めることが

幸せなこともある。

 

 

 

これは負け惜しみではなく

本気で。心から。

 

 

 

だから、何も羨ましくないんだよ。

私は、私が何を望んでるか知ってるから。

 

 

 

そばにある幸せを見失ったりしない。

 

 

 

 

本当に大切なものを見失ったりしない。

ぞんざいに扱ったりしない。

 

 

 

 

大事なものは

大事にしたい。

 

 

 

 

手にないものより

手にしているものを見ていたい。

 

 

 

例えば、

自分のせいではなく

大切なものを失った時

 

 

 

 

大切にしていたものが

思ったよりつまらないものだったと気付いた時、

 

 

 

 

 

恨まないで

恥じないで生きたいと思う。

 

 

 

 

人から見て大したものじゃなくても

その時、私にとって大切で

たくさん心に栄養を与えてくれたなら

間違いなく私にとっては

宝物だったと思える

 

 

 

 

今はそうじゃなくても

過去には。

 

 

 

 

それでいいんだと思う。

 

 

 

 

その時間を大事にしたい。

それでいいじゃない。

 

 

 

 

 

過去を悔やむことが一番馬鹿馬鹿しい。

だって、変えられないもの。

 

 

 

私が私にできることは

未来の自分が今の自分を悔やむようなことにならないように

努力するだけ。

それだけだ。

 

 

 

今の自分が好きだと思えることを大事にすることだけだ。

 

 

 

 

私は私の好きなことに自信を持ってる。

それは自分にだけ胸を張ればいいことだから簡単だ。

誰かにジャッジしてもらう必要のないことだもの。

 

 

 

 

そうやって今後も生きていくと思う。