ニュースに翻弄されるのではなく、自分の分岐の選択肢とする | ↑Shift
新型コロナウイルスに関する情報について

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自分をポインターにして映し出された
相対の世界を受容することで
その世界の相対である自分を愛する 
 
世界のすべてがわたしと相対との愛の響き

問題が創られない領域、パートオブフォーチュンを創造するのみ!

感染症をはじめ

ニュースに何を観ますか?

 

それが

マイワールド

そのものです。

 

どこに意識を向けているのかが

 

ニュースへの

自分が発する

つぶやきでわかります。

 

 

何を発していますか?

 

 

そのつぶやきコメントが

「こんな自分である」

という設定を

宇宙オーダーしていることに氣づいて下さい。

 

その設定にリンクしたフロアが

瞬間的に立ち上がり

体験となります。

 

 

映像ホログラムは

ものすごく柔軟に変化していきます。

 

毎瞬パラレルシフトです。

 

毎瞬オーダーごとの

パラレル宇宙を体験しています。

 

自分のみが

体験できる世界です。

 

 

 

事象そのものには意味がないのです。

しかし

事象をどうにかしようとコントロールしてしまう。

 

その時点で

事象にどのような意味をつけているのかが

自動的に立ち上がっています。

 

それではダメだ

 

という概念がすでに存在しています。

 

自分がそれを決めています。

 

 

 

事象そのものではなく

そこに意味をつけ

その意味をどうにか変えたいのです。

 

それが

ストーリーをいじっていることでしかないことを

自覚すると

 

視野が変わっていくと思います。

 

 

 

例えば

今回のクルーズ船やホテル隔離滞在

 

色々な意見を観ることができます。

 

 

それを「よし」と捉えることもできれば

「悪しき」と捉えることもできます。

 

それによって

表現が変わります。

 

攻撃や反発、不満をどこかに当てつける行動をすることもできれば

感謝を響かせ、その時間を有意義に使おうとすることもできる。

 

ひとりひとり

同じ状況であったとしても

表現の選択は自己選択です。

 

その状態を

どう認識するのかは

 

ひとりひとりの世界観

視点

でしかないのです。

 

 

この視点

「無い」というところに重心を置くのか

「有る」というところに重心を置くのか

 

大きく分けると

この二極です。

 

その二極で体験は変わります。

 

体験は自分のなかで起きているだけなのです。

 

 

「無い」に焦点が合いやすい場合

常に不満、反発、攻撃のエネルギーにとりまかれ

外からなにかを持ってこようとします。

 

外に何かを探し、得ようとします。力をつけようとします。誇示しようとします。

認めてもらおうとします。わかってもらおうとします。

エネルギーバンパイアです。

奪うエネルギーを常に出しています。

「無い」からです。

 

すると

「無い」というセルフイメージで創造をしていきます。

いつでもなにをしても「無い」から「奪う」「つけよう」とします。

従えようとします。

コントロールしようとします。

 

そのバリエーションで

その世界は構築されています。

 

 

 

「有る」に焦点が合いやすい場合

常に、満ちている部分を探します。そしてそこに奇跡・有難さ、感謝を響かせます。有ることに氣づき続けていきます。

有るものを活かそうという発想をします。

どうやったらできるのか?という得ている状態に視点が合っています。

有るからこそ、受け取り上手でもあります。有る部分に氣づくことができるからです。

外をどうにかするのではなく、自分が有るをどうつなげていくのかというクリエイト思考でもあります。

自分次第で、組み合わせで、創造できることがすでにわかっているからです。

失敗ではなく、材料として捉えることができます。

テストでいうなれば、「わからなかった問題がわかった」=「さらにできる」という発想の仕方です。

 

 

 

日常のなかで

「無い」「有る」は常に分岐の瞬間が続いています。

 

環境がしあわせを創っているのではなく

自分の視点が体験を創造していくのです。

 

体験してみないと

どれほどパワフルなことなのかはわからないかもしれません。

 

でも

体験を選ばなければいつまでたっても

エンドレスループなのです。

 

 

新地球は

「有る」の土台から、クリエイトし合える世界です。

ひとりひとりのパズルが

「無い」ではなく「有る」のかけらだからこそ

それぞれを全の視点で組み合わせて動かせるのです。

 

 

ニュースのなかにも

真理はあります。

 

昔話のなかにも

真理はあります。

 

 

はなさかじいさんは

「有る」マインドだったから、有るのバイブレーションでの創造をしました。

・傷ついた子犬を我が子のように大切に育てるバイブレーションが、大判小判を創造しました。

・隣のじいさんに殺された子犬の墓を、雨風から守るために木を植え、子犬の夢の通りに臼をつくり、餅を搗いたら財宝があふれ出た。

・薪にされた臼の灰を撒いたら花が咲いて大名が喜び褒美をいただいた。

 

しかし

いじわるじいさんは

「無い」マインドだったから、無いバイブレーションの創造です。

・隣の豊かさをねたみ、子犬を連れ去り、虐待をしたそのバイブレーションが、がらくたを創造しました。

・臼を奪い、財宝を得ようとしたら、汚物だった。

・羨ましく思いまねをするが、花が咲くどころか大名の目に灰が入り、無礼をとがめられて罰を受ける。

 

 

バイブレーションの違い

「有る」「無し」の視点からの行動で、体験が変わるという象徴的な話です。

 

 

どのような状況下でも

それが

例え、災害時でも、隔離時でも、病氣発症時でも

です。

大きなものを起こして氣づく機会をつくらなくとも、日常のあれこれで、分岐オーダーは起き続けています。

 

どこに視点を合わせ、どのバイブレーションで行動を選ぶことができるのか?

それは

毎瞬テストされ

それがオーダーとなって

体験を創造しているのです。

 

 

日常の家庭の家族の会話のなかで。

そこらへんの井戸端会議のなかで。

テレビへのつぶやきのひとつで。

 

 

 

 

 

さて

この記事もポインターとしてご活用下さい。

この文章自体には意味がありません。

読んだあとの湧き上がりを捉え、それを次の一歩へと動かすきっかけとしていただけたら幸いです。

 

 

 

※現実への対応のレッスンをしていますご活用下さい。

https://www.reservestock.jp/stores/article/1415/24622