内観=口走る言葉 | セルフコーチングをマスターする!!*POF理論

セルフコーチングをマスターする!!*POF理論

自分をポインターにして映し出された
相対の世界を受容することで
その世界の相対である自分を愛する 
 
世界のすべてがわたしと相対との愛の響き

それが宇宙愛の体現者 Cosmic Artist
問題が創られない領域、パートオブフォーチュンを創造できる者


テーマ:

内観

自分の内側を観察すること

 

ここには

自分の思考パターンが

どうなのか?

 

っていう意味も含まれている。

 

 

自分の決めつけ

思い込み

ビリーフ

ともいう。

 

 

全部が同じで

それは

「そういうものだ」って思っていること。

 

 

でもそれ

実は

ひとりひとり違うし

 

そもそも

「そういうもの」っていう因果関係って

ないに等しい。

 

 

上から下に落ちるとか

春には芽が出るとか

この条件だったら雪が降るとか雨が降るとか

 

そういうのも

 

もしかしたら

知らないうちに

条件の方が変化してて

 

条件に合わないことが

人間の察知していないところで

起きるかもしれない。

 

 

絶対などはない。

 

 

そんな絶対などないというなかで

大昔の哲学のなかにも含まれ

現代まで守られてきた

人間のキャッチした宇宙法則なんていうのがある。

 

 

大乗仏教

ルーツは紀元前後

 

もう2000年の時を越え

言い伝えられている哲学。

 

完全であること

最高であること

 

ここが大前提。

 

 

そして

ちらっとキャッチするなかでは

 

 

因果関係の種が潜在意識・集合意識に植えられ

それが芽を出す

 

 

そこに因果関係をつけなければ

栄養を与えない

 

 

そこで重要になってくるのは

感覚

そして

個人という概念

 

 

だからこそ

そのサイクルを知るということで

 

内観

 

をする。

 

 

 

それは

 

その種まき(思考インプット潜在意識)から、刈り取り(物質具現化:現実)まで

 

そのサイクルをもともとの豊かなものに戻すため。

 

 

 

仏教はじめ

あらゆる哲学が広がった大元には

 

苦しみを脱し、至福であるため

 

だろうと思う。

 

 

 

それが

色々な情報となり、拡散されている。

 

 

どれだけ多くの人が、その情報に関わっているのか、しれない。

 

この2000年の間で、言い伝えられてきて、それを具現化できている人がどれくらいいるのだろう。

 

 

 

内観

 

そうはいっても

 

わたしのなかでだって、かなりその感覚は変化している。

 

 

 

だからこそ

 

その言葉だけでは、内を観るということに、とてつもないバリエーションがあるだろう。

 

 

 

わたしのなかでは

 

因果関係。

 

それが一番出るのは

 

とっさの一言だ。

 

 

 

発する言葉そのものが、因果関係。

 

だからこそ、その現実が表れている。

 

 

 

ここ最近、

 

無価値観を覆そうとするような、「やってますよ」をよく観る。

 

やってないだろ?

 

と言われているわけでもないのに、なぜか、「作業」で争いが起きてる。

 

【こちらはこんなにやってます】

 

それは正当化の一種なのかもしれない。

 

それは、鎧でもあり、武器でもありそう。

 

これをやったのだから、終わり、という「ここから入ってこないで」というような、線引きも感じることがある。

 

素直に表現することを隠して、「作業」を通して、何かを表現している感じ。

 

『直接自分の思いを観る』

 

というレッスンが必要だよって言われているみたい。

 

なにかにすり替えず、自分の思いをまずは知る。

 

 

 

 

 

ここにはまず

 

感じる感覚

 

っていうのがあって、

 

不快

 

っていう判断があって

 

争う感覚

 

っていうカテゴライズがあって

 

その争いの感覚によって、闘いを挑まれているような感じがして言葉が出るんだと思う。

 

でもその挑みに乗らないことも選べる。

 

そこで何を選ぶのかは自分だし、それをどう捉えるのかも自分で、その「どう捉えるのか?」

 

という部分が因果関係になっているからこそ

 

言動、とっさの言葉、そこで氣づくことができる。

 

 

 

 

 

 

内観

 

それは因果関係を強めるために使うのではなく

 

氣づいて

 

それに意味を持たないという位置にたったとき

 

何にその意味をつけたいのか?なんでその意味を保持したいのか?

 

を知るためにやる。

 

 

 

 

 

種はすでに蒔かれている、次、その種が芽を出し、実をつけたとき、その種をまた蒔かないことも選択肢にいれるため。

 

 

 

違う認識の側面を自分が持つことになったら、こういう見方もあるよねっていうのが増えたら

 

ただ意味づけしているだけ、どう見たいのかなだけ、っていうのがわかって

 

そこに意味をつけないという意味を与えることもできるし、こんな意味をつけて、種を育てたいっていうのも選べるだろう。

 

行動が変われば、反応も変わる。

自分が変わると、相手(空間)が丸ごと変わる。

 

 

 

 

 

 

自分の行動から、自分の決めつける材料を知って、その材料の調理法を知って、それを食べてるっていうことを知らないと、他にも調理法があって、材料も変化できて、違う味も体験できるっていうことがわからない。

 

色々な料理を食べるため、内観はするもの。

 

同じ味を強め、その料理を食べ続けるためにすることをやめることもできると思う。

 

 

 

 

大日如来が話をするわけではなく、その人だったら、なんて捉えるだろうっていう角度を持つことが可能。全ての人、すべてのものに含まれているコアが大日如来。すべてのものに、大日如来を観じているなら、自分はそれそのものである。

 

内にある、ものが、何者なのかは、外になにを観ているのかというそれそのもの。

 

外をどう認識しているのかが、その人自身。

 

ただただそれを、自分が知り、自分をシフトしていくことを楽しむのがこの世界。

 

それが内観。

 

認識を知るということ。

 

自分自身、それそのもの。

 

 

 

全然、摩訶不思議な話ではない。

かなりシステム的。

 

全部がマトリョーシカ、相似形だから。

シンプルだから。

 

自分の内側での情報葛藤が

外世界との争いにもなり

炎症を創造し

白血球が出動することにもなり

自分の身体のなかでも闘いを起こす。

 

火をつけたのは誰。

燃やさなければならないものをもっていたのは誰。

 

 

 

ただただ

自分の情報整理がうまくできていないだけ。

 

システム。

 

 

とっさの行動

とっさの一言

 

何か言われた時

「そうだよね」

「違うね」

「は?ばかなんじゃねーの?」

 

こういう反応こそが重要。

 

対象物には意味がない、意味を与えているのは、自分の情報の材料なだけ。

 

 

自分が揃えた情報なだけ。

 

その情報を手放せばいい。

 

 

 

 

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