「シングルマザーと手のシミ」
お互いのスケジュールの関係で昨日やっと母の日のランチに行けました!!
78歳の母は、優等生タイプの女性で、私の父はバンドのボーカル&ギターリストのプレイボーイでした。
田舎から上京した母には悪っぽい男が魅力的に見えたのかもしれません。
時代を先取りの「できちゃった婚」と離婚をしています。今は「授かり婚」と素敵なネーミングになりましたね。(^^)
離婚をして、女社長になった母が自慢でした。
小学校で「ママが離婚して社長になったの!!とクラスの皆に自慢していました。隣のクラスの仲良しの友達にも自慢しました。
しかし、大人になり社会に出ると偏見の眼差しがそそがれました。今よりも27年前はシングルマザーへの偏見が強かったです。
母子家庭と言うと、一瞬、相手の目が「可哀想」と言う目になります。
もっと正直に書くと「育ちが悪い」と勝手な想像で思われる事もありました。
母はそれをわかっていたのだと思います。
「母親の職業を聞かれた時には、会社経営者と言いなさい。」
この言葉は覿面でした。
美容室も会社組織です。面接時に母の職業を言うと「だから君は上座下座を理解して、そこに座ったんだね。君の年だとわからない子が多い。」と当時、「育ちの良さが出ている」とも言ってくださいました。
面接してくださった専務のお言葉です。
この時に面接で私が学んだのは、いつも所作の綺麗な人でいることを意識して生きるという事でした。
美容師は人に見られる仕事です。お客様の背後に立つとき、挨拶をするとき、仕事をしている時の姿勢、全てを見られて判断されます。
それから、自分では普通に行っていたことも母を見て自然と学んだことがたくさんあります。
外食の時にお金を払うタイミングや立場は関係なく相手を送ること、などなど
父とは疎遠です。父が自ら望んだことです。
母が父に離婚の条件として望んだ事はただ一つ。「子供達と毎月会ってあげること。」でした。その約束は果たされませんでした。
慰謝料、養育費は一円も貰っていません。逆に可哀そうだからと生命保険を解約して数百万かな1千万かな、金額は忘れましたが、あげていました。かっこいい女です。
長くなってしまいましたが、シングルマザーへの偏見が今の世の中であるかは分かりませんが、偏見をもつのはやめて、困っていたら手伝ってあげることが一番の優しさだと思います。
母を助けたのは友人でした。私の記憶の中にはたくさんの第二の母がいます。その方々にも心から感謝しております。
おまけ
母の手が78歳とは思えないほど綺麗な手になっていました。その理由はLINEを貼り付けますね。
前は運転焼けをしたシミだらけの手でした。
当時はタクシーの運転手さんもびっくりするほどの走行距離を走り、仕事であちこち地方に飛び回っていました。
母は78歳の今も現役で会社経営をしています。
今年、私は役員になりました。誇らしいです。
母はひろみさんちのシリーズの1番のファンです。( ◠‿◠ )
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