毎日、素晴らしい太陽ですね
ずーっとキラキラしていて、見てて飽きないね。
毎日見る景色を、毎日同じだと思う人は、完全に本来の感受性を失ってます。
感覚が、鈍感になってしまっているということです。
白けている、と言い換えることもできます。
これこそまさに、真の自分を放ったらかしにしてきたツケです。
そこに取り組まないということは、自分を放置し続けるということですから、ツケを払い続けるということでもありますね。
あなたは、土に触れてますか
スマホとにらめっこばかりではなく、アーシングしてくださいね
地球に触れることで、体内の余計な電子を逃がし、必要な電子を取り入れる。
私のセッションは、魂のアーシングです。
そのまんまに、戻す。
今年セッションを終えた方は、2021年の終わり、2022年のスタートを、本当に気持ちよく過ごせるはずです
セッションは、100%個性の世界でやることなので、本当に千差万別で、相談者さんの言葉のとらえ方も本当に様々です。
当然、説明も千差万別
だからこそ、ブログを読んでるだけでは伝えられなかったことがダイレクトに伝わり、心から理解できるようになるんです
頭の整理は、部屋の掃除と同じで、最初からスペースがあると、思考の整理もしやすいのですが、ガチガチの混乱状態であればあるほど、結果が早く欲しくなり、不安だけがどんどん膨れ上がり、そこから脱したいがために、血眼になってスマホと自分の頭のなかの行き来だけで、すべてどうにかしようと考えてしまう人もすくなくないのです
無理ですからね
そういう方は、常に周りをコントロールしたいと考える人です。
子どもが○○だったら私は悩まなくていいのに
旦那が○○だったら私は怒らなくていいのに
親が○○だったら私は幸せになれるのに
私が○○だったら人生は最高なのに
これらは、全くの偽りですが、本気でそう信じているんです
もし、運よく○○が叶って理想通りになったとしても、次のダメなところを探すだけなのです。
物でも同じです。
買っても買っただけで満足し、自分の手で楽しむことが続かないからすぐに飽きます。
根本解決をしない限り、永遠に、この繰り返し。
やってもやっても、できたところは充分褒めて活用せずに、次はこっちのできないやつだと、できないことをやれるようにクリアする、自分と戦うだけがことだけが人生みたいになって・・・・
そりゃ疲れるわ
そんなお母さん見てたら、子供だって倍に疲れるよね
そして、子供も同じように生きていく。
まるで、私のダメなところはどこだゲーム
その人は、幸せになるために問題を解決しているつもりなんですが、実はそうではなく、根底では”問題を解決し続けている自分”、 悩んでいる自分に生きている感覚を覚えているんです。
だから、永遠に問題を解き続けます。
まさに、今いる自分の本当のリアルに気づかない限り、問題は解決できないんですね。
誰もが、知らぬ間にこうなります。
辛ければ辛いほど、悲劇のヒロインに浸っているので、自分が辛いことでいっぱいで、全く周りが見えないし、感じている自分の感覚がリアルではなくて、フェイクであるために、自分で自分に気づけない。
やられて嫌だったにも関わらず、同じことをしてしまう・・・・
自分の中に哲学がないからです。
哲学とは、生き方そのものですから、軸の無い親が、子供に哲学を伝えられるわけがないですよね。
子供にとって、子供の頃に必要なものは何だと思いますか?
何だと思います?
何が浮かびますか?
失敗しても大丈夫だった経験です。
失敗するという経験を子供の頃にすることが、もっとも大切なことです。
失敗して、叱責された経験ばかりではダメです。
失敗しても、全部を受け止めてもらえる懐が必要です。
当然、精神的に成長していない親には、できない。
失敗を見守れず、いちいち口うるさく指導してしまう。
むしろ、”あなたのため”という呪いの言葉で、憎しみを愛情にみせかけ、子供の人生に土足で入り込み、あなたの為なのよ!と呪いの言葉をいいながらぐちゃぐちゃにしていきます。
あなたの為と言いながら、相手を縛りつけていくわけです。
こういう人は、まさか自分が、子供の成長を阻んでいることなどとは考えもしません。
でも、リアルでは自分の幼稚な固定概念によって、どんどん子供の可能性を潰しているのです。
満たされない親は、誰かに感謝されることで自我の確認をします。
だから、「お母さんの言った通りでしょう!」と言いたいし、本当に子供の為ではないからこそ、「これだけやってるのに!」と思ってしまうのです。
それでも、その人にその現実は観えないのです。
子供は、そんな親でも、信じるしかありません。
おかしいと思っても、親を信じるしかありません。
これが、後に大きな問題となります。
自分の哲学を持ち、軸があり、一貫性のある親がとる確たる態度なら、子供は一時不満をもったとしても、親との繋がりは絶対に切れないし、本当に自分のためになることがわかるはずなので、おかしなことになりません。
しかし、哲学の無い親というのは、世間を教科書に世間様主体で生きていますから、世間様からはみ出ないようにはみ出ないようにとそこを基準にしてしまうのです。
自分の軸ではなく、その基準に子供を合わせてしまうんです。
だから、子供は愛を感じることができません。
世間を基準にした生き方というのは、一様に自分がありません。
全て、他人基準です。
ステレオタイプの生き方だから、生きている心地がしないのです。
他人に迷惑をかけてはいけません
この言葉をちゃんとつかえる大人は、ものすごく少ないと思います。
親というものは、親になっただけで、子供にこれを堂々と言えると思ってしまうです。
親という生き物は、それくらいバカなのです。
先人は、どんな思いでこの言葉を使ったのか、言葉の真意も深く考えず、口先で使えるような言葉ではないです。
社会基準で生きている人というのは、とにかく自分の考えがありません。
こうしなきゃ! ああしなきゃ!
これはダメだ! あれはダメだ!
人に合わせることで精いっぱいで、疲れているため、ますます考えられなくなります。
他人軸で生きている人は、自分の好きなことが全く分からないという症状が出ます。
これは、ただの結果なので、自分無い時にいくら好きなものを探そうとしても、無駄です。
生命のあるもの、生きている限りは、何かしら他の生物に影響を与えるものなのです。
良くも、悪くもです。
地球とは、それで成り立っているのです。
誰にも迷惑をかけずに生きていくことができると思うことこそが、傲慢そのものです。
部屋に引きこもり、家から出なければ誰にも迷惑をかけないなどと考えるような、独りよがりで幼稚な人間に育てたいですか?
騒げば欲しいものを買ってもらえるというような環境で育つと、子供の能力は潰れていきます。
そもそも、子供にどういう態度を取っていいのかすら、わからない親が多すぎるように思います。
哲学がないので、甘やかすこと、甘えさせるということ、厳しいこと、怒ること、一貫性があるということ、わがままと自由、そういうことの真意が全く分からなくなっている。
全部ごちゃまぜ
過干渉でコントロール欲の強い親に育てられ、言われるがまま生きてきて、こういうもんだと言われて生きて、失敗を許されず、哲学を養う暇もなければ、指示待ち人間の完成です。
親がそんな状態の上に、ネットの影響から瞬時に答えが手に入ることが普通になり、自分で考えることや忍耐も無くなり、その情報を疑うこともなく、見たいものだけを見て、情報が偏り、頭でっかちになり、考え方が狭すぎると、頑固になり、どんどん幼稚になります。
全てを国のリーダーのせいにしたり、全てを親のせいにしたり、全てを誰かのせいにしたり、、、
どんどん憎悪が膨れ上がります。
考えが幼稚だと、物事の片面しか観れないために、憎悪が膨れ上がります。
理想が聖母マリアだと、他人を責められないので、自分を責めすぎて動けなくなります。
幼稚な人というのは、頑固なので成長できません。
成長というのは、今の自分の殻を破ることです。
自分とは違う意見を、一切受け入れることができないと、その人はそこで止まってしまいます。
自分で成長の種を潰していることにも気づけません。
それは、要するに、変化したくないという事なのです。
いくら口で変わりたいといっても、根底がこれでは変われないのです。
自分の本心を知ることが大切です。
そして、自分の本心を受け入れる覚悟が無ければ、知ることは不可能です。
そこを観ない限りは、誰かの力になることはできません。
どれだけ、子供の為に、誰かの為に、社会のために、何か役立つ人間になりたいと願っても、自分自身で生きられない人の愛や誠意はすべて偽りです。
自分の黒い腹を観たくなくない人間ほど、虚無感故に、善意な活動をしたがるのです。
子供の為に何かしたいと思うなら、それは、親が自分自身をまるごと受け入れたとき以外にありません。
他人の為にと思う前に、自分を観ましょう。
自分を観ることができれば、勝手に他人の為になるのです。
本当の意味での手助けとは、自動的になされるものです。
子供は変えようとするものではないです。
家族は、勝手に変わっていくのです。
年末年始、楽しく過ごせそうですよね。
本当に良かったです
人生とは気づきが全てです。
子供って、教えることなんてないくらい、スゴイ存在だってこと、気づいてくださいね。
ではまた
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魂の寺子屋‐organic salon NOEL