今や絶滅危惧種の26インチバイク

組み上げたので試走もかねて近所をポタリング

スペシャライズドのBMXハンドル&シート組み込み

おもろいバイクに仕上がった(^^♪

 

 

 

 

堀川の中間唐戸(水門)

 

 

 

横から

 

 

 

水門内部

この材木は修復用?何に使うんやろか?

 

 

厳島神社

交通の神三女神(サンジョシン)や市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)を祭っているそう

 

 

伺ってはないが門前に「山門不幸」の立て札があった

ここの住職さんはお亡くなりになったようだ

 

 

境内の清掃をされていた青さんご夫婦(氏子代表)

顔も名前も(フルネームでも)掲載OK!との太っ腹!!

お言葉に甘えました〜(^^)

神社建立の経緯やその歴史、

毎年7月に行われる夏越祭(なごしまつり)や

この鳥居で行われる茅の輪くぐりの習わし等々

地元でありながら全く知らなかった事を

たくさんお教え頂きましたm(_ _)m

とても気さくなお二人で終始この笑顔!

お会いできてよかった!

心が豊かだと顔にも出るんだな~とつくづく・・・

気付くとしかめっ面のワタクシ

笑う門には福来る!

お二人に習って笑顔を絶やさぬようしたいもんだ!

でもニヤニヤしてて言われそうな事は

「またエロい事考えとるやろ?」だなwww

 


現在の堀川運河

 

 

 

NHKアーカイブスより

中間唐戸は遠賀川の下流に位置する中間市にあり、

北九州市の洞海湾へと至る堀川運河にかかる水門です。

堀川は、江戸時代初期に福岡藩初代藩主・黒田長政の命により

掘削が始められましたが、長政の死により工事は中断。

約130年後に工事が再開され、6代藩主・継高の時代に遠賀川からの

取水門である「堀川の中間唐戸」が完成し、堀川は開通しました。

堀川は開通以来、多くの年貢米や石炭を運ぶ舟で賑わい、

特に明治時代には筑豊の石炭輸送の動脈として多い年には年間十数万隻の

「川ひらた舟」が堀川を下り、日本の近代化の一端を担いました。

 

 

 

 

大正初期の中間唐戸

 

 

 

現在の中間唐戸

 

 

 

こんな建物あったんだぁ

 

 

 

昭和初期、中期?いつ頃の建物だろう?

何に使われてたのかな?

 

 

中が気になるオジサンです

 

 

 

ほぅ~こんなとこも

 

 

 

ちょっと走ってみた

 

 

 

ちなみにこのバイクだけどタイヤを3.7ブロックから

3.0スリックに履き替えました

ファットバイクとしては細めのこのチョイスだけど

大大大成功!!

街乗りなら極太ブロック不必要論!実用性重視!

コーナーも安定するし何より乗ってて楽しい!

良く転がるし乗り心地も悪くない(^^)

 

筑豊本線遠賀橋橋脚(ちょっと調べてみた)

筑豊の石炭を効率よく運搬するために筑豊興業鉄道株式会社によって

明治24年(1891年)に鉄道が敷設されたとの事

この線路を蒸気機関車が中間市で初めて通ったらしい

この煉瓦造の橋脚は開通当時からのもの

現在も電車が毎日通ってる(^^)

 

筑豊本線遠賀橋

煙を吐く機関車の渡河!絵になったろうね

 

 

紙店って・・・

 

 

 

うひょ~

 

 

 

ト、トシちゃん・・・いつの?っていつからここに?

ほんとに大きなお世話なんだけどこういったディープなお店見ると

どうやって生活してるんかな?とつい思ってまう
 

へぇ~こんなお店あったんだぁ~

近くを走ってたのに全然知らんかったわ

 

 

へぇーここで食べるのかー

 

 

 

このキッチントレーラーで炭火焼するんだって!

 

 

 

全部のせチャーシュー丼!気になるなぁ

今度食べに来よう!

 

 

 

 

 

 

近所をウロウロポタリング!

小さな発見もあり楽しかった(^^)

映えそうなスポットもちらほら

次回は一眼持ってポタろう!