ミナミにある並木座で開催されたイベント「大阪をめぐる能」に行って来ました。

 
 

今回は弱法師(よろぼし)がテーマ。盲になった若い主人公、俊徳丸が転ぶ舞囃子を見て、さりぃは非常に強い印象を受けました。

四天王寺の本坊庭園で行われてたイベント時の写真↓
 

並木座

道頓堀劇場街で、江戸時代はニューヨーク・ブロードウェイのような場所でした。

江戸時代のはじめに芝居小屋が道頓堀に移されたことが劇場街の始まりで、ブロードウェイよりも200年以上早いびっくりマーク以来、明治維新後も歌舞伎人形浄瑠璃などが上演されました。

 

近松門左衛門の芝居も道頓堀が初演の場所で、回り舞台やセリといった現在は標準装備となった舞台装置はここで生まれましたおねがい
 
並木正三という人が装置を考案したことに因んで並木座。

 

 

歌舞伎などの芝居が題材の上方古典落語の舞台は道頓堀ということになります。

 

建物は、香川県琴平の金毘羅歌舞伎が上演される金丸座(日本最古の芝居小屋で重要文化財)を参考にして建てられました。金丸座は当時の道頓堀の芝居小屋を模したものなので、一種の「里帰り」。

 

弱法師

能楽師山本章弘さんが能、弱法師を解説。忌憚がない幅広いコメントが面白かったわ☺

 

現在、上演されているバージョンは世阿弥の息子、観世元雅が書いたもの。

 

世阿弥の書いたオリジナルバージョンも見つかって主人公、シテ、の俊徳丸の妻が登場したり、登場人物はもっと多いようです。復刻上演も出来るらしい。弱法師の面をご披露いただきました。

 

能の主人公、シテ、で盲目なのは弱法師と景清だけらしい。

 

盲や聾の児童を対象としたイベントをされていて、盲の児童の足裏感覚は非常に鋭敏で舞台での立ち位置をよく把握できようです。聾の子供もお囃子を感じることはできるという話でした。さりぃも聾のパーカショニストのコンサートに行ったことがあります。

 

能と舞楽

四天王寺雅亮会小野真龍氏が登場。

 

舞楽だけで、食べている人はいない、という話が出ました。宮内庁の舞楽担当者は洋楽も担当されるそうびっくり真龍氏の本職は願泉寺の住職で、関西大学でも教鞭をとっておられます。

 

雅亮会は、聖徳太子仏教伝来に際して、大陸から伝えたとされる舞楽を伝える団体です。

 
四天王寺の本坊庭園で行われてたイベント時の写真↓こちらは舞楽の蘇莫者。

 

仏教のハードウェアが寺院建築なら、舞楽は仏教行事を彩るソフトウェア。明治維新後、雅楽を代々伝えてきた家が、宮内庁など東京に移ったことから、四天王寺の雅楽を引き継ぐために結成された団体です。

 

雅亮会についてはこちらも↓

 

能と舞楽の共通点

・どちらも仮面芸能

序破急がある(ゆっくり始まって、盛り上がって、最後は早いテンポ)

 

能と舞楽の違い

・能にはハーモニーはないが、舞楽では不協和音を含みながらハーモニーを大切にする

・能には台詞があるが、舞楽にはない

 

四天王寺

この演目の舞台はお彼岸を迎えた四天王寺。現在も続けられている西に沈む夕日を拝む行事、日想観の日の話です。

 

お寺ですが、立派な鳥居があって日想観の舞台。日想観の影響は地下鉄の駅にまで及んで、四天王寺の最寄り駅は「四天王寺夕陽丘」。

 

今は谷町筋が南北に通っていますが、鳥居の先がすぐ海だったようです。

 

 

四天王寺は当時も盛り場で、人の往来も多かった。また、病人や乞食など様々な人を受け入れるアジール(統治権力の及ばない特殊空間、元はドイツ語🇩🇪やったんや)でもあったため、舞台となったようです。

 

 

今でも都会の中にあって聖地というよりもアジール感が多少残ります。谷町筋を挟んだ西側の天王寺公園はおそらく戦後から平成までホームレスの溜まり場でした。

 

奈良の出身の世阿弥はおそらく盛り場であった四天王寺に来たことはあったでしょう。能楽では富士太鼓という四天王寺と住吉大社の楽人の諍いを扱った演目もあります。

 

世阿弥は少年足利義満(16歳)に寵愛されて京の都でメジャーデビュー。真龍さんによると最初に美少年世阿弥(11歳)に目をつけたのは北山文化の確立者の一人で公家で関白にまでなった二条良基らしい。

 

良基と一緒に行動していたので、世阿弥には雅楽の知識はあったでしょうというやったけど、かなりの教養人になったみたいや。これって、源氏物語紫の上、少年バージョンみたい。

 

桂吉坊さん飛入

質問タイムが設けられていて、弱法師にはいろんなバージョンがあることを知りました。

そもそもこの話に因んだ「俊徳道」(乗り降りしたことはないけど)という駅まであるぐらいやし。

 

 

様々なバージョンについては↓。 

 

さりぃが知っていたのは三島由紀夫バージョンでこれは小劇場に見にいきました。落語バージョン菜刀息子(ながたんむすこ)については観客として会場におられた落語家桂吉坊さんが答えておられました。

最近はあまり演じられることはないようです。

 

(終わり)