境内の南から北へ金堂、講堂、食堂と並んでいますが、これは仏法僧を表すそうです。

 

食堂(じきどう)

南北朝時代には足利尊氏の住まいになったこともある食堂。ご本尊は十一面観音菩薩で、四天王が護っていました。昭和の初め、1930年に弘法市(終い弘法)の時の火事(火鉢の上の座布団から)で、焼損。千手観音立像は下半身に延びた手が失われましたが、国宝指定のまま。床が石だったのが不幸中の幸いでした。現在は、宝物館。四天王は炭のようになり、国宝は解除されましたが2019年に重要文化財に指定。文化庁のサイトからの切り貼り。

彼らは今なお、新しく本尊となった彩色が美しい十一面観音(東寺のサイトにばっちりでています)を守っています。↓が詳しいです。

 

夜叉堂

食堂の南側に空海作と伝わる雌雄1対(夫婦といわれる)の夜叉。南大門横にもともとはあったようですが、拝まない旅人を祟ったために引っ越し。修理中だったかで、片方のみでした。覗いても目が慣れるまで待たないと正直何かあるという程度にしか見えません。↓のブログに写真が。ハチの巣が体内にできて像でなかなか迫力があります。

 

金堂

本堂にあたる金堂です。本尊は薬師如来で、空海が東寺を下賜された時にはすでにあったと考えられています、1486年の土一揆(応仁の乱の戦ではなくて)によって講堂と共に焼失。再建は講堂よりも遅れて豊臣秀頼により再建。桃山時代を代表する仏師康正により復興したので、寄木造り漆箔仕上げで、光背の化仏は七つ。薬壺を持たない古いスタイル。

奈良時代後期から平安時代の始めにかけて薬師如来の流行がありました。薬師寺がその先駆け。薬師如来は病気平癒をお願いするというよりは呪詛から守ってくださるのです。

↓お顔の位置にあるまど

 

右側に日光菩薩立像、左側に月光菩薩立像が配置された伝統的な薬師三尊(重要文化財)となっています。日光菩薩、月光菩薩の左右は決まっていないようです。日本の日光菩薩、月光菩薩は外の手に蓮の花を持つそうです。日本の仏像の基本コンセプトとして横の空間的な広がりを重視するのに対して、中国では縦を重視すると、政田さんは言っておられました。十二神将像は如来像の台座腰回りにぐるっと配置されています。各像の頭部には十二支の動物が表現されています。この配置を政田さんは安心のオールスターズとおっしゃっておられました。

 

五重塔

高さ55メートルは木造塔としては日本一の高さを誇る文字通り京都のシンボル。屋根の大きさは上と下で変わらないのですが、これは日本の好みのデザイン。中国趣味の法隆寺では、屋根が上層階に行くほど小さく、より高く見せるデザインになっています。

 

空海が塔建立を唱えますが没後50年も経てやっと完成。奈良のお寺では塔はもっと大事にされて、金堂と塔の創建時期が創建時期が100年近くもずれることはありません。平安時代になって金堂のほうに重きが置かれたようです。耐震構造で、地震には強いのですが、落雷など火災で4度、消失。現在の建物は1644年、徳川家光の寄進。

 

おまけ

「さっきの時雨は、今、東寺のあたりを降っているらしい」大仏次郎の鞍馬天狗が始まります。

 

 

神戸近郊の小学生だったさりぃは東寺について見聞きしたこれが初めて。我ながらよく覚えているわ。ま、新幹線に乗った時に塔はすでに見ていたのかもしれないけど、幼すぎて単に京都のお寺。

 

(続く)