佐伯慎亮(さえき・しんりょう) 【平成29年度 美術部門[写真]】

 

 

 

お爺さん、お父さん、そしてお兄さんがお坊さんという、広島の由緒あるお寺に次男坊として生まれた写真家の佐伯慎亮さん。「絵の上手い」少年は10代で映像の世界に興味を持ち、「手始めに」とカメラを手に取る。縁あって大阪芸術大学に進学すると、在学中の2001年に第23回キヤノン写真新世紀「優秀賞」に輝いた。以来、順風満帆な作家生活かと思いきや「その頃は、寿司屋でバイトばっかしてましたね…」。時にままならぬ日々のなかで、一度は写真から離れた時期もあったと明かす佐伯さん。そんな浮き沈みの傍らで支えとなったのが音楽の存在でした。2013年には、音楽への愛と感謝の想いから「SAVE THE CLUB NOON」(STCN製作委員会)という映像作品を完成させるのですが…、そこでの出来事はまた別の機会に。嬉しいのに悲しい、楽しいけどツラい。人生の折々で両極の感情が内在するような日々を過ごし、やがて「生と死と笑い」というオリジナルのテーマにたどりついた佐伯さん。「あるがままを受け入れる」。そんな心境にも誘われる、写真家と写真についてのお話です。

 

 

「大学生の時に大きな賞を受賞して、喜んだ次の瞬間には後悔していました」

 

29年度「咲くやこの花」を受賞されました。授賞式では普段の“正装”とは違うスーツ姿での登壇でした。

 

しかもトップバッターでの出番だったので緊張しましたが、会場に駆けつけた家族からは「ちゃんと喋れてたよ」と言われました(笑)。名だたる方々が受賞されている賞なので、自分に縁があるとは思いませんでした。

 

 

大阪文化の担い手としても期待される賞ですが、佐伯さんにとっての大阪とは?

 

大学時代の友達がいっぱいいるので、青春時代を過ごした場所ですね。難波にあるライブハウス「難波ベアーズ」にはよく行っていて、今でも大切な場所です。大学卒業後は東京へ行くという選択肢もあったのですが、ベアーズに行けなくなるのが嫌で残ったぐらい。集ってくるバンドの顔ぶれがむちゃくちゃ面白くて。僕も「アウトドアホームレス」というバンドを組んで出演することもありました。今年の夏は、久々にバンドでも活動しましたね。

 

 

急に集まっても、一瞬でまとまる感じですか?

 

むちゃくちゃ曲が簡単なんですよ。一応スタジオは3時間おさえてたんですが、1時間くらい練習して、「オッケーだな」って(笑)。僕の担当はホラ貝(!)。コーラスがメインで、たまに吹くみたいな感じです。

 

 

 

 

大阪では音楽関係の思い出が多そうですね。

 

当時はライブハウスに一応カメラは持参するんですけど、撮らないんですよね。表現者を撮るというのがなんだか悔しくて。俺そんなんじゃねえし、俺がホンマに撮りたいと思ったときにだけ撮るんや、みたいな。今思えば本当にガキなんですけど(笑)。ライブで刺激を受けて、写真はライブハウス以外で撮る、みたいな感じでした。

 

 

表現者としては、中学生の頃から日本画の教室に通われていたそうですね。カメラ同様、“風景を切り取る”ことに関心があったのですか?

 

全然ないですね。当時は父親に言われて教室に通っていました。「お前は絵ぐらいしか秀でたものがないから」と。親父も美術といえば日本画ぐらいしか知らなかったと思うんですよね。周囲からはそれなりに「絵が上手い」と言われていたようで、大学へ進学するなら美大しかないだろうと。

 

 

当初は、塚本晋也監督の映画『鉄男』に衝撃を受けたこともあり、映像学科を志望されていたそうですね。

 

映画は好きで高校時代からよく観ていました。機材に触れたことがなかったので、ビデオ以前にまずカメラだろうと。高校時代からカメラを持ちはじめて。結局、希望していた映像学科のある京都造形芸術大学の短大には受からなかったんですけど。そんな時、知り合いだった大阪芸術大学の先生に「写真学科を受けてみたら?」と誘われるままに受験したら、そこだけ受かりました。学んでいくと案外写真も面白くて、ハマりましたね。

 

 

 

 

大学時代はどういうものを撮られていたんですか。

 

友達との写真とか、日常のスナップですよね。学生寮での生活だったんですが、部屋は大家さんに内緒でバーに改造してました(笑)。大阪の「digmeout ART & DINER」の古谷高治さんが、その当時やっていた「タンクギャラリー」にも顔を出すようになって。展示のたびに色んなひとが集まるので、ギャラリーの壁をペンキで塗り変えたり。ある時、写真家の野村浩司さんが展示をするというので、マクドナルドを報酬にスタッフとして搬入の手伝いをしました。野村さんは、岩井俊二監督の映画『undo』『PICNIC』のスチール撮影をしたり、CDジャケットや雑誌などの媒体でよく国内外のミュージシャンや俳優を撮っていました。写真はもちろん人柄もすごく素敵な方で、ただ作品を見て「すごいっすね」と言うだけじゃなく、「俺はこういう人間なんだよ」と伝えたいなと思ったんです。でも当時は、自分が何者かを提示できるものが何もなくて。ちょうど大学三回生の頃でした。

 

 

その悔しさが、後に思わぬかたちで実を結ぶことに。

 

そこから半年かけて自分が撮りためていた写真をブックにまとめて、東京の野村さんにまで見せに行きました「あの時はお世話になりました」って。そしたら野村さんも案外面白がってくれて、「キヤノンの公募展があるから送ってみたら」と。そこでまた半年間粘って、作品として練り上げたものを提出しました。

 

 

それがキヤノン写真新世紀で「優秀賞」を受賞した作品集「hsw!」ですね。公募作品として練り直すことで、見えてきたテーマなどはありましたか。

 

結局、ティーンエイジャーのモラトリアムな感じというか。そういうのが数年前ぐらいから写真界でもはやっていたし、その真似事みたいなことですよね。作品としてまとめていくうちに、「結局誰かの真似をしているだけか…」と自分の底が知れたり。でも、これで受かれば儲けもんかとも思っていたんです。

 

 

実際にタイトルを手にされてみて、いかがでしたか。

 

いや、嬉しかったですよ。めっちゃ喜んだんです。じつは一ヶ月も前に受賞の連絡は来ていたらしいんですけど、ちょうどインドに旅行中で、電話が全然つながらずまったく知りませんでした。インドから帰国してポストを開けたら、キヤノンからの通知が2、3通入っていて「わー!」とポストの前で飛び上がって喜びました。帰国したら実家の寺で坊主の修行をすることが決まっていたので、これで写真家としてやっていけると。学生時代で貰える賞としては結構大きいものでした。この賞があるから、今でも写真を続けられているって感じです。でも、飛び上がって着地した瞬間に「やってしまった」という後悔がわいてきたんです。

 

 

 

 

やってしまった、とは?

 

他人の真似事で、誰かに評価されてしまったと。それはこうなんかね、ズリッとしたような、ぬめっとしたような、嫌な感触でしたよ。素直に喜べないみたいな。

 

 

真似したことは、自分が一番分かっていることですもんね。

 

そうなんです。表紙はあのイメージで、タイトルは誰々のCDジャケットのこの文字面だけを取ってとか。始まり方はヴォルフガング・ティルマンスで、終わりかたは大橋仁さんの写真集を参考にしていました(笑)。それでも真似すれば、自分のものにはなってたんでしょうけど。でも、「やってしまった」感がすごいありました。

 

 

とはいえ、当時は大学在学中で学びの最中でもあったわけですし…。

 

90年代は写真ブームがめちゃくちゃあって。ヒロミックス、蜷川実花さん、長島友里恵さんという女性3人の木村伊兵衛賞作家にはじまり、佐内正史さん、大森克己さんが出てきて、アラーキー(荒木経惟)ブームも起こって。世間では女子高生が写真を撮りはじめるようになった。僕らが大学生の頃は、そういう時代を少し経た時期だったので、参考になるような過去の作品はいろいろありました。大学の友達にそういう時代の流れを引き継いで「俺は女の子をかわいく撮るぜ!」みたいな、写真に詳しいやつがいて。そいつからいろいろと話を聞くうちに俺も写真について知るようになり、その流れで作品を作っていった感じでしたね。吉永マサユキさん、川内倫子さんとか、あの世代に影響を受けたものとして僕や浅田政志くん、川島小鳥くん、ちょっと若いですけど梅佳代ちゃんが同世代にいて。みんなどんどん有名になっている。

 

 

 

 

写真にハマっていったのは、そういった友人らの影響や時代背景もあったのですね。

 

そうですね。海外の作家ではアンリ・カルティエ=ブレッソンが好きでした。写真行為として一番いやらしさがなく、ただただ「ええ写真やん」ていう。ブレッソンの明快で面白い写真にはすごく影響を受けました。でもそれ以上に、もっと訳のわからない感動という意味では、ティルマンスの存在はデカかったですね。洒落てるのに社会的意味合いも強くて、美術やファッション、全方向で語れるみたいな。その広がり具合にも影響を受けました。

 

 

「荘厳だけど笑える、アホなのにカッコいいとか1枚にいろんな感情を収めたい」

 

作品集「hsw!」で喜びと後悔の念を味わった後、どのように気持ちを立て直しましたか?

 

作品集「hsw!」の中に1枚だけ特別な写真がありました。フィリピンで撮影したもので、卒塔婆の前をアヒルがガーガーと鳴きながら横切っている写真です。その1枚には、今までとは違う感触がありました。

 

 

 

 

写真は19歳のとき、戦没者供養のためフィリピンのレイテ島を訪れた僧侶であるお祖父様に同行して撮影されたものですね。

 

『レイテ戦記』(大岡昇平著)にもありますが、広島県福山市からも多くの兵士が出兵しました。ある日、兵士の子孫たちが慰霊団として現地へ向かうことになり、お坊さんを探しているというのでうちの爺さんに声が掛かりました。爺さん自身はレイテ島には縁がなかったのですが、シベリア抑留の前にソ連で一緒だった戦友たちがみんなレイテ島へ向かう海路の途中で亡くなられたそうで。爺さんも「南方には行ってみたいんだ」と、申し出を引き受けました。俺も一応カメラを引っ提げて同行しました。

 

 

あの1枚は、思わずシャッターを切りたくなるような瞬間だった?

 

だって、こっちはレイテ島に向かって卒塔婆を立てて拝んでいるんですよ。島民の方々も遠巻きに見守っているような中で、アヒルがガーガーとお構いなしにやってきた。ぶち壊しですよね(笑)。その瞬間「撮らなきゃ!」と、シャッターを切っていました。写真を見て、いろんな感情が入り乱れる瞬間を撮れたような気がして。荘厳で厳粛な雰囲気のところにも笑える瞬間があるんだなって。そういう1枚を目指したいなと、その時はじめて思ったんですよね。なかなか撮れないんですけど。やっぱり狙いすぎると、逆に難しいなと。

 

 

 

 

「生と死とユーモア」というテーマも、ここから誕生したのですね。

 

そうですね。もともとお寺の出身だから「生と死が身近なんですね」とかよく言われるんですけど、自分ではあんまり関係ないのかなと。正直、そこには疑問があるんですけど。どうなのかな。まあ、それもあるんだろうけど、それ以上に読んだ本の影響とかもあるのかなと思います。

 

 

その意味で、今の佐伯さんを形作っているものとは?

 

音楽だと友人のバンド「オシリペンペンズ」ですね。ベアーズでも彼らの演奏を聴いて、勝手に悔しい思いをしてきたんですけど(笑)。あとは、ギターやボーカルとしてさまざまなユニットに参加している山本精一さん。「ボアダムス」「羅針盤」「想いで波止場」の曲は今でもよく聴きます。みんなに共通しているのは、アホ満開にぶっ飛んでいながら、音楽はめちゃくちゃカッコいいってところ。アホなんが好きなんです(笑)。「オシリペンペンズ」にしても、めっちゃ笑えるけど、歌詞やライブでのパフォーマンスは真面目にめちゃ感動するとか。僕の嫁さんのバンドでもある「あふりらんぽ」も突き抜けまくった、全く意味の分からないアホさが全開で。なのに音楽はめちゃくちゃカッコいい! 僕にはなかなかできないことなので、憧れですよね。

 

 

 

 

音楽以外ではいかがですか。

 

写真家の藤原新也さんですね。昔、(『東京漂流』『メメント・モリ』などの著作で)犬が人間を食べている写真があって、それを見たときは衝撃的でした。作家では深沢七郎さんが好きですね。姥捨伝説について書いた『楢山節考』とか、もうなんかすごくて。めちゃくちゃ面白くて泣けるみたいな。『笛吹川』も大好きですね。あと、ミュージシャンの三上寛さんも好きで、彼の詞学校には生徒として通っていました。

 

 

一方、ご自身も作家として、これまで2冊の写真集を出版されています。ファースト写真集は2009年『挨拶』(赤々舎)、最近作は2017年『リバーサイド』(赤々舎)。それぞれどんな思いで作品にまとめられたのですか?

 

笑えるけど生き死にも同じ本の中に入れたいという思いは、どちらにも変わらずありました。2017年の『リバーサイド』の方が、より家族の登場が増えているので、僕にとって一層身近になったかもしれませんね。2001年にキャノンの賞を貰って、写真をやるもんだとばかり思っていたんですけど、当時は寿司屋でバイトばっかしてましたね。29歳で写真集『挨拶』を出すまでに8年ぐらい間が空いちゃって。その間も写真は撮っていたんですけど、だんだんと写真が面白くなくなってきて。いっぺん写真から離れて、音楽をやり始めた時期でもありました。

 

 

心境にどんな変化があったのでしょう。

 

賞を受賞後、大学卒業とともに一度、3,000枚の写真を床一面に敷き詰めるという展覧会をやったんですよ。そこからもう「気持ち悪い」みたいな感じで、写真が嫌になっちゃったんです。逆にライブハウスにはよく行くようになって、誘われるままにバンドを組みました。でも音楽の才能はなさすぎた(笑)。ライブで受けた刺激を自分の写真にぶつけるという行為を繰り返すんですけど、そこでもあまり上手くいかなくて。そんな時、「展覧会に参加しませんか」と、お誘いを受けたんです。

 

 

 

 

それが、2007年ドーンセンター(大阪府立女性総合センター)の地下プール跡で開催された展覧会「コミカル&シニカル:韓国と日本の現代写真/二人の女性のディレクターから見た一側面」ですね。

 

韓国人8人、日本人8人の作家による合同展に出展しないかと、小林美香さんとサードギャラリーの綾さんが声を掛けてくれました。そこで、久々に写真を掘り起こして展示をしたら案外評判が良くて。会場がプール跡というちょっと変わった企画で、ジャグジーの横の壁が空いていたので、そこに富士山の写真をボーンとでっかく引き伸ばしたものを展示して、そこだけ銭湯みたいな感じにしたりして。そしたら、見に来てくれた出版社のひとから「本を出しましょう」と誘われました。「え、マジっすか?」って(笑)。日本人8人のなかには梅佳代ちゃん、浅田政志くんもいて。彼らとはその展覧会で出会いました。他にも、最近写真集『Moving Plants』を出された渡邊耕一さん、『軍艦アパート』の山下豊さんとか、その後も活躍されている方たちが顔を揃えていましたね。

 

 

佐伯さんの写真熱もそこから再燃したんですね。

 

写真に呼び戻されました。ただ、『挨拶』を出すまでにはその後3年ぐらいはかかったんですけど。なかなか出版社のひとと意見が一致しなくて。最初は笑える写真ばかりを集めて、そこにインド旅行で撮影した川岸の死体の写真がドーンと来て、そのギャップで見せようと話してたんですけど、その笑いの部分がちょっと分かりにくいから少し減らしてとか。ああでもない、こうでもないと話し合いを重ねて。ようやく出版されたときは、「やっと出せた!」という思いでした(笑)。ありふれた日常の意識するまでもなく当たり前にあるもの、そういう意味合いで、タイトルは『挨拶』に決めました。

 

 

 

 

『挨拶』から8年後、2017年に2冊目の写真集『リバーサイド』が発売されました。

 

作品がたまるのにそのぐらいの時間が必要だったということでしょうね。『挨拶』を出してからフリーでカメラマンとして働き始めて、仕事をしながら作家としてのスイッチも常にオンというスタンスでした。

 

 

『リバーサイド』は、ご家族の写真が多いですね。

 

「家族を撮っている写真家」というのが、なんか落ち着かなくて。もっとスナップをばりばり撮っていきたいんですけど。3人の子供の子守りばっかりしているので、しょうがないです。子供を置いて海外とかまで撮影しに行くタイプでもないですし。やったら家の中がぐちゃぐちゃになっちゃうもんで(笑)。でもそろそろ子供も大きくなってきたんで、そういうのもあと少しかな。

 

 

「生と死とユーモア」というテーマも強く感じる1冊です。

 

『リバーサイド』に関して言えば、母親が死んだ前後の時間が切って入っています。入れるかどうか迷うような写真もあったんですけど、最終的には「普通にいい写真だから」と編集の方とも話をして、入れています。葬式の日に撮った写真と似たような写真が、写真集の最後の方にもう1枚くるんですけど。妻と息子が写ったその1枚が撮れるまで、なかなか本になりませんでした。何かが足りないと思っていたんですよね。結局、母親が亡くなって3年後ぐらいにその写真が撮れたんですけど。どちらも部屋に差す光をとらえた写真です。その光が、母親と自分の子供をつないでいるように感じて。その1枚が撮れたとき、「あの母親の写真とつながるわ!」と思い、本として完成させることができました。

 

 

 

 

 

前作『挨拶』が鑑賞者それぞれの記憶にリンクする日常の断片だとしたら、今作『リバーサイド』では一本筋の通った、時間軸を旅するような感覚が味わえるのかもしれません。作家としては写真集というのが、ひとつのゴールでもあるのでしょうか。

 

写真集として写真を見るのが好きなんですよ。はじまりと終わりと装丁の仕方を見ているだけで楽しい。ちゃんと間をもって編集されている写真集だと入り込むじゃないですか。その時間とかも楽しいです。何でこんな編集にしているんだろう、この並びにはこんな意味があるのかなとか、勝手に妄想するのが学生のころから好きでした。映像と違って自分のペースでめくれるのも良いですよね。一番最初に手にした時の衝撃や、数年後に見返すとまた全然違った印象を抱いたり。本棚でずっと背表紙だけはこちらを向いてるけど、力がある本はそこから取り出してまた見たくなる。そいういうパワーのある本を作りたいなと思うんですけど、なかなか、どうなんですかね。ただ、自分で実際に編集したブックが印刷物されて、どこかの知らない誰かに届くというのは嬉しいことだなと思いますね。

 

 

「写真って撮り尽くされている。でも、見たことのない何かってまだあると思う」

 

現在、ビジュアルアーツ専門学校の写真講師としてもご活躍です。

 

今の若い子たちは普段から当たり前のように写真に触れているので、撮るのも上手いです。でもそこから作品としてどう作っていけばいいのか、分からずに悩んでいる子も多い。どんな芸術活動にも「毒出し」みたいなところがあると思うんですけど、いろいろ悩みはあるけど、でも作品として表現するにはそこまで毒が育っていない。そういう子には「じゃあ、文章で書いてみる?」とかアドバイスしたり。まだ10代なので、いろんな悩み相談にのってあげられればという感じです。

 

 

この秋には、咲くやこの花コレクションのイベント「佐伯慎亮 写真ワークショップ」でも講師を勤められます。どんな教室になりそうですか?

 

今回は『光を見つけよう!』をコンセプトにしました。最初に「ぼくの写真について」お話させていただいて。その後、「まずは撮りたい光を探して…」というところから、写真が完成するまでの過程を僕の写真を踏まえながら、前半の小一時間で説明できればいいのかなと。自分の中で、構図や被写体の面白さなど3つぐらいの要素が揃えば強度のある写真が成立するというイメージがあるので、本番までにちゃんと言語化しようと思います。

 

 

 

 

 

レクチャーから実践まで、ランチ休憩を挟んでじっくり学べそうです。

 

撮影場所も当日までにはロケハンして、周辺のポイントをおさえた地図なども用意できればいいなと構想中です。撮影後には写真を印刷して、最後の小一時間で合評会まで行う予定です。

 

 

佐伯さんご自身は、写真家として「やっててよかった」と思うのはどんな瞬間ですか?

 

やっぱり、見たことのない写真が撮れた時ですよね。写真って撮り尽くされてると思うんですけど、「見たことのない何か」っていうのも、まだいくらでもあると思うんですよね。『リバーサイド』の一番最後に収録した、でっかい石が立っている写真も「絶対に誰も撮ったことねえわ」と思える1枚です(笑)。横で手を伸ばしている娘の手の影が、その石に写ってるんですけど、あの写真とか最高やなと。そういう「かっこいいー!」って自分でも思えるような写真って、まだきっとあるんですよね。

 

 

 

 

昨年は大阪から淡路島に拠点を移されたそうですね。今後の展望は?

 

島内でスナップとかを撮っていきたいですね。山と海、川とかもあるような田舎暮らしがしたくて、昨年の11月に引っ越しました。来て思ったのは、淡路島は濃い。海を相手にした生活は初めで知らないことばかりです。地元の人達も優しいし面白い移住者も多くて個性的な人が多いですね(笑)。競馬で殺傷処分される馬を引き取って、馬と共存する暮らしを再生させようとしている同い年の方とか、藍染の作家さんはふたりぐらい。土地を借りて農業を始めるひととか。自然農も盛んだし飯はうまいし、野菜や魚は人づてに貰うことの方が多い。あと猪肉、鹿肉とかね。鹿が捕れたからと聞いて子供たちをぞろぞろ引き連れて、捌くところを見せてもらったり。その晩は、肝臓を食べるんですよ。鹿の生レバー。もちろん自己責任ですけど、食べるとびっくりするぐらい旨いんですよ。「俺はこれを食うためにこの島きたんだ!」と衝撃が走るぐらい奇跡的な旨さ。そういう感動って、やっぱりありますよね。子供が怯えながら鹿を捌くのを見ているのもすごくいいですし。案外、大阪にもすぐ来れますし。楽しいですよ淡路島!!

 

 

◎取材・文・撮影=石橋法子(インタビュアー)

 

 

★大阪名物を訊く!【私の、咲くやこの花賞】……

 

やっぱり大阪の独特の音楽文化ですかね。オシリペンペンズ、あふりらんぽ、山本精一さんにしろ、大阪からしか出てこないミュージシャンだと思います。アングラかもしれませんが、世界規模で活動しているミュージシャンもめっちゃ多いです。

 

 

 

 

 

★イベント会情報……

咲くやこの花コレクション/佐伯慎亮 写真ワークショップ

『光を見つけよう!』今日からあなたも写真家!?

●日時:2018年10月20日(土)、11:00~17:00(昼休憩あり)

●会場:SPACE9(あべのハルカス近鉄本店ウイング館9階)

●料金:3,000円 ※レクチャーのみ参加の場合は1,000円

 

【予約・詳細は公式サイトまで】