鶴澤寛太郎(つるざわ・かんたろう) 【平成30年度 演劇・舞踊部門[文楽・三味線]】
 
 
 
 
国の重要無形文化財であり、ユネスコの無形文化遺産にも登録される、文楽。太夫、三味線、人形遣いが三位一体で物語る、大阪発祥の伝統芸能です。中央区にある国立文楽劇場を拠点に、文楽三味線奏者として活躍する鶴澤寛太郎さん。曽祖父の六代鶴澤寛治、祖父の七代鶴澤寛治が共に人間国宝という家系に生まれた、超サラブレッド。さぞや順風満帆かと思いきや、その歩みはトライ&エラーの連続。手探りで切り拓いた半生でした。おのずと後輩に注がれる視線は優しく、文楽の未来を見据える横顔も頼もしい。そんな次代のホープの“現在地”に迫ります。
 
 
「中学生のころは学校でも劇場でも、所在なかった」

平成最後となった30年度に「咲くやこの花賞」を受賞されました。
 
ビックリしました。年齢的にもキャリア的にもいただけるとはまったく意識もしていない段階でしたので。受賞された先輩たちをみても基本的には40歳ぐらい、キャリアも20年を越えてから。「僕なんですか?」という感じでした。
 
 

キャリア10年、20歳を越えたあたりから毎年のように賞を受賞されています。
 
劇場と文楽協会関係の賞が多いですね。基本的には「頑張りや」という意味合いもありつつの賞なのかなと。ここまで大きな賞は初めてでしたので、嬉しかったですね。名前を挙げていただいた方のためにも、期待に応えたいですね。
 
 
祖父である七代鶴澤寛治に入門されたのは1999年、12歳の時でした。
 
まず祖父には6歳からお琴を習っていました。弟二人も一緒に男兄弟三人で。三味線は、国立文楽劇場で聞いてるうちに、何の気なしに「三味線のほうが好きかな」と言ったことがきっかけです。祖父にエンジンがかかってしまった。うちの世界は世襲制ではないんですけど、「三人ともやるか?」と祖父が聞いたら、弟たちは「そんなん面倒くさい」と逃げたので長男の僕だけ。そもそも二人はお琴もやめたかったみたいで(笑)。三味線はヴァイオリンみたいに子供用のサイズがないので、少し体が大きくなってから始めましょうと、小学5年生から習い始めました。
 
 
 
環境がそうさせた部分もあると。
 
そうでしょうね。たまたま僕が長男で弟が産まれるたびに、母方の祖父の家に預けられていた。それが後に師匠となる七代鶴澤寛治の家でした。初孫ですしきっと可愛がられてたんだと思います。朝となく夜となく誰かがお稽古に来ては、三味線の音が鳴っていた。祖父が舞台中の時は家で留守番できへんからと、一緒に劇場にいって楽屋を走り回ったり。だから、自然と三味線の音は耳にありました。“知っていた”ということが、人よりは少しアドバンテージになっているのかもわかりません。
 
 
幼いころは、劇場が遊び場に?
 
そうでもなかったですね。当時は子供が楽屋にいるというのが環境的にそこまで受け入れられてなかった。扱いもみんな難しくお互いに見合う、みたいな(笑)。もちろん、何人かは可愛がってくださる先輩もいて、裏方さんにアイスクリームを買ってもらったり。文楽に興味があって来ているわけじゃないので、舞台もロビーや客席で観てましたが、ほとんど寝てましたね。
 
 
それが、導かれるように入門。13歳で初舞台を踏まれます。
 
不思議な入り方やと思います。近年では子供がデビューするのは、異例なことでした。僕の前に義務教育の間に舞台に出たのは、鶴澤清治師匠まで遡る。50数年いなかった。劇場内の方々にもご尽力いただき、中学生だったので、協会とも特殊な内容で契約してもらいました。でも当時は、自分の気持ちと周りのテンションとの間に違いを感じていて、悩んだこともありました。中学校時代はしんどい時期が多かったように思いますけどね。
 
 
 
 
お友だちとあまりにも生活が違うから?
 
所在ないというか。学校にいっても結局、早退か遅刻か欠席が20日間ぐらい続くので。学期の頭から中間、中間から学期末のどこかはスポッといない。その間に遠足があればもちろん参加できませんし、放課後も友達と一緒に遊びにいけない。座内の人たちも、誰も何も言ってくれないことが多かった。
 
 
何も言ってくれないとは。
 
舞台と師匠の身の回りのこと以外何も知らない自分、昔のしきたりやルールに従って判断し僕に指示する師匠、現代のいち若手技芸員として当たり前の振る舞いを求めたいが、どう指摘して良いかわからない周囲の先輩たち。それぞれの立場で思惑がごちゃごちゃに絡まって、お見合いになっているような状態でした。
 
 
文字通り初心者の状態で。
 
楽屋でも誰の手伝いをどこまでして、何をしてはいけないのかが分からなくて。廊下歩いてるだけでも色んな人から怒られてるような感覚でした。結局、祖父は師匠と弟子というよりは祖父と孫という関係の方が、とくに小さい時は強かった。祖父に「わしが舞台の間にあれとこれとやっときや」と言われ、その通りにしてると「きみ師匠の舞台は裏で聞いとくもんだろう。なに遊んでんねん」となるわけですね。周りは僕が祖父から指示を受けてたことを知らない。内心では、(言われたのにな~)と思いつつ、「はい」と答えて。やったり、やらなかったり(笑)。稽古時間の変更を知らされないこともありました。本当に些細な行き違いなんですけど。
 
 
 
 
そんな手探りの中、どのように気持ちを建て直されていたのですか。
 
自分の中では祖父の教えがすべて正しいと思っていましたけど、まず「そうじゃないのかもしれない」と気づくのに時間がかかりました。祖父と周りとの意見の間でどこでバランスをとるかで悩んで。中学3年間はずっとやめたかったです。それが、高校生になると「ま、いいか」と少し開き直れるようになったというか。実際に学校に行きながら「やれるとしたらどこまでだろう」と冷静に考えられるようになりました。
 
 
やがて高校も卒業されて。
 
卒業してからは、随分楽でしたね。三味線だけやってればいいんだと。それ以降は、楽しくやらしていただいてますけどね。
 
 
今思えば10代で受けた試練も糧になっていると?
 
よかったとは思わないですけど(笑)。これから入ってくる若い子たちには、同じ思いをさせたくないという気持ちだけはあるから。当時自分が嫌だと感じていたことは、せずに済んでますよね。
 
 
 

「一番は気迫とか、音以外の“何か”を出せているかが大事」
 
2001年、師匠の七代鶴澤寛治の襲名に併せて、初舞台を踏まれました。気持ち的には揺れ動いていた13歳で迎えた節目です。当時のご心境は?
 
とくに何も意識することなく舞台に出て、口上幕がついていたので、ズラッと祖父とともに並んで、みんなが口上を言ってくれるのを頭下げながら聞いていました。で、いざ本番。初舞台はお琴やったんですけど、舞台に出たら普段とは聞こえ方が違うのと、人に観られてるというのでパニックになってしまった。初日から3日目ぐらいまでは、お琴を演奏しながらその旋律を鼻歌で唄い、見失わないようにしていたことを覚えています。
 
 
 

普段から緊張される方ですか。
 
緊張してないように見えると言われるんですけど、すごい緊張してる。心配しいで怖がりなので。ああなるかも、こうなるかもとシミュレーションして、準備をしている感じです。みんなに意外ってよく言われるんすよね。舞台の上ではふてぶてしく見えるわって(笑)。でも、めちゃくちゃ色んなことを気にしてる。特に三味線弾きというポジションが、そうさせる部分もあると思います。
 
 
おのずとお稽古時間が長くなりそうです。
 
三味線弾きはしょうがないですね。まず太夫さんの語る文章を覚えないといけないので。暗記という作業だけで、膨大な時間がかかります。そこから音の質とか間、空間づくりにこだわっていくと、きりがないという感じですよね。
 
 
お稽古は好きですか。
 
いやー。弾くこと自体は楽しいですけど、暗記は昔から嫌いです。みなさんも受験勉強などで経験があると思うんですけど、暗記って、今日完璧に覚えたと思っても翌朝起きたら全部抜けてたりするじゃないですか。その繰り返しです。「よし、一曲覚えた!」と思っても、翌朝「一応さらえとくか」と思ってさらえると、ほとんど覚えてなかったり、同じところでミスしたり。本当に絶望するんですよね。
 
 
 
想像しただけで、手に汗握ります。
 
いやほんまにね。毎日同じこと繰り返してね、日が進んでないんじゃないかなと思うんです。怖いですほんとに。進歩ってあるんかなと思って。このまま覚えられずに日だけ経っていったらどうしようって、すごい怖いんですけど。でもどっかで突然スッと入るときがあるので。座内でも一部の人は、楽譜が写真のようにそのままパシャッと頭に入るという人がいます。でも僕は仕組みが理解できないと覚えられない。太夫さんがこう語るから、ここの間にこう入る。だから次の手がこうなるし、みたいな。全部がうまく組上がっていかないと覚えられないですね。
 
 
演奏のする際、一番意識されることは?
 
演目によっても違いますが、一番は“音以外の何か”を自分の中から出せているかどうか。そこが大事だと思うんですね。いい音、大きい音はもちろん大前提として、それ以上に空気感やうねり、すごい雑な言葉でいうと「気迫」とか。そういうものが出せれば、お客さんは無意識のうちに物語に没入し、感動する。ただ、三味線はあくまでも太夫さんとのバランスを見ながらやっていく仕事なので、俯瞰しながらも集中して深く物語に潜っていかないといけない。どこに立ち位置をとるのかは悩みのひとつですね。でも、その没入感が緊張した間を生み、一気にぱっと弛緩して華やかになったりする。そういう間の操作、空間の支配につながってくると思っています。
 
 
 
寛太郎さんは三味線の表現には、「音色・情・模様」があると表現されます。
 
音色は、撥や左手をいかに違和感なく滑らかに使えるかという技術的な下地の上に、どれだけ物語や太夫さんのやってることへの理解があるかで変わります。模様というのは、物語の中の何を表しているかを意識することで変わってくるもの。例えば、とぼとぼと登場人物が歩いている。その“とぼとぼと歩いている様子”を表すのか、または歩きながら通りかかったお茶屋がどんちゃん賑やかな様子を表現することで“とぼとぼ”とのコントラストを際立たせるか。意識の仕方、解釈の違いで同じ旋律でも表現が変わり、生きも死にもするんです。
 
情も似たようなもので一音のツン、テンが何を表しているのかを意識すること。雪を踏みしめる一歩のテンか、悲しくて涙が落ちるときのテンなのか。そういうのを表現しなさいとずっと言われてきて育ったので。そこが意図した通りお客さんに伝わって、人形が涙を流しているように見えると、それを観てお客さんも一緒に涙を流す。そういう情や模様を伴った一音を弾くことで、空間を支配できれば、それは三味線弾きとしては“トップ・オブ・トップ”の技術ですよね。
 
祖父や今の竹澤宗助師匠もそうですが、あまり自分自身がアクションをしない。静かに動かずに弾く三味線弾き。文楽の三味線弾きというのはどちらかというと静の美というか、音は激しいんですけど、自分は静かに佇んでいるのを良しとしてきたので。そういう風にいたいなとは思うんですけど。激しく語る太夫、舞台上で動く人形、その上に三味線弾きまで動いていたら、フリースタイル過ぎてパニックですよね(笑)。本当に僕は、耳と空気感担当と思ってやってます。
 
 
「これまでの感覚的な伝承を支える、科学的根拠が欲しい」
 
三味線のどこに魅力を感じますか。 
 
楽器的にも演奏的にも、はっきり解明されていないのが魅力であり、課題でもある。もう少し体系立てて分析されてもいいのかなとは思います。お客さんは同じ音に聞こえると仰るんですけど、人によってかなり違う音が出てるなと思うんですよね。とくに僕らが使う義太夫三味線は、研究や修行のしがいがある楽器だなと思います。
 
 
 
 
深く掘り下げる作業はお好きですか?
 
嫌いではないですが、僕が楽器に触れる前にきっちり研究しておいて欲しかったです(笑)。300年の歴史の中で結局、口伝が多すぎた。口伝だけでも健全に伝承していくことが可能だった時代はいいですよ。でもそうやって失われていくものの方が、今は多いわけですね。研修制度も50年近く続いていますが、教科書はいまだにない。作れないという意見もあるし、極めて作りにくいことは事実ですが、作る方法は模索するべきだと思います。最低限の座学的に目で捉えられるようなものがないと、これからの若い人たちには受け入れられない。僕らも情報は蓄積されますけど、それがいつでも必ずすぐに引き出せるわけじゃないですから。
 
 
教科書があれば、学校という発想も生まれます。
 
そうなんですよ。それがあることで文楽に興味をもったり、一皮も二皮もむけて上手くなれる子達がいっぱいいる。「何でこれこうなってるの?」という疑問に対して、理由とか根拠が全部なくなって形骸化してしまうと、よくわからない、似て否なるものに成り下がると思うんですよね。
音大とか芸大にも文楽義太夫三味線の授業はないんですよね。学校もダンスは必修やけど、日舞は必修じゃないとか。そこもどんどん日本固有の伝統的なものと現代人に距離感が出てきている。僕も最初から文楽という芸能が好き、というわけではなくて、子供のころから三味線という楽器が近くにあったから、この世界に入ってるわけじゃないですか。近くにあるだけでこの世界に入る人間がいるというのは、自分で分かってるので。すべての人に必ず好きになってほしいわけじゃなく、「こんな世界があるんだ」ということは、みんなに知ってほしいと常に思っています。
 
 
 
 
これからの人のために。
 
以前ヴァイオリンのストラディバリウスを研究するテレビ番組を見たことがあるんです。それまで“ニスに秘密がある”と言われていたのが、全然そんなことがなかったり。木の年代や材質、弾いたときのたわみ、さらに弾いてる人をヒートマップで映してみたり。色んなことを分析されていた。三味線も楽器の分析と、プレイヤーとくっつけたときの分析の両方をしてほしいなと思っています。
 
 
細棹、中棹とある中で、文楽三味線は太棹。情熱的な太夫さんの語りに負けず劣らず、デン、デーンと腹に響く重低音が持ち味です。役割も単なる伴奏にとどまらない。
 
例えば、三味線を聴いているだけでストーリーが浮かぶぐらい、三味線自体が語っていないと、太夫さんの横にいてはダメだと言われて育ちました。そのために、この形の楽器になってきたんだと。そこは明らかに他の芸能における三味線と、舞台上で求められている役割や立場が違うことは認識できる。けど、そこからもう一歩踏み込んだ“何か”をつかまないと、更なる芸の深みには潜り込めない。これまで先人たちが無意識にできていたことや、感覚的に伝承されてきた口伝を支える、科学的な根拠がほしいなと思っています。
 
 
 
 
やはり体系化が必要になってくると。
 
そうすることで、「これぐらいは誰でもできるよね」という当たり前の枠やライン、レベルがすごく上がると思う。これから競技人口が増えるのかもっと減るのかは分からないですけど、少なくとも体系化することで、現状を維持していくことができる。「当たり前」のレベルを上げて、まず人材を量産しないと。そういう中から、天才や個性的と呼ばれる人がぴょんぴょんと当たり前の枠を飛び越えて出てくるんじゃないですかね。
 
 
文楽三味線を作れる職人の数も減少傾向にある中、それらの課題も背負いつつ。
 
本当にそうなんですよ。これ、職人の養成まで僕らやらなあかんのかと思いますよね。材料もほんまに手に入ってこなくなってるので。文楽がではなく、古典全体として国をあげて守ってもらわないと。楽器全体を研究対象として保護してもらいたい。結構課題は多いですね。プレイヤーだけでなく、文化的にも。
 
 
改善点があるのは、未来があるとも言えますね。
 
あると思っています。僕も最初は音楽や楽器が好きで、「三味線が弾ければいいや」と、文楽への興味がないまま入ったんですけど(笑)。いまは文楽という芸術に対して「ものすごいものを作ってるな、あの時代に」という思いがあるので。そこが解明されれば、新しいものを生み出したり、進化にもつながる。そのためにも今はきっちりと、古典を分析した方がいいなと思います。
 
 
「即興性や音階など、文楽はわりとジャジーな部分がある」
 
文楽は芸能としても特殊だそうですね。
 
通常は芸術監督なり責任者が必ず1人いて、全員がその人の指示によって動くのが芸能、芸術の基本だと思うんですけど。それが文楽には全くないので、世界的にみても独特ですよね。
 
 
位置付け的には、太夫さんが一番近い存在ですか。

もっといえば本です。本が大事なので、それを語る太夫が一番の軸になってくれないと困る存在です。そこと三味線が組み合って、“視覚担当”が人形なんです。成り立ちも独特で、普通は視覚ありきですよね。でも逆なんです。耳から始まって、あとから視覚が引っ付いてきた。聴く語りもの。音楽ありきの芸能なので。
 
 
役者がいて鳴り物が付いてくる、歌舞伎とは逆の発想ですね。
 
 
 
だから歌舞伎は、役者がこうと言えば全員がそれに従う。リーダーがいることで洗練されてくる部分もあるでしょうし、歌舞伎は“役者さんを観に行く”芸能だなと思います。基本的に文楽は“物語を楽しみに行く”芸能。同じような演目をやってますけど、見方が違う。
 
 
文楽はセッションなんですね。

わりとジャジーな部分があると言われるんですよ。即興性とか、使う音階もジャズを知ってる方に言わせると「共通するような音階を使うね」となる。日々違ってくるのはそうで、やっぱり太夫さんはヴォーカルだなと思いますね。そうじゃない人もいるんですけど、大多数が三味線弾き以上に気分屋です(笑)。
 

三味線としては、場のチューニングに気が抜けませんね。
 
そうなんです。三味線弾きは全部それに合わせるわけですから。そういう意味では日々即興ですし、神経使います。コンマ何秒でのやり取りなので、お客さんには分からないでしょうけど、二人の間では全然違うんですよね。
 
 
手綱を自在にあやつって。
 
でもやっぱりすごい上の太夫さんになると「あ、弾かされている」ってなります(笑)。もう「この間でしか弾かれへん!」というのがあるんですよ。それはもう常識が違うレベルなので、僕みたいな小僧からしたら、気づけるだけマシですけど。でも気づけなくて、弾けないこともありますね。「どこで入ったらいいんやろこれ」って。まったく意図が読めなくて。
 
 
 
 
緊迫のやり取りをぜひマンガにして欲しいくらいです。
 
そうですね。絵として見た方が、面白い気がしますね。ケンカしているわけではないですし、戦っているという表現が正しいかは分かりませんが、でも決して馴れ合ったり、肩組んだりはしていない。太夫と三味線、人形それぞれが。
 
 
唯一無二の芸能の担い手として、今後もご活躍を期待しています。
 
いやいや、あんまり期待されると困るんですけど。でも、やっていかないとしょうがないですね(笑)。
 
 
 
 

◎取材・文・撮影=石橋法子(インタビュアー)
 
 

★大阪名物を訊く!【私の、咲くやこの花賞】……
 
 
 
 

大阪は谷町に近松門左衛門のお墓がありますけど、市内のあちこちに石碑など文楽にゆかりのあるものがいっぱいあるのでいいなと思います。なかでも中之島から靭公園の界隈が好きですね。落ち着きます。祖父も中之島で育っていまして、「戦時中は靭公園が滑走路やった」という話も聞いたりしました。公園などの緑も多いので、自転車で走っていても気持ちがいいですよ。