じーじとばーばんちの思い出

 父方は祖母、母方は祖父と継祖母がいました。


 父方は兄弟が生きているだけで5人だったので、盆と正月、法事なんかには大集合でした。

 従兄弟従姉妹も全員集まれば10人。

 にぎやかでワイワイしてましたが、大きくなってきたら、いろいろで、祖母が他界するころには、

 集まりは法事や葬式くらいになりました。



 母方は母の兄が亡くなり、母は一人娘に。

 おかげでじいちゃんは、

 「娘をとられた」という思いもあったのか、実家に来る時は、酒を飲まないと来られなかったし、

父と顔を合わせたことは、私が物心ついてからはほとんどなかったと思います。

 実家の法事には、母が私とたまに弟も連れて行ってました。


 じいちゃんは、それなりに孫には甘く、石のコレクションをくれたりしました。

 子供だったので、台座を残して持ち帰り、

 「あとでばーさんに怒られとるぞ!」と

父に言われて気づく私。

 今思うと、アメジストやヒスイもあったので、そんなのを貰っといたら良かったなぁとちょっと後悔。貰ったのは、ピカピカの手触りが良いだけの石や木だったので、そのうちに興味がなくなりました。


 あと、じいちゃんは猿と九官鳥を飼っていたので、子供にはそれだけで楽しいところでした。

 「ごめんくらくらさーい」

とか喋る九官鳥。

 「ごめんください」と覚えるところ、間違ってる九官鳥。

 猿は小さな檻に入っていたので、冬はみかんをやったりしました。

 みかんのフサがなくなって、皮を渡したら、

 「キィーっ」て怒るので、

何度か皮も渡してました。


 じいちゃん家には他に子供は来ないので、一人か弟と一緒。

 日曜日の午後なんかは、古いゴジラ映画がテレビ放送されていて、観てました。


 今は、懐かしい思い出です。


 じいちゃんは、ある意味事故死だったので、介護はなく、母も助かったかと思います。

 複雑…。

 

 

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