相手の期待とは…
相手の期待というものを受ける時があります。いくつになっても大なり小なり期待というモノがあります。さて、期待というか相手の希望というモノは時に大きな負担になります。正論を並べて逃げ場の無くなるお話は両者にとっても良いものではありませんね。ん~確かにそれは正しくてそういう道を歩めればそれに越した事はないというお話なんですけれどね。責任を負うというまでもいかないですが、期待、希望をかけられた方というのはどうしたらいいのやら…時に参ってしまう事もあると思います。でも自分の人生って他者に決められていくものではないと思うしましてや逃げ場のない意見などというものは無に値するのではないかなと感じております。相手を思うがゆえの悪気のない正論というものってタチが悪いと私は考えてしまうんですよね。だから期待、希望に答えるという部分は一部分では加味する事は大切だと思いますが自分のペースを維持していくのはとても私は良いと感じていました。時が経つと自分にも変化があるものです。成長は勿論衰えも。前に歩いていれば何か障害物に当たることもあるし後ろ向きでも構わないと感じています。歩くのを止めてしまった場合はそこは休息の時なのかなと感じています。持論だろうと理屈だろうと屁理屈だろうと逃げ道はとっておいて下さいね。これはいくつになっても同じことですよ!!ではでは スピッツのロビンソンを聞きながら