【播磨レポ】 歴ドル・小栗さくら、黒田官兵衛ゆかり旅!~黒田家廟所編・その2~ | 小栗さくらの諸行無常な日々
2013-12-20 19:01:53

【播磨レポ】 歴ドル・小栗さくら、黒田官兵衛ゆかり旅!~黒田家廟所編・その2~

テーマ:兵庫ブロガー100人戦国トリップ
前回までの播磨レポはこちらの→まとめページ←からご覧下さい( ´ ▽ ` )

廟所そのもののお話からは少し逸れますが、
今回は黒田家の家紋について少しだけ触れたいと思います^^


黒田家廟所の門にも立派な木彫りの家紋がありますが、
よく黒田家の家紋として登場するのがこの「藤巴」紋

黒田家がこの藤巴紋になったのにはこんなお話があります^^
織田方の荒木村重公が離反し(詳しくは→こちら←)、
それを説得に行った官兵衛さんが有岡城に1年もの間幽閉されていたときのことです。
長きにわたり閉じ込められた官兵衛さんに
唯一安らぎを与えたのが、牢獄から見える「藤の花」だったというのです。
そうして黒田家は藤巴紋を使うようになったのだ、というお話。

切ないような素敵な逸話ではありますが、
小寺氏の家紋が「橘藤巴」紋であることを考えると
実際は小寺氏の家紋を形を変えて使っていったのではないかと思います☆


(小寺氏の家紋/藤の丸のうちに三橘=橘藤巴)

黒田家は上の画像の橘だけの紋、「三橘」紋も使っていますよね。

信長公に離反した小寺家はその後大名家としては没落してしまうのですが、
官兵衛さんが「政職公は離反してしまいましたが、その子供である氏職公のことは恩赦してください」と秀吉公に申し出たことで
黒田氏に迎えられて代々福岡藩士として続いたと言われています。
家紋を使い続けたり子を引き取ったりしたのは、
やはり小寺家がそれまでに黒田家を重用していたからかな…?なんて思います。
あるいは政職公の血縁とも言われている、
官兵衛さんの妻・光姫への配慮でしょうか…?^^

『寛政重修諸家譜』によると、官兵衛さんは
小寺家の家紋である「藤の丸のうちに三橘」を当初使っていたことになっています。
そして「後に藤巴紋に改めた」とのことです。
父の代から小寺姓を与えられ小寺孝高を名乗っていた官兵衛さん。
しかし主君の離反により黒田姓に戻さなければならなくなってしまうので、
もしかすると家紋もその時に橘藤巴から藤巴に変えたのでしょうか…(・。・)

黒田家廟所では、小寺大明神と同じように、
毎年4月29日に関係者が集まり慰霊祭が行われているそうですよ。


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