先ずは、この大きな地震によって被害にあわれた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
そして、一日も早くすべての事の回復と、一人でも多くの方々のご無事が確認されますよう、
心よりお祈りしております。
この地震が起きてから、私が体験した事を少しだけ、お話させていただきます。
あまりに大きな出来事に、どこから書けばよいのか今も書きつつ戸惑っています。
私の住む町では、実質的な被害は幸いなことにほとんどなかったようです。
しかし、これまでに感じた事のない大きく、長く、頻繁に起こった揺れと、
大津波警報という初めての重大な警報に海側の町は騒然としました。
まず頭に浮かんだのは、海から数百メートルしか離れていない住まいがある姉家族のこと。
特に、時間帯からいって、姪が一人でいる可能性もあったこと。
そして、この時間帯、やはり一人でいるであろう父のことでした。(持病もあるし、歩行には杖が必要)
私はちょうど、姉と父との間、真ん中あたりに住んでいます。
頻繁に鳴り響くサイレンと、住宅街側の静けさに得体の知れない怖さを感じました。
もちろん姪も父も電話は通じません。
私は、まず自分が落ち着かないと、と自分に言い聞かせ、
姪の事は、姪の自宅からすぐのところに勤めている姉が駆けつけているだろうと信じ、
私は父のところへ行くことに決めました。
混乱しているであろう海側へ行くよりも、駅方向へ行き、
最終的には全員実家へ集まるだろうと思いました。(地震自体で大きな被害であればまた別ですが)
私は、少しだけ高いところにある、プリンターやオーディオ、写真立てなどを床に降ろし、
コンセントを抜き、部屋中を点検して回りました。
そして、水槽の水が大量にこぼれていたので、
急いで拭き、またこぼれてもよいよう不要のシーツを引いておき、
災害時に持ち出すとよいという貴重品や、我が家の非常用品の入った袋と、
それにプラスして飴や風邪薬、痛み止めの薬を入れて、急いで父のもとへ向かいました。
父のところへは、一足早く義姉がついていたところでした。
そして、父に怪我もなく一安心はしましたが、
サイレンはまだ頻繁にあり、避難を促す防災の車も回ってきていました。
義姉は車だったので、連絡の取れていない姉の住まいや職場へ駆けつけ、
その際、人気もなく、海近くのスーパーは二件とも既に閉鎖されていたとのことでした。
駅方向へは、車も多少渋滞していたと。
連絡の取れない姉は、保育園や小学校やご近所、また職場の仲間がたくさんいるので、
間違いなくみんなと避難しているだろうということで、
市内に自転車通勤している母と、兄が戻るのを待って、
とりあえず線路の向こうへ避難しようということになりました。
結果、サイレンも治まり夜には、学校へ避難していたという姉家族とも会う事が出来、
海に近い姉家族と、マンションの一階に住まう兄家族もそのまま実家へ一泊し、
その日、たまたま車出勤していたパートナーが渋滞の中、
早めに帰って来てくれたのを待って、私は自宅へ戻りました。
夜になって、テレビなどで、震源地、その付近の被害状況を知りました。
大きな被害が出た地域の友人や知人の安否確認を、
混乱の中ではかえって良くないだろうかと思いつつもメールだけは出す事が出来たので、
送信しました。
携帯も受信できたり、出来なかったり、時間差できたりと混乱はしていましたが、
ほぼ無事を確認することが出来ました。
この日、実は近くの友人と約束をしていましたが、事情があって彼女の連絡待ちでした。
ただ、彼女は山側にいるだろうし、病院のお見舞いだったので、
おそらくそちらのほうが安全と信じて、メールだけは送り続けてました。
とはいえ、電車は全線ストップということで心配していましたが、
やはり夜には連絡が取れ無事を確認しました。
ただ、家に戻れたものの大船付近は停電だったそうで、幸いすぐに復旧したものの、
きっと心細い思いをしたことと思います。
翌日になって、さらにその被害の大きさを知りました。
大津波警報もまだ解除されておらず、いつでも避難できるよう準備をしていました。
近くのスーパーやコンビニではパン、卵、牛乳といったものがすべてない状態。
狭小で、普段から人入りの多いディスカウントスーパーでは入場規制がひかれていたとか。
警報が解除され、注意報になった後は、いつくるか分からない停電と、
必要な地域への電力供給のために、節電対策をしました。
夕飯をつくり、おにぎりも、いつ姉や兄、実家の家族に分けてもよいようたくさん作りました。
幸い、津波注意報もなくなり、それぞれの家族の地震二日目の夜の対策準備確認を済ませ、
その後、遅くにパートナーも職場から有難い事に車出勤の方に送ってもらい帰ってきました。
そして、夜にはひとまず安否確認の取れなかった友人や知人の無事を知る事が出来ました。
これが、私の小さな体験です。
被害の大きい方々がおられる中、今も救助を待っている方々、
避難所にてつらい思いをされている方を思うと、
こうして、書く事はよいものかどうか迷いました。
でも、私のような体験をされた方や、同じ地域の方や、
遠くから、心配してくださって連絡をくれた方たちに安心していただけるのではないかと思い書きました。
例え、どのような体験をされたとしても被災していなくとも、
テレビでその大変な被害を知るたびに、日本中が心を痛めている事だと思います。
そして、絶望感や自分には何もできないと罪悪感を感じている方も多いかと思います。
私は、自分が思っている以上に恐怖心に覆われていたことを、
昨夜、やっと連絡が取れた茨城の友人からのメールに安堵して号泣してしまったときに確信しました。
長くなりましたが、ここまで読んでいただいて有難うございます。
次に、私にとって今できること、感じている事について少し書きたいと思います。