院長の片岡信彦です。
今年のこの日も彼女のために、ほぼ同じ記事を
また再編集でアップすることをお許しください。
42年前の2月4日は
ある外国の女性シンガーの
命 日です。
2月になるといつも想い出されるその名前は、
カレン・カーペンター(享年32歳)。
♪カーペンターズ♪という
兄のリチャード(キーボード、ボーカル)と
妹のカレン(ボーカル、ドラムス)の
カーペンター兄妹デュオで’70年代に
♪イエスタデイ・ワンス・モア♪や
♪トップ・オブ・ザ・ワールド♪など
多くのNo.1ヒットを
飛ばし続けました。
日本ではドラマの主題歌に名曲中の名曲である
♪青春の輝き♪が使われて人気が
再燃したりもしました。
(この名曲は今聴くとカレンの歌う歌詞が
切な過ぎます・・・。)
カレンが親日家だったこともあり、日本には
1972〜74年の3度来日して多くの聴衆を
その天性の才能である美声で魅了しました。
私が小学5年生の時、1974年の日本武道館での
来日公演の模様をテレビで観たことがあります。
日曜日の朝から洋楽好きの兄が、
今日は♪カーペンターズ♪の
コンサートがテレビ放送されると顔に
高揚感を浮かべていたのです。
私もそのただならぬ雰囲気に引っ張られて兄と
テレビの前で武道館公演の模様に見入りました。
現在は動画で当時の模様を断片的にでも観れて、
当時の記憶を鮮明に蘇らせてくれますが、
何よりも♪カーペンターズ♪の歌、特にカレンの
歌唱力が素晴らしく古さを感じさせないことには
改めて驚かされました。( ゚д゚)
そして、同時に以下のシーンでは私の目から
涙がこぼれてきました。(T_T)
♪シング〜SING〜♪という名曲で
子供のコーラス部分に日本の児童合唱団を
フューチャーして日本公演用に歌詞も日本語に
変えて歌っています。
♪SING 歌おう、
幸せが来るように〜♪と・・・
しかし、カレンに幸せは来ませんでした・・・。
ご存知の方も多いでしょうが、
74年の来日公演から8年後・・・、
カレンは拒食症の影響から
心不全で32歳の短い生涯を
閉じたからです・・・。
拒食症となったきっかけは様々な説がありますが、
カレンが有名人ゆえに雑誌などで体型を揶揄されて、
自らも特に下半身を気にしていたとかが原因とも
言われています。
75年頃にダイエット成功を目指して、
代謝を活発にしようと甲状腺内服薬と
下剤を飲み続けて徐々に体調を崩し、
上の写真のように痩せ細っていきました。
そして、ステージ上で倒れてからは
表舞台への登場が激減したのです。
それから私が♪カーペンターズ♪の存在を
忘れかけていた20歳前に、その訃報を
マスコミを通じて知ることになりました・・・。
ショックでした・・・。
当時はまだ拒食症という病名は一般的ではなく
カレンという世界的な有名人の死がその存在を
世に広く知らしめたとも言えます。
74年の武道館公演でのカレンは実に素敵でした。
歌が上手いだけではなく、歌の途中で観客からの
拍手に細かく感謝の表情や仕草で応える気配り、
場慣れしていず緊張感いっぱいの児童合唱団の
チビッ子たちに対する低い姿勢からの優しい眼差しと気配り。(*´ー`*)
アンコール終了後に舞台袖に下がる際、贈られた
花束をピアノの上に置き忘れたことに気づいた
カレンは慌ててステージに戻りました。
そして、照れくさそうに観客席に視線を向けるご愛嬌などなど数え上げたら切りがありません。(*^^*)
ダイエットは行なった本人を以前より健康的・美容的に輝かせる目的で始めなければなりません。
カレンの過剰なダイエットによる死という負の教訓が、どれだけ活かされたかは判りませんが、
私が過去に成功したダイエットを含め、健康的なダイエットが現在、世の中に普及していることは喜ばしいことではあります。
しかし、それが70年代に
普及していてくれたら・・・
もしかしたら、年齢を積み重ねて世界中のどこかで
今もカレンが74年武道館公演でのような
輝きを魅(見)せ続けてくれていたのではと
切なくなる私が今年もいます・・・。(/ _ ; )
今年もこのブログを
天国にいて敬愛する
可憐(カレン)な
カレン・カーペンターに
哀悼のダジャレ桜🌸と共に捧ぐ・・・。
(´・ω・`)
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カレンは天国で
「たぶん私は大丈夫よ。」と
言ってくれるかな?(*´ω`*)