視察の2日目は熊本市でお話を聞きました。

 
熊本市の震災時の人口は73万2780人、33万2089世帯。練馬区の今の人口が72万3727人なので、人口規模としては同じくらいですね。ただ、面積は熊本市が390.32㎡、練馬区は48.08㎡なので、広さは全然違いますが…。
 
熊本市は23か所の避難所を開設したそうですが、益城町と同様、震災後しばらくは職員2交代で休みなくやっていて、以前ゆめ風基金の報告のときにも書きましたが、7月まで避難所の正確な状況もつかみきれなかったそうです。
特に熊本市のような規模の大きな自治体ほど、被災した人たちが「行政の情報や支援が届かない」という思いと、行政としてがんばっていることとがかみ合わなくなってしまいがちなのかもしれないとも感じました。
 
そう考えた時に、そもそも一次避難所である一般の避難所からトリアージ(必要な人を判定)して二次的に福祉避難所に送るというしくみ自体が、災害時に本当に機能するのだろうかと改めて考えさせられます。
いざという時に現場判断ができる体制づくりが必要だし、それは各自治体だけのしくみづくりではなく、日本の福祉の災害対策をどう実効性あるものにしていくか改めて見直す必要性もあるのではないかと考える今日この頃です。
具体的には、ゆめ風基金の時も話に出た個別計画を作っていくことや、障害者差別解消法の観点からどう災害対策を進めるか―二次避難所に行かなくても障害のある人が受け入れられる一次避難所作り―という見直しの必要性でもあります。
障害者団体の意見を聞きながら、私自身、より深く考えていかなければならないテーマであると再認識しました。
 
 
熊本市役所で説明を聞いた後、熊本城を案内していただきました。熊本城を案内してくださるガイドさんにお話を聞きました。
 
重要文化財は、同じ材料を使って復元させないといけないそうで、例えば崩れた石垣も元どおりに戻すための準備を進めているそうです。
(元通り積みなおさないといけないんですよ、と説明してくれてるガイドさん)
 
石垣は、建てた時代によって崩れ具合が違ったそうです。加藤清正の建てた石垣は崩れず、清正の息子の石垣は崩れたと。それは、清正の石垣のほうが傾斜が緩やかで、息子の方が急だったために崩れやすかったのだろうということです。急傾斜のほうが石も少なく済むし、敵が入って来づらいから、時代が進むごとに急傾斜になっているようです。
 
(傾斜が違ったんですよ、と説明してくれてるガイドさん)
 
熊本城も、夏に個人的に出かけた時に友人にも案内してもらいましたが、今回はガイドさんにお話を聞けたので、また視点が変わって興味深かったです。
 
その地にある歴史的なものを、興味を深くもって勉強して、ガイドをするという人の気持ちもとても大事だし、その地に暮らしていてそこまで詳しいことは知らないけどでも大事に思っているという一住民の気持ちも大事だと思うし…そのどちらの視点からも熊本城を見ることができたのが良かったです。