私は昨年度から「We」という雑誌 で連載をしているのですが、その雑誌を作っている人や読者が実行委員会をつくって「Weフォーラム」というイベントをやっています。ほとんど毎年やっていて、2012年は福島、2013年は横浜、2014年は再び福島、というように各地で開催しているのですが、今年は熊本県水俣での開催でした。




(美しい水俣の海)


福島で原発事故が起きてから、福島と水俣の共通点が言われ、水俣の教訓を生かせるのではないかと言われることがあります。


私も共通する部分は感じるのですが、それは例えば
・公害問題を引き起こした企業(水俣で海に水銀を流したチッソ、福島の東京電力)は、都心を中心とした便利な生活を成り立たせるためにあった
・立地地域はそれまで農業や漁業以外には働く場所が少ないために出稼ぎに出るなど、家族がずっと一緒に暮らせないこともあったため、働く場ができることは地域の人にとっても大事なことではあった。しかしそれはひとたび事故を起こせば危険な場でもあった。
・地域には原因企業で働いている人も一緒に暮らしているし、働いている人自身も被害に遭っている場合もあって、それぞれの立場で複雑な思いがある
などです。


福島の事故が起きた時、こどもへの放射能の影響が心配されました。しかし結婚していない世代の若い女性たちは「自分たちの健康は大丈夫なのか」「このままここで暮らし続けられるのか」という不安を持っていても自分自身はこどもではないしまだこどもを産んでいる立場でもないために心配される対象から抜け落ちがちになっており、そして不安になっていてもそのことをあまり言葉に出して話す機会も持てないという経験をされたそうです。そこで今は同じ思いを持つ女性たちで集まってアクセサリーを作ったり発信をする活動をしている人たちがいます。


実際のところ、低線量被ばくも含めて放射能による人体や環境への影響がどのように出るのか、まだわからない面も多く、対処の仕方として明確な「正解」がない中で、これからどの地域で生活していくべきなのかなどの生活設計について、放射線量の高い地域に住む人の中には悩みながら暮らしている方も多くいらっしゃるかと思います。そして、その思いを口には出せずにいる方もいらっしゃるかもしれません。


今回の水俣での勉強会は、福島在住の方も参加されて意見交換する場もありました。


水俣出身の女性は、関東で生活していた時、「水俣出身」と名乗ると、「ああ、水俣病の?」と言われることに傷ついてきたそうです。


水俣病は、原因が水銀汚染によるのだと判明するまで「うつるのではないか」という誤解による差別が起こったことがあります。その歴史が今でも水俣に暮らす人を傷つけることがあるのかもしれません。


水俣出身ではない人―特に関東など離れた地域に住む人にとっては、水俣の名を聞くのはこどもの頃に学校で公害病のひとつであると少し習った水俣病のことだけ、ということが多いと思います。だから、水俣という場所を差別したりさげすんだりするつもりではなく、ただ単純に「ああ、水俣病で聞いたことがある地名だな」と思う場合が多いと思いますが、しかしそうやって悪気なく発する言葉が、当事者には差別の言葉と受け取られる場合があるということには、想像力を働かせなければならないと思いました。


今、熊本県内の小学校では5年生の時に水俣病のことを学ぶ機会が作られているそうです。水俣病の原因や歴史、どんな差別があったのかなど、水俣病を患った当事者である語り部から話を聞いたり、現在の水俣のこと(おいしい農作物を作るなどの活動があります)を学ぶことによって、こどもたち同士が水俣病のこと、水俣のことを語り合う機会を持つことができます。そうすることによって、水俣というふるさとをポジティブに捉えていくことにつながっているようです。



(水俣の山間部にあるお茶畑の見学もさせていただきました。)


福島の事故はまだ収束していないという問題が残されていますが、福島に生まれ育った人がふるさとを想うときに辛い気持ちばかりになってしまうことがないように、事故の経過を明らかにしながら、市民が事故のことや自分自身の不安な気持ち、もやもやとした気持などを語り合える場を作っていくことが必要になってくるのかもしれません。


また、東京に住む者としての私にとっては、水俣は都心を中心に使ってきたプラスチック製品を作るために海が汚染されてきたこと、福島は東京で使う電力を作るために原発があって事故によって海も山も汚染されてしまったのだということを心に留め、東京に住む私たちも当事者であることを忘れてはいけないと思っています。