気仙沼の旅の報告、最終回です。

3日目は朝から「ヤマヨ水産」に向かいました。

ヤマヨ水産のページはこちら
ヤマヨ水産の復興の経緯が分かる記事はこちら

ヤマヨ水産にお邪魔するのは前回のツアーに続き今回が2回目です。
旅の仲間に「復興・オーナー制度」に参加している方がいて、ご紹介いただいたことがきっかけでした。

今回は前回よりもじっくりと見学、お話できました。





この写真は海から牡蠣の加工場のほうを撮った写真です。小さくて見えづらいので、写真をクリックして拡大してみてください。
真ん中より少し右のほうに建物が見えるかと思いますが、これがヤマヨ水産の加工場。震災後に再建した場所です。この建物の上の丘の中腹に、少しオレンジ色のものが見えるでしょうか。それが置いてあるあたりまで、津波は来たそうです。

それだけの津波ですから、いかだも加工場も住んでいた家もすべて被害にあってしまいました。

職場と家を再建させるためには億におよぶようなお金がかかってしまうような状況。
続けるか辞めるか、悩むような状況の中で、やはり再建させようと決断し始めたのが「復興・オーナー制度」。
ヤマヨ水産を応援したいと思う人は1口1万円を出す。それを元手にしてヤマヨ水産はいかだや加工場を再建させて牡蠣の養殖を再開させる。
このしくみは今でも続いていますが、特に震災当初は従来通りに牡蠣が育つかどうか、育ったとしても放射性物質など影響がないかどうか、まったく分からない状態でのスタートだったわけです。そして万一出荷できない状態だった場合は応援してくれた人にはそれを説明して理解してもらう。牡蠣がうまく育ったら、牡蠣をお返しする。

そんなしくみです。

現在、8月31日までの期間で第3期のオーナー募集中です。




今回も皆で船に乗り、牡蠣の養殖をしている場所の見学をさせていただきました。




ホヤも育てているそうです。

この見学の途中で私は船の上からスマートフォンを落下させました…20メートルくらいの深さがあるそうなので、あきらめるしかないのですが。
ホヤを指でつつくとキュンっと動いて可愛かったので、スマホで動画を撮ったのですが、なくなってしまいました。残念。(ブログに載せている他の写真はカメラで撮っていたものです。)



このいかだの下で牡蠣が育っています。いかだの上にはウミネコが休んでいます。写真の手前、茶色っぽいので見えづらいですが、まだ毛の生えた赤ちゃんがいます。

オーナー制度は設備の復興の手段としておこなわれているだけではなく、消費者との顔の見える関係を作るという意義があるものです。私たちはヤマヨ水産の小松さんのことを思い浮かべながら牡蠣が食べれるし、小松さんたちも牡蠣を食べている人がどんな人か、そして食べて喜んでいる姿を思い浮かべてお仕事ができる。
そのしくみがとてもすてきだなと思って、これからも交流を続けられたらと思っています。


旅の最終日だったこの日は、ヤマヨ水産見学後、フェリーに乗って南町紫市場に戻り、買い物しました。

南町紫市場は今、本設に向けた話し合い、設計などがおこなわれています。

今あるところから少し行った場所で、5階建ての建物の1階と2階の一部が商店街、そこから上は公営住宅というつくりの建物が予定されているそうです。
建物の着工が今年の秋ごろで、着工してから完成まで1年くらいかかるのではないかという見通しだとお聞きしました。
今、復興やオリンピックのことで工事の人手不足や資材不足が起こっており、被災地に限らず全国各地で工事が遅れたり入札が不調となることがあります。そんな状況の中、本設の商店街の工事もやはり遅れ気味であるということを感じました。

また、今仮設商店街に入っている店舗が必ずしも皆本設に移行できるわけではないようです。被災してから5年もの月日が過ぎ、生活の状況が変わっていたり、後継者の問題があったり、これから改めて移転してローンを組んでやっていくことができないという事情があったりするのだと思います。

今回、訪ねるにあたり、あらかじめ参加メンバーでオリエンテーションをしました。
メンバーの中には2011年から継続的に参加してくれている方もいますが、だいたい毎回3分の1は初参加です。
そこで、2012年にNHKで放送された、南町紫市場ができるまでを追ったドキュメンタリー番組を録画しておいたものを改めて皆と視聴しました。


番組で言われていたことを一部紹介します。
仮設商店街を作るにあたっては一定程度、国や自治体からの支援がありますが、それだけでは足りず、商店街がみずから負担しなければならないものもありました。
国の支援のしくみとしては、「気仙沼市が土地を用意し、仮設を建てる申請を国にする→国は市に対して仮設を建てるための支援をする」という流れ。

でも震災直後、市がすべてをやるのを待っていたのではいつになるか分からないので、商店街の人は自分たちで仮設を建てられる土地を探し、それを市に言って承認してもらって建てるということをやりました。
国が仮設を建てる条件として、その土地が更地で整地されている状態である必要があったのですが、予定地は津波で建物が流され、土台がでこぼこと残っている状態の土地でした。そこでまずは更地に戻さないと国の支援は受けられないのですが、更地にするための工事費用は国からも自治体からも出ず、商店街が負担しなければならなかったそうです。その額約150万。

ただこの一点だけでもこれだけ多額の費用がかかってしまうのだから、再建全体を見ればもっともっとたくさんのご苦労をされたかと思います。
一方で、商店街はボランティア団体のように非営利の団体ではないので、ボランティア団体を対象にしたような助成金はなかなか対象にならなかったとも聞きます。
そんなご苦労をうかがっていたため、私は2011年12月に商店街がオープンするにあたり、皆さんにカンパの呼びかけをさせていただいたのでした。

本設に移るにあたってもおそらくはこのようなご苦労が絶えないのではないかと思います。

私たちがお送りしているカンパは2015年6月15日現在、累計で122万770円となっています。この金額は今までずっと貯めて、本設への移行に備えていてくださっているそうです。
少なくとも本設に移動し、落ち着くまではカンパを続けたいと思いますので、どうぞ引き続きのご協力をお願いします。

郵便振り込みで
市民ふくしフォーラム 00130-2-496362 
通信欄に「気仙沼募金」とご記入ください。


気仙沼ツアーも今後も定期的に続けていきたいと考えています。

今回はご参加くださった方の中から、「私も今度友人を誘って自分でツアーをやろうと思う」と言って下さった方もいらっしゃり、嬉しかったです。