社会を良くすることは、政治の目的です。当たり前のことだと思っておりましたし、全ての政治家が方向性は異なるとしても、社会を良くしたいとの想いで、人生を捧げているものと思っておりました。

 でも、そうではない政治家もいるのではないか、と思うようになりました。自分が偉くなりたい、自分が偉いことを認められたいという自己顕示が目的という政治家。単に偉ぶる人は政治の世界に限らず、ビジネスでもおります。そういう御仁は除いて、社会を良くするために働いているように見える政治家であっても、実は、自己顕示を達成するための手段として、社会を良くするというアプローチがありうると思い当たりました。

 一言でいえば、「社会を良くする」が政治の目的ではなく手段。

 どういうことかと言うと、自分が働いたから社会を良くできたというように、手柄を誇示することで自己顕示を達成する。

 

 これは、明らかなようで、実は微妙な問題です。

 政治家は、選挙で市民に選んでいただくものです。そのためには、実績と成果を市民に知っていただかなければなりません。「あんなことをしました!こんなこともしました!」と、大勢の前で、自分で自分を大声で褒めるという、とっても寒いことをせざるをえないのが、政治家の宿命です。しかし、これはあくまで政務活動報告であって、自己顕示ではありません。 

 でも、政治家の中には、政務活動報告を越えて、自己顕示と自己陶酔になってしまっていることがあるかもしれません。

  

 なんで、こんなことを考えてしまったのか。

 自分がどのように見られているか、自分もまた、「社会を良くするために、国民のために働いています!」と言っていることが、公共の福祉のためではなく、自己顕示のため、と見られていないか?と思ったからです。

 私の場合、総理大臣になりたい、大臣になりたい、とはあまり思いません。思うとすれば、政策実現の手段として、そうした重要な役割を果たしたいからです。別に、もっと適任者がいれば、その方を全力で支えます。自分が前に出る必要はないと思っています。

 ですが、世間はそのように思ってもらっていないかもしれない、少なくともマスコミ報道ではそのように扱われていない場合がある、と思うようになりました。

 

 もっと言えば、日本のマスコミはどうして政局報道が中心なんだろうか?政策について報道が少ないのだろうか?政策について報道される場合であっても、その後に思惑などがまことしやかな解説としてくっついてくるのだろうか?

 マスコミの前提として、全ての政治家は自己顕示と権力欲のために政治をやっている、となっていると考えれば腑に落ちます。

 新型コロナ感染症対策にしても、桜井シュウは、感染症を一刻も早く収束させて安心安全な暮らしを取り戻したいと素直に思っております。しかし、マスコミの手にかかれば、桜井シュウが感染症対策を提案するのは、立憲民主党の権力奪取のため、自らの議席確保のため、との文脈で報道されてしまいがちです。今であれば、自民党総裁選挙の中で埋没しないように、という思惑が勝手に語られてしまいます。

 

 もちろん、思惑は全くなく、全て純粋無垢な行動とは言いません。そのようなnaiveな態度であれば、権力闘争で生き残ることなどできないからです。一方で、理想を追求する真摯な姿勢なくして、政治への信頼は生まれません。

 

 桜井シュウは、思惑と下心で報道されるとしても、目的と手段をはき違えないように精進いたします。さらに、桜井シュウは、人間の幸福という理想を追い求める真摯な姿勢を貫くことを改めて心に誓います。