作詞から思うこと。 | ちょいすぴ さくらいろ幸の【そんなこともアロワナ✨】

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作詞をする事から離れて数年。
今になって気づく事がある。


あの頃は夢中になって次から次へと
毎日作詞どっぷりだったから
理由とかいらなかったんだ。。


作詞は難しいって言われるけど
多分、形の出し方に
気がついちゃったんだろうなと思う。


自分を観察するとどう見ても
「感覚優先人間」なので
なんとなくとか、だいたいから入って
あとで理屈や理由にたどりつく。


「腑に落ちる」と表現したりもするけれど
もっとイメージしやすく言うと
「回路が繋がる」がいいかな。


私は子供の頃、いくつもの事が出来ない子だった。


おそらくは発達のかたよりもあると思う。
プラスαで、「環境」つまり
「母親との相性の悪さ」。
「後天的な発達障害または発達不良」かな。
 

性格が合わないというより、根本からの
生き方や生きる意味の違いの差が大き過ぎて
よく一緒に暮らして来られたと今になって思う。


母は私が欲しい答えが何か、全く分からないというか
ズレまくっていたし、見当違いだったし
いまだにそれに気がついていない。


私は「幼稚園とは何か」「小学校とは何か」を
全く知らずに放り込まれたと思っている。
「勉強しなさい」の勉強とは何をすることか。
大人は子供が幼稚園や小学校で何をすることを
望んでいるのか。
親や先生が子供に何を望んでいるのか。



なので私は幼稚園で何をすればいいか分からなかった。
違うクラスに行ってしまったり、好きに動いたり。
なくしものも多かったし、大人の要求に応えられなかった。
そのうち大人が困っているのに気づき
大人の感情を読み取るようになった。
子供たちの感情も。



いくつかエピソードがある。
私は学年の1番最後生まれなので尚更成長が遅かった。
年少の時、私は自分の本に自分の名前を
先生に書いてほしくてお願いした。


先生は母に
「自分で頑張れば書けるのに
横着して書いてと言ってきた」
と報告していた。


私は新しいきれいな本が嬉しくて
自分のうまくない文字じゃなく
先生のきれいな字で書いてほしかったのだ。




もうひとつ
年長の授業参観の時、絵を描く事になった。

画用紙にはジョウロの絵と花の絵が描いてあり
色を塗ったり描き足すものだった。



私はジョウロから出る水を、いろんな色で描いた。
母は恥ずかしそうに慌てて
「水は水色でしょ!」と言った。
(他のときも「月は黄色でしょ!」とか)


確か水色で描き直したと思う。

子供にはね。。水は水色に見えないんだよ。
月も黄色には見えないんだ。

それに私はカラフルな可愛くてきれいな絵を
描きたかったんだ。


何色で描くのが正解でしょうか
っていうテストを受けてた訳じゃない。



こうやって私はダメな子認定されていった。



どう動いたらいいか分からず、観察ばかりしていたら
大人達は私をボーッとしていて、
知能の遅れがあるんじゃないかと思ったらしい。
実際母は、私が小1の時脳波の検査を受けさせてる。


私はすでに、他の子達のように心に素直に行動できなくて
いつも頭で考えていた。
「どうすればいいんだろう」



今の時代になってきて、段々と学校などの教え方が
具体的になってきていると気づく。

分かりやすく言うと
「いい子にしてなさい」
→「静かに自分の椅子に座って、先生の話を聞いて指示で動くように」

ということ。


私はいつも「方法の答え」が欲しかった。
母は適切なコミュニケーションを知らなかった。
多分、今でも気がついていない。


私達が子供の頃、例えば小学校でいきなり作文を書かされる。
大人達は原稿用紙が言葉で埋まることを求めた。
私や作文の苦手な子は「方法」がわからなかった。
だから書けなかったのだ。


図工の時間、突如として絵を描かされる。
いきなり物を作らされる。大人は子供が感じてる
無茶振り感に気がつかない。

私は大人の「意図」が知りたかった。
何を求めているのか。

例えば今回はコンクールに出すとか
廊下に張り出すからカラフルな絵がいいとか
時間までに終わらせて欲しいとか
絵の描き方、色の塗り方、どうしたら上手く描けるか。


学校だけじゃなく家でもそうだった。
詳しい説明もないのに、大人の望む理想の生き方をしろ。
そう求められてた。



私はダメな子というものになっていた。
「そんな説明じゃわからない」ということさえ
自分では気が付かなかった。
できない自分がダメなんだと。



人には得手不得手がある。好き嫌いもある。
だから全てとは言わないが
結果ばかり求める大人たちは、子供の欲しがる答えを
出してあげているのだろうかと。


子供が欲しがっているのは「答えそのもの」ではない。
どうしたらそれがわかるように、できるようになるかの
「方法」を知りたがっているのだ。





言葉というものを勘違いしてる人がとても多い。


「言葉」は他人と共通するものではない。
必ずズレがある。
それを理解していたほうが良い。


ズレが少ない方の「名詞」でさえ
言葉1つで同じ物を想像できる人はいない。

「机」と言ったら「机」だろ。
「靴」と言ったら「靴」だろ。

ではないのだ。

そのひと言で思い浮かんだ物は、みな微妙に別の物なのだ。色が違う、大きさが違う、用途がちがう。。



その確認や擦り合わせをせずに進んだ会話は
すれ違いに気づかず、誰も間違っていないのに
「なに?あのひと。全然分かってない」という
すれ違い食違いが起きる。


そしてそこからの人物批判、人物否定に繋がる。


くどくど説明は、逆効果な事もあるけど
相手の評価より前に「自分の言葉で伝える」が
どれだけ大事かを気付いてほしい。




作文がクラス1苦手だった私が
自分なりの方法を見つけて
300近く作詞をした。


中学までしか美術を受けず成績の悪かった私が
イラストを描いて、販売しようとしてる。


制作の期限の守れなかった私が
山ほどアクセサリーを作って
売り始めている。


計算ができなさ過ぎてクラスで1番
計算の時間が遅かった私が
レジを仕事にして暗算でお釣りを返している。


中学で10クラスもあるのに下から一桁を
ウロウロしてた私がランクの低い高校にせよ
10クラスのうち学年で一桁に入ったほど
勉強が楽しくなった。


回路が繋がるということ。
分からないことが腑に落ちるということ。




たくさんの人に知ってほしい。
言葉とはとてもとても不十分なものなのだと。



それでも共感したり、理解し合ったり
すり合わせたり、する方法は
たくさんあると。



「何あいつ」「イヤなやつ」「変な人」
と感じた人の何人が
ただのすれ違いだったのだろうか。








作詞はね

感情のだだ漏れを言葉で置いて
相手にイメージさせるもの。
上手く整理整頓して
順序よく思い浮かばせるもの。
自分の中にある想いに1番近い言葉を見つけ出し
並べ、繋げることによって想像を繋げていかせるもの。


だからね
感動した曲というのは
出来のいい歌詞というよりは
イメージを引き出し、繫げ、
想いと添うことができるもの。

それと

イメージする経験が
あなたにあるという事。


曲に感動するという事は
あなたがいっぱい頑張ってきたということ。



言葉は完璧ではないからこそ
使い方次第で寄り添いもするし
一生並行だったりもする。
近づけなくなる事もある。




バベルの塔ではないけれど
同じ国の言葉を使っていても
完璧に分かり合うということはない。




これを知っておくだけでも。。
自分の子供に
「何やってんのっ!!勝手なことしないでっ!!」と
公共の場で叫ぶ親が減らないかな。。とか思う。

子供が生きやすい世界に
大人や他人とのコミュニケーションが
しやすい世界にならないかな。。とか思う。



この事がもう何段階かレベルアップしたら
発達障害と言われてる人達などが
かなり生きやすく生活しやすい世界に
なるんじゃないかな。。



長くなりました。
だだ漏れのまま言葉にしました。
ごめんなさい🙇‍♀️