画像:いんふぁ放浪記(ameblo)オリジナル
首里城の火災から2日が経ちましたね。
先日もアップしていますが、私が直近で首里城を見学したのは昨年の6月でした。
ちょうど台風が来て飛行機が飛ばず、足止めを喰らったなかでの首里城見学だったんですよね。
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首里城と言われている場所は正式には首里城公園として管轄されていて、守礼門や首里杜館(首里城公園レストセンター)のあるエリアと、正殿や御庭(うな)を中心としたエリアにわかれ、正殿などの有料区域を見学する人の多くが利用するのがこの廣福門です。
※この廣福門は消失から免れているようです。
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その廣福門の先にあるのが首里城の中心となる御庭(うな)エリアです。
手前にあるのが奉神門、その右側に連なるのが南殿・番所、正面にあるのが正殿、奉神門の左側にあるのが北殿となります。
ニュースで鎮火後の写真を見る限り、この御庭(うな)エリアと画像にはない南殿・正殿に連なる書院や黄金御殿などが消失・延焼してしまったようでした。
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御庭(うな)への玄関口は別名「君誇御門(きみほこりうじょう)」と呼ばれる「奉神門(ほうしんもん)」で、左側は薬やタバコ、お茶を扱った納殿、右側が儀式の際に使った君誇となっています。
この奉神門にある3つの入口のうち中央は国王や国賓などだけが通ることが出来た場所なんだとか。
鎮火後の写真を見ると左側の納殿は延焼で崩れ落ちている部分が見られますが、入口や右側の君誇は延焼していないように見えます。
でも御庭(うな)側は延焼しているのかもしれません。
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国賓になった気分で奉神門をくぐって御庭(うな)側から奉神門を見たところです。
こちら側は他の建物が延焼している際の熱で損傷を受けている可能性があります。
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消失してしまった正殿の右手にある南殿・番所です。
正殿や北殿は鮮やかな赤色で塗られていますが、こちらは色味のない素朴な建物となっています。
この南殿・番所の裏側には書院があり、奥には奥書院や黄金御殿や近習詰所があります。
これらの建物も消失してしまったそうです。
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首里城は過去何度か消失・再建をしているので、元々これらの建物もオリジナルではなく、写真や遺構などを基に再建されたものになるそうですが、30年もの月日をかけてようやく当時と同じような姿を取り戻していたところでした。
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私が訪れた時は台風が来ていたので雨戸が占められていて、庭園を眺めることが出来なかったのですが、わずかに開かれたところから覗いたところです。
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逆にこのように雨戸が閉まった状態の姿を見ることも珍しかったかもしれませんね。
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書院の先にある鎖之間では琉球王朝時代の伝統菓子とさんぴん茶をいただくことが出来ました。
さんぴん茶はジャスミンティーのことで、ジャスミンティーは中華圏では香片茶と書き、読み方としてはシャンピエンチャーなので、そこからさんぴん茶なんですよね。
本来はこの鎖之間では障子などを開け放していて庭園を眺めながら琉球の風を受けながらお茶を楽しめる場所です。
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国王や王妃の寝殿だった黄金御殿から正殿は2階部分で行き来出来るようになっていて、この絢爛豪華な玉座は正殿の中央部にあった御差床(うさすか)です。
2階部分は王妃や女官などの空間で男子禁制だったそうです。
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朱に金色がふんだんに使われた御差床(うさすか)には3枚の扁額がかかっていて、これらは中国の皇帝からの書を基に作られたものだそうですが、本来のものは戦争で焼失してしまい、中国に残る文献などからこの扁額を再度製作したのだそうです。
そういった意味でも扁額ひとつとってもかなり重要なものであることがわかります。
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そしてこの御差床(うさすか)には国王のみが使用出来る2階と1階を行き来するための階段がありました。
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そしてこちらが1階にある御差床(うさすか)です。
1階は執務や儀式を執り行う場所で、御差床の一段低くなっているところは皇子などが座る場所だったそうです。
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正殿内には一部床がガラス張りになっているところがあり、首里城の遺構を見ることが出来ました。
遺構を残すため、70cmほど浮かせて正殿が建てられていたのだそうです。
今回の火災でこちらの遺構も形が失われてしまっているのではないかと心配です。
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北殿側から正殿や南殿を見たところです。
ここに写っている全てが全焼してしまったとのことで、この景観は今や見ることが出来ないのですよね。
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こちらは南殿側から見た北殿です。
北殿の内部はパネルや模型で首里城での儀式の紹介などが行われていたり、ショップやカフェがありました。
あの沖縄サミットで晩餐会が行われたのもこの北殿だったんですよね。
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私が訪れた昨年の6月時点では正殿はお色直し中で櫓が組まれている状態でした。
昨年末に全方位の漆の塗りなおしが終了したばかりで、美しい姿を披露していたのは1年に満たなかった計算になります。
再建に関しては昔と違って前回の記録などが残っているとは思いますが、再建する際に柱部分で使用していたタイワンヒノキが現在では台湾では輸出禁止になっており、手に入れられない可能性が高いみたいです。
展示・保管されていた資料類の消失を含め、そういった点からも今回の火災で失ったものは計り知れないほど大きいですね。
オリジナルではないにしろ、首里城はやはり沖縄の人にとって大事な存在であり、それを失ったことへの悲しみも深いと思われます。
再びまたきらびやかで華麗な首里城が見られるようになることを願ってやみません。

















