秋のはじめは牧水が近くなった。ひとり酒に浸っているのではない。術後の身では飲めない。それというのも俵万智著、評伝『牧水の恋』に浸ったからである。今日の読売新聞(西部本社版)の短歌季評に書いたのであるが、ここではそこに書いていない箇所を紹介することにする。

 

白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ     若山牧水

 

牧水の名歌であるが、「はくちょう」ではなくここは「しらとり」。青々とした空と海を白鳥が孤高に翼を広げている姿をわたしはこれまでイメージしてきた。俵万智さんはかつて早稲田大学で佐佐木幸綱先生の講義を受けたのであるが、その箇所がいい。私もこんな授業を受けてみたかったな。(今は参考になる。)

 

「これまでの注釈書のほとんどが飛翔説をとっているとのことだが、佐佐木先生の解釈は違った。飛んでいるとすると視線の動きが大きく慌ただしい感じがする。『染まずただよふ』という表現からは、もっとゆったりと『ながめ』の時間を過ごしている印象がある。よって「海に浮いている」という考えだった。さらに『孤独』を読みとるには一羽という見方もできるが、それではむしろ端的すぎる。牧水の孤独は、もう少しカオスを持った猥雑な感じのもので、二、三羽いたほうが牧水らしいのではないか、というものだった。」(俵万智『牧水の恋』による)

 

俵万智はこの本で園田小枝子と「出会った頃の歌には『寂し』という語が多くつかわれていた。が、互いの距離が近くなってからは『悲し』が目立つようになる」と指摘している。そして「『牧水自身にも、この悲しみの出どころ(小枝子の断絶)の意味がわからない』ことだろう。わからないものを、わからないままに、純粋な『悲しみ』として詠んだとも受け取れる。そんななか、特に純度の高い『白鳥は』のような名歌を生み、『雲見れば雲に』のようなリズムを生み、牧水は歌い続けたのだった。」と書く。

 

この本には牧水の名歌が次々に出てきて親しみやすく、解説はどんな文献より説得力がある。勉強したら書けるものではなくて、俵万智にしか書けない評伝になっている。牧水は酒と旅だけじゃなくってよ。恋だっていいわ。恋は・・・俵万智の『牧水の恋』をまずはお読みになって・・とこれからは言うことにしよう。