
通常は
ご本人の気付きのレベルに寄り添った話しかしませんが、時に
本当に数えるくらいしかないのですが
全力でその道を止めなければならないことがあります。
魂が望む生き方には矢印があって
その範囲内で迷ったり脱線したり立ち止まったりする分にはまぁいいのですが、
そこから大きく外れた方向にゴールや希望を見ていると、そのベクトルから外れてしまうことになります
そうすると、魂の幸せは得られないばかりか
おおもととしては、なんとかそのベクトルに戻さないといけないので
事故か事件か、身近な人に何か起こるかなどをして
足止めをします
でも、
それが起こっていても言わない人の方が大半です。
なぜなら、多くの魂は自分自身でそれらを体験し、自ら気付きを得たいと思っているからです。
それなのに私がそれを止める時は
脱線した道を軌道修正する為に
悪役の脇役として配置されている時です
魂の望む幸せに導くということは、
それに向かっている人にとっては伴走者になりますが、
違う方向にゴールを見ている人にとっては、
希望を邪魔してくる嫌な奴でしかありません
それでも
魂の生き方に導くという事が私の仕事なら
それは重要な仕事であり、避けては通れないものです。
まぁ、嫌じゃけどね
櫻井えみではなく、私個人
えみまるとしては
まじ勘弁って思いますけど
えみまる子の目と口は塞いで
じぶんの心身をおおもとに明け渡し、
明らかに嫌われると分かる言葉を投げます
だいたいは、怒りだすか
意味わからなさすぎて固まるか
的はずれすぎて、なんだこの人?ってなります
それでも、どこかがそれを聞いているんです。
顕在意識ではない所が。
だからもう二度と来ないと分かっていても、言わないといけません。
怒り出したり感情が揺さぶられる時は
潜在意識に刺さった証拠でもあるので
そこからじわじわ気付くスタートの一粒になることもあります。
でもそれも、年単位でかかる事がほとんどです。
確実な幸せへの時限爆弾は
幸せへの起爆剤となることもあれば
顕在意識の望む幸せを絶つ
遮断剤であることもあるということです
いつか動き出しますように
と祈りながら仕掛けるという点では
どちらも同じですけどね
ちなみに
魂が望む幸せとはかけ離れた方向に全力疾走している時。
それは、エゴが喜んでいる時。
そしてそれを続けないといけないので
もっともっと、となっている時
ちょっと焦っていたり
常に回りが気になったり。そんな感じかな
逆に、魂の望む幸せのベクトルの中にいると
あまり、外側は気にならなくなると思います
それでは、
今日も最後まで読んでくださって
ありがとうございました




