此処・・・へ、 | …… “今” ……

…… “今” ……

☆信条は「ポジティブに生こう!」...
しかし、愚痴々々になる自分が居てf^_^;)ゞ...
日々の思いを此処に...☆ ...記...

私は、10年前に

《10年ってアッと言う間~」びっくりL》

体格の小さい叔母の

「お父ちゃんが倒れた・・・

今は入院してるけど、

退院した時 一人でお父ちゃん(既に独りでの歩行が困難な叔父)の

世話ができないから、手伝いに来て・・・」

そんな 切実な懇願を断れず 

既に離婚し 一応 自由に出入りできたから

言葉を素直に聞き入れ 家事手伝いと称して

介護に入った

「給料は出せないから・・・

自分のお小遣いは外でバイトして・・・」と。

 

その頃の事を少し、

 

昼間は、近所の知り合いの家で働き...

夜は、叔父の水分補給と“下の世話”をする為に、

叔父(ベット=)と叔母(布団)と同じ部屋(8畳&6畳の続き部屋)で

寝起きを共にするように

 

その頃はまだ 叔母が食事作りを率先して

台所は叔母の領域でしたから 手出しはしなくてて

そんな成り行きで 私の朝晩は二人の食べ残した物をいただく

それが当然だと暗黙の了解ガーン

お昼は、お弁当かパンを買うって感じ

 

・・・

 

叔父が ベットから全く起きられなくなり

叔母が 一度 自分の家を忘れて帰れなくなった頃

 

私はバイトを辞め、

家事全般・介護を請け負った

 

私の不自由を察しした叔父が

「“物置=要らない荷物の置き場になっていた部屋=”を片付けて使え」と

クタクタになってる畳を裏返し、綺麗な畳にして貰え

“自分の城(私の部屋)”となった

 

それまでにも 叔母とは様々な葛藤が度々あったけど

叔母は「お父ちゃんが○○○(私の事)が居るから助かるんだ

って言うから しかたなく置いてやる...」

叔父から説得されたような形で 不承不承(渋々)

私が此処へ入る事を承諾したのだった

 

で、

定期的に病院通いをしていた私は

半年に一度だとしても、

 往復 3時間の病院通いがままならずになり

外科も こちらの外科の主治医を紹介していただき、

で、住所もこちらに移し、、、

 

漸く あれこれ 軌道に乗り 

 

ganチャンも“勘当からの帰宅”を完了し...

 

何もかも 落ち着いてニコニコラブラブほっ。》

が、叔父が急死!

 

この頃から

毎日の生活が『私の遣り繰り』に任せられてて

贅沢はできないって知った

 

《叔母は?

自分自身の年金で 誰にも邪魔させず 

悠々と 自分の思うままに 意気揚々と生きてる》

 

私は「幸せな人ダワ」と思うけど

どうだろう...

 

今、、、

 

当然の如く

此処を維持する為の責務を担い

税金etc...etc...etc...

支払いに四苦八苦してるって

紛れも無い現実で 

 

...実情記録...