私は、10年前に
《10年ってアッと言う間~」
L》
体格の小さい叔母の
「お父ちゃんが倒れた・・・
今は入院してるけど、
退院した時 一人でお父ちゃん(既に独りでの歩行が困難な叔父)の
世話ができないから、手伝いに来て・・・」
そんな 切実な懇願を断れず
既に離婚し 一応 自由に出入りできたから
言葉を素直に聞き入れ 家事手伝いと称して
介護に入った
「給料は出せないから・・・
自分のお小遣いは外でバイトして・・・」と。
その頃の事を少し、
昼間は、近所の知り合いの家で働き...
夜は、叔父の水分補給と“下の世話”をする為に、
叔父(ベット=)と叔母(布団)と同じ部屋(8畳&6畳の続き部屋)で
寝起きを共にするように
その頃はまだ 叔母が食事作りを率先して
台所は叔母の領域でしたから 手出しはしなくてて
そんな成り行きで 私の朝晩は二人の食べ残した物をいただく
それが当然だと暗黙の了解![]()
お昼は、お弁当かパンを買うって感じ
・・・
叔父が ベットから全く起きられなくなり
叔母が 一度 自分の家を忘れて帰れなくなった頃
私はバイトを辞め、
家事全般・介護を請け負った
私の不自由を察しした叔父が
「“物置=要らない荷物の置き場になっていた部屋=”を片付けて使え」と
クタクタになってる畳を裏返し、綺麗な畳にして貰え
“自分の城(私の部屋)”となった
それまでにも 叔母とは様々な葛藤が度々あったけど
叔母は「お父ちゃんが○○○(私の事)が居るから助かるんだ
って言うから しかたなく置いてやる...」
叔父から説得されたような形で 不承不承(渋々)
私が此処へ入る事を承諾したのだった
で、
定期的に病院通いをしていた私は
半年に一度だとしても、
往復 3時間の病院通いがままならずになり
外科も こちらの外科の主治医を紹介していただき、
で、住所もこちらに移し、、、
漸く あれこれ 軌道に乗り
ganチャンも“勘当からの帰宅”を完了し...
何もかも 落ち着いて
《
ほっ。》
が、叔父が急死!
この頃から
毎日の生活が『私の遣り繰り』に任せられてて
贅沢はできないって知った
《叔母は?
自分自身の年金で 誰にも邪魔させず
悠々と 自分の思うままに 意気揚々と生きてる》
私は「幸せな人ダワ」と思うけど
どうだろう...
今、、、
当然の如く
此処を維持する為の責務を担い
税金etc...etc...etc...
支払いに四苦八苦してるって
紛れも無い現実で
...実情記録...