それは愛善ですか? | 咲く良米花の九つ花咲かそう!

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魂の中核に良心神を芯棒として世根(米)に生きる日常生活ブログ。

このところ、世の中のいろいろな人の姿から愛について考えさせられています。

 

なんて愛とは美しいものなのかと感じさせる姿があれば、これは愛じゃない、執着だ、お釈迦様が戒めたものだと感じさせるものまで様々です。

 

何事も時間の経過とともに変わっていきます。この世は諸行無常だからです。

 

良心神の教えでは愛ばかりいうのは蛇(邪)霊であると教えています。愛をいう場合は愛善でなければいけないと教えています。

 

新約聖書では愛の黄金律として隣人愛が説かれています。

「自分が相手の立場だったらしてほしいことを相手にしてあげなさい。」

意識の高い人が説いていることを意識が低い私たちが受け取るには受け取り違いがあるかもしれません。

 

今回、そんなことを考えながら過ごしていたら、今まで曖昧な理解だったことを詳しく教えているものの示しがありました。時々、どこからともなく示される不思議があります。良心神を強く意識していると、大神様に通じて自然と示されるのかもしれません。

 

『霊界物語』は最後の審判でもあると、出口王仁三郎さんが遺しています。

 

( あい ) には二種(にしゆ)区別(くべつ)があつて、050其一(そのいち)(かみ)(たい)する(あい)であり、051(いち)隣人(りんじん)(たい)する(あい)である。052(また)最高(さいかう)第一(だいいち)天国(てんごく)には大神(おほかみ)(たい)する(あい)あり、053第二(だいに)(すなは)中間天国(ちうかんてんごく)には隣人(りんじん)(たい)する(あい)がある。054隣人(りんじん)(たい)する(あい)とは(じん)そのものである。055(この)(あい)(じん)とは、056(いづ)れも大神(おほかみ)神格(しんかく)より()(きた)つて天国(てんごく)全体(ぜんたい)成就(じやうじゆ)するものである。057高天原(たかあまはら)()つて大神(おほかみ)(あい)(たてまつ)るといふ(こと)は、058人格(じんかく)(うへ)から()大神(おほかみ)(あい)するの(いひ)ではない、059大神(おほかみ)より(きた)(ところ)(ぜん)そのものを(あい)するの意義(いぎ)である。060(また)(ぜん)(あい)するといふ(こと)は、061(その)(ぜん)(こころざ)し、062(その)(ぜん)(おこな)ふや、063(みな)(あい)()つてなすの意味(いみ)である。064(ゆゑ)(あい)(はな)れたる(ぜん)は、065(けつ)して如何(いか)なる美事(びじ)(いへど)も、066善行(ぜんかう)(いへど)も、067(みな)地獄(ぢごく)(ぜん)にして所謂(いはゆる)(あく)である。068地獄界(ぢごくかい)(おい)(ぜん)となす(ところ)のものは、069高天原(たかあまはら)(おい)ては大抵(たいてい)(あく)となる。070高天原(たかあまはら)(おい)(あく)となす(ところ)のものは、071すべて地獄界(ぢごくかい)には(これ)(ぜん)とさるるのである。072それ(ゆゑ)(かみ)直接内流(ちよくせつないりう)によつて、073天国(てんごく)福音(ふくいん)現界(げんかい)人類(じんるゐ)伝達(でんたつ)するとも、074地獄界(ぢごくかい)(せき)をおける人間(にんげん)(こころ)には、075(もつと)()しく(えい)(かつ)(かん)ずるものである。076(ゆゑ)(いづ)れの()にも、077至善(しぜん)至愛(しあい)(をしへ)(つた)へ、078至真(ししん)至智(しち)(みち)(とな)ふる(もの)は、079(かなら)(これ)異端邪説(いたんじやせつ)となし、080(あるひ)敵視(てきし)され、081所在(あらゆる)迫害(はくがい)(かうむ)るものである。082(しか)(かく)(ごと)神人(しんじん)にして、083地獄界(ぢごくかい)如何(いか)なる迫害(はくがい)()け、084(あるひ)身肉(しんにく)(ほろ)ぼさるる(こと)ありとも、085(その)人格(じんかく)依然(いぜん)として死後(しご)生涯(しやうがい)()りし(とき)086(もつと)(きよ)きもの、087(たふと)きものとして、088天国(てんごく)尊敬(そんけい)され(かつ)(あい)さるるものである。089(つぎ)隣人(りんじん)(あい)する(じん)そのものは、090人格(じんかく)より()(その)朋友知己(ほういうちき)(とう)(あい)するの(いひ)ではない。091(えう)するに大神(おほかみ)聖言(せいげん)(すなは)神諭(しんゆ)より(きた)(ところ)神真(しんしん)(あい)するの意義(いぎ)である。092(また)神真(しんしん)(あい)するといふ(こと)は、093(その)(しん)(こころざ)し、094(しん)(おこな)ふの意義(いぎ)である。095以上(いじやう)両種(りやうしゆ)(あい)(ぜん)(しん)との(ごと)くに分立(ぶんりつ)し、096(ぜん)(しん)との(ごと)くに和合(わがふ)する。(以下より抜粋させていただきました。)「霊界物語.ネット」第52卷第一賞真と偽より

http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm5201

 

 

善とは創造主である大神様の御神格より流入して来る神善であり、神善とは愛そのもであり、その愛にも善と惡があり、愛の善とは霊主体j従、神より出でたる愛である。愛惡とは体主霊従といって自然界に於ける自愛又は世間愛をいい、世間愛とは決して世の中の所謂博愛や慈善的救済を云うのではなく、

ここからが大切ですが、「己が種族を愛し、或いは郷里を愛し、国土を愛する為に他を虐げ、或いは亡ぼして自己団体の安全を守る偏狭的愛を指したのである。」とあります。我よしですね。

 

自分を省みるチャンスです。

 

さて、自分はどうなのか?

 

今まで間違っていたら、悔い改めればいいのです。

 

「大神様、ごめんなさい。私は間違っておりました。悔い改めます。」と大神様に心から謝罪し、意識、

言動、行動全てを改めればいいのです。

自分が間違っていたと気づいた時、一番にすることは謝罪です。

 

大神様が御計画されているのは三千世界の立替立て直しです。

三千世界とは、天界、現界、地獄界のことです。

「地獄道に陥れる此現界をして、天国浄土の楽土となし、一人も地獄界に堕さざらしめむが為である。」

「三千世界一度に開くといふは、現界も地獄界も天界も一度に・・・即ち同様に光明赫赫たる至喜至楽の楽園となし、中有界だの、地獄界だの、天界だの、或いは兇霊界だのいふ、いまはしき区別を取除き、打って一丸となし、一個の人体に於けるが如く、単元として統治し給はむが為の御神策を示されたるものたることを悟るべきである。」『霊界物語』第52卷 第一章 真と偽より抜粋

それで皆の改心を待っていらっしゃるのです。

大神様は「我よし」を嫌われます。

 

皆様の理解の助けになればと思い、以下を貼ります。

 

http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm4709

http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm4801

http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm56

http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm5601

 

もう分岐しているといいますが、生きています。

 

三歩進んで二歩下がっているような私がいうのも変ですが、生きている間は一歩でも二歩でも日々向上していきましょう!

 

希望も大切な霊の実です。