宇宙ビジョン作家の人響三九楽ヒビキサクラです。
昨日、この映画を観てきました。
「ローマの休日」で一躍大スターになったオードリー・ヘップバーン
たくさんの映画に出演したイメージがありますが、「ローマの休日」以降は19本しか出演していませんでした。
それは彼女が大スターであるよりも、家族を一番大切にしたかったからです。
その思いは、彼女自身が親の離婚で寂しい思いをしたことが大きな原因になっています。
とりわけ父が彼女と母を置き去りにし、目の前からいなくなったことは人生に大きな影響を与えるほどのトラウマでした。
「父に捨てられた娘」
「父に愛されなかった娘」
この思いが、愛されたい、という思いが強すぎ、ダメンズ夫を選ぶ原因になりました。
母も娘の愛し方が下手な女性でした。
オードリーにあたたかい言葉をかけるよりも、厳しく接する事が愛だと思っていたようです。
オードリーの長男、ショーン・ファーラーは彼女が母親である彼女がこうつぶやくのを聞き驚いたそうです。
「母は自分の容姿のことを欠点がうまく集まっていると考えていたようです。
母は鏡を見ながら、『鼻が大きすぎるし、足が大きいし、やせすぎて胸がないのに、なぜ世間は私のことを美しいと言うのかわからないわ』と言っていました。」
二度の離婚は、オードリーの心をさらに強く傷つけました。
彼女は完璧な愛を求めた女性でした。
きっと家では完璧な妻になろうと頑張った事でしょう。
それが夫にとってとても窮屈なことだと知らなかったでしょう。
求めても手に入らない「完璧な愛」を望んだ彼女が選んだのは、飢餓に苦しむ子ども達に愛を注ぐことでした。
自身が戦争中に飢餓で苦しみ、ナチスから解放された街にユニセフからの食糧援助で救われたことがユニセフの活動への背中を押しました。
無条件の愛
完璧な愛を求め続けた彼女は、人生の終わりにようやく気づきます。
自分に無条件で完璧な愛を与えられるのは、自分しかいない
と。
彼女がもう少し早く「完璧さ」を手放していたら、自分を捨てた父がオランダに飛び立つ最後の飛行機に彼女を乗せるため車で見送ったことを「愛」だと気づいたでしょう。
自分が望む愛を決めている人は、それ以外の愛を受け取り拒否する人が多いです。
望む愛でなくても、そこに10%でも1%でも愛はあったのです。
その愛を受け取っていたら、彼女の人生ももっと楽だったかもしれませんが、愛を学ぶ人生として完璧でした。
最後に彼女は自分自身を愛することができたのですから。
若い頃のキラキラした彼女はもちろん綺麗なのですが、ユニセフの活動を始めた六十歳頃の彼女は生き生きとして、本当に美しかったです。
あなたの映画、そして人生から受け取ったたくさんの愛
本当にありがとう!
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