こんにちは、咲良ゆうこですふんわりリボン





衝撃的な出来事から幕開けた2024年。


令和6年能登半島地震で被災した輪島市は私の地元でもあり、私も元日に帰省していました。


幸い家族も私も大きな怪我はなく、命は助かりましたクローバー


少しずつ気持ちの整理がついてきた中で、地震についてブログに書くべきか考えましたが、この出来事を私の中で風化させないために、そして被災したからこそ発信できることがあると感じ書き記すことにしました地球


結論からお伝えすると、私が伝えたいことは大きく4つ。


●日常生活に当たり前はない

●どんな経験も命あってこそ

●人との繋がりの大切さ

●備えることの重要性


これらについて書いていこうと思います。





ここから先は私の体験や目の当たりにした被災地の光景を書きますので、地震のニュースで心理的に不安定になっている方は、読まずに閉じていただければ幸いですうさぎ


※脅すことが目的ではなく、大切なことを伝えることが目的です。







1月1日。


私は現在居住している金沢市から、実家がある輪島市に主人と共に向かいました車


実家で両親や兄弟と合流し、同じ輪島市内にある祖母の家に向かった16時過ぎ。


新年を祝おうと少し早めの乾杯をしたところで、経験したことのない大きな揺れが襲いました。


2007年の能登半島地震よりももっと激しい、死を覚悟するような揺れでした。


どれほど続いたのか、長い長い揺れの最中、どうか皆の命だけは助けてくださいと必死に祈っていました。





「外に出よう!!!!」


揺れが収まり、父の緊迫の声で窓から外に出ると、周りには全壊した家屋や倒れかかった電柱、土埃が舞い、見慣れた景色はもうありませんでした。


幸い祖母の家は倒れず一部損壊で済みましたが、命が助かったことが奇跡のように思えるほど街は壊滅的でした。


パニックになりながらも周辺の倒壊した家屋に生き埋めになってる人がいないか声を掛け、見渡せる範囲の無事を確認したところで、津波警報が出ていたため一家で高台に避難しました。


何度も何度も余震が襲い、地震警報や津波警報が鳴り響きました。


私は妊娠中にも拘らずぬかるみで足を滑らせ転倒してしまい、赤ちゃんの胎動もしばらく感じられず、不安を抱えながら避難していました。


赤ちゃんもきっと驚いてじっと固まっていたのでしょう。。その後元気に動き出し、順調に育っています立ち上がる





数時間後、実家の様子を見に帰ろうと試みたものの、道路の陥没が酷く車で通行可能な道が1本もありませんでした。


やむを得ず向かった避難所に1月1日の夜〜1月3日の朝までいました。


写真は1月2日。避難所近くに現れた天使の梯子。





高齢者が多い地域ですが、小さな子連れの家族も沢山いらっしゃり、皆で食べ物を持ち寄って助け合いながら凌いでいました。


断水のためトイレ問題が1番深刻でしたが、私のいた避難所には電気や通信は来ていたので恵まれていたと思います。





1月3日、通常なら30分の道を4時間かけて実家に戻りました。


私の実家は2軒の家屋があり、1軒は半壊、もう1軒は物が散乱しただけで建物はなんとか無事でした。


しかし近所には半壊しもう住めないような家屋ばかり。。


生まれ育った集落のその惨状を目の当たりにし、近所の方の御親戚が亡くなられたという話も聞き、本当に信じられないほどの大地震が来てしまったのだと改めて思い知らされました。





実家の中を少し片付け、私たち夫婦は金沢に戻ることになりました。


実家の家族は職業柄、輪島市を離れる訳にいかず、実家のエリアは通信も断絶していたため家族とはしばらく連絡が取れなくなります。


お互いの無事を祈り私たちは実家を発ちました。





通常なら1時間半の道を6時間かけて金沢市に戻ると、ほとんど被害はありませんでした。


被災地との差に非現実感を覚えるほどに、いつもと同じ平穏な日常の光景がありました。


ごく普通の生活に戻って感じたこと。


家があって、


水や電気が使えて、


ご飯を食べることができて、


家族がいる。


そんな当たり前のように感じていた日常は当たり前ではなく、こんなにも有り難いことだったのかと気付かされました。





そして、


悩むことも悲しむことも、


楽しむことも喜ぶことも、


どんな経験も、


命があるからこそ出来ること。


私たちは命が助かったのだから、これからまた何でも出来るのだと、心の底から命の有り難みを感じました。





私は自分だけ日常生活に戻ることへの複雑さ、支援に行きたくても今は素人が行くべきではないという葛藤、連日報道される被災地の惨状にしばらくの間は毎日涙が溢れていました。


現在は実家にも通信は復旧していますが、水や電気は未だ復旧の目処が立っていません。
(※2月24日追記 全国からの支援のおかげで実家に電気と水も復旧しました。感謝です。)


それでも、自衛隊や警察、消防、医療関係者、自治体職員、全国から支援に来てくださる方々のおかげで少しずつ復旧は進んでいます。


県内外の親戚や友人からも、何か出来ることがあったら言って欲しいと沢山の連絡を貰いました。


本当に本当に有り難く、感謝しかありません。


私も人との繋がりをもっと大切にしようと思いました。


こんな災害時にも犯罪を犯したりデマを拡散したり、信じられないことをする人はいますが、目を向ける矛先を変えれば、愛や温かさの方が多く溢れていることに気付きます。


今はそちらに目を向け、被災地の復旧と復興を祈り、私に出来ることをしていきます。





そして、どんな地域に住んでいても「絶対」の安全は存在しません。


私を含め能登半島地震の被災者ほぼ全員が、まさか元日にこんな大災害に巻き込まれるとは想像すらしていなかったはずです。


出来る範囲の備蓄、住居内の家具の配置の見直し、万一災害が起きた時の避難ルートの確認はしておくべきです。


備えられる部分は備えて、何も起きなければその幸運に感謝すればいいのです。


まさかの事態での被害を最小限にする為に、日頃から備えておきましょう晴れ





私自身の気持ちの落ち着きは取り戻してきましたが、地元である被災地はまだまだ大変な状況が続いています。


微力ながら私に出来ること、被災者の心のケアをする為に、無償カウンセリングを準備中です。


準備が整い次第お知らせいたします虹





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