イタリアにきて1ヶ月が経ち、少し慣れてきたと思っていたところで風邪をひきました。

それと同じタイミングで日本にいるパートナーも体調を崩し、お互いがお互いを看病できない悔しさを感じでいました。

 1人でベッドで寝こんでいるときに感じたのは、もしこれが最後のお別れになっちゃったらどうしようってことでした。

自分の性格上、あまりマイナスなことは考えないのですが、このときばかりはとても悲しくなりました。最後に「ありがとう」や「I love you」が言えないままお別れになったらどうしよう。

海外で1人で生活していると、今まで周りにいた人達がどれだけ自分の財産であったか思い知らされます。


 イタリアには沢山の教会があります。

近所にある有名な教会を訪れた時、ちょうど礼拝の時間が始まりました。礼拝が始まった瞬間、協会の中の空気がガラッと変わり、人々も一斉にお祈りを始めました。

 本当に圧巻されました。

私はあまり宗教について関心がなく、言い方は悪いですが、宗教=すがって生きるもの のような風に思えて、私には関係の無いものだと感じていました。ですが、実際には人々がすがっているという印象は全く無く、寧ろ忠誠心のようなものを感じました。それが神に対してなのか、自分に対してなのか、はたまた愛する人に対してなのかは人それぞれだと思います。

 ずっと昔から人々の忠誠心が協会という場所で放出され、あのような美しく幻想的な空気感を醸しだしているのだなと感じました。

  ただ単にとても美しい時間でした。


 キリストは隣人愛を謳いました。

ヨーロッパの人々は他人に対する優しさが日本とは桁違いに違うと思います。

電車やバスなどで、お年寄りに席を譲るのに誰も躊躇しませんし、ベビーカーの乗り降りもみんな手伝います。キリスト教の教えには愛があり、それが現代のヨーロッパの人々にも受け継がれているような気がします。


 日本ではあまり「愛してるよ」というのは一般的ではありません。それも1つの文化であり、宗教的な背景があると思います。

ですが、私たちに明日を生きれる確証はどこにもありません。

 いつどこで終わるか分からない人生だからこそ、私は沢山の愛に溢れる人生を送りたいと思います。

 感謝と愛は伝えないと受け取って貰えないものです。というのを、イタリアにきてようやく気づくことができました。


 人生について考える機会が増えた20歳の今だからこそ、自分のフィロソフィーを大切にして生きていきたいです。