【オズの魔法使い】ブリキ男に関する考察 | maiのブログ

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【オズの魔法使い】には、「ブリキの木こり」というキャラクターが登場します。
主人公のドロシーをサポートする、三人のお供の中の一人で、全身がブリキでできているため、「温かいハートが無い」ことを嘆いており、オズ大王に「ハートを貰う」目的を持って、ドロシーと共に旅立ちます。

このブリキの木こりに、かなり衝撃的なバックトーリーがあることを、ご存知でしょうか?
子供向けの翻訳版などでは、カットされていることが多いのですが、完訳版に近いものには、ブリキの木こりがどうしてブリキの身体になったかのいきさつが書かれています。


!!以下、作品の内容に触れています!!


・ブリキの木こりの、衝撃的な過去
まず、ブリキの木こりは、元々は人間でした。(もうこの段階で、かなりビックリしたのを覚えています)
森で木こりの仕事をしていた彼には、結婚を約束した恋人がいたのですが、この恋人と同居している老婆が、二人の結婚を良しとせず、悪い魔女を男に差し向けるのです。

この老婆が、娘の結婚を許さなかった理由というのが、まぁヒドいです。木こりにも娘にも、何の落ち度もなかったのにもかかわらず、「身の回りの世話をしてくれる者がいなくなったら困る」という、自己中にも程がある動機で、二人の仲を引き裂いたのです。(バージョンによっては、老婆が魔女と同一人物になっていたりもします)

悪い魔女に呪いをかけられた木こりは、木を切る仕事をする度に、斧のコントロールを失って、自ら自分の身体を傷つける羽目になります。手や足という、身体パーツを次々と失い、その度に木こりは、失ったパーツをブリキ製のパーツに取り替えていきます。

この呪いも、またずいぶんと残酷な、いやらしい呪いです。徐々に相手をいたぶろうという悪意に満ちています。
木こりの身体がどんどんブリキ製に変わっていく過程は、割と淡々と、あっけらかんと描写されてはいますが、それでも悲惨である事に変わりはありません。「自分で自分の身体を切り落とす」という、その構造が、もう残酷極まりない。老婆といい、魔女といい、なにが彼女らをここまで残酷にさせるんでしょうか。

生身のパーツが、とうとう頭部と胴体だけとなってしまった木こりですが、ある日、「」を切り落としてしまい、頭部をもブリキ製に取り替える事になります。
・・・ここは、「ちょっと待ってくれ」と、ツッコみたくなる人もいるんじゃないでしょうか。
頭が駄目になった段階で、もうそれは、死んでるんじゃないの?」という疑問点についてです。


・どこまでが「人間」なのか?
この辺は、ハードなSF等でもテーマとして扱われるような、深遠な課題です。「機械と人間の境目はどこにあるのか?」問題です。
この物語は、そんな問題知ったこっちゃないと言わんばかりに、ブリキ男の実質的な「死」については一切触れずに、「こうして無事なのは胴体だけとなりました」と、強引に押し通してしまいます。

でもまぁ、この物語は童話であって、SFではないのですから、それはそれで構わないわけです。おそらく魔法的なものの作用もあり、ブリキ男の魂は、切り落とされた首の方ではなく、身体の方に依存したのでしょう。「鋼の錬金術師」の、アルフォンス君をイメージすれば、なんとか納得できるような気もいたします。

しかし足や腕、頭部等の欠損の時は、さほど大騒ぎもしていなかったブリキ男が、胴体をすげ替えた段階になって、さすがに事態の深刻さを嘆き始める部分には、注目したい所です。(「いや、もっと早く嘆こうよ!」と、それはそれでツッコみたくなる部分でもあるのですが・・・)

ブリキ男にとっては、頭部<<<胴体(心臓部)だということが、ここではっきり示されています。
SF小説などでは、「サイボーグ」と「ロボット」の境目は、「脳が生身かどうか」で判別している場合が多いと思います。ある程度の科学的な素地の在る世界においては、人間性とは脳>>>心臓です。「スタートレック」のピカード艦長も、人工心臓の持ち主ですが、当然人間として扱われています。

しかし、ブリキ男は、胴体(心臓部)を失った段階で、「自分には温かいハートが無くなってしまった。もう人を愛せない」と絶望し、娘との結婚を諦めるのです。
さらに追い討ちをかけるように、恋人だった娘の言い分がまたヒドいのです。「いいじゃないあなたがブリキでも。(ここまではいい。)ご飯もいらないし、何時間だって働ける。いい事づくめよ!(←ええー!?)」みたいな事を言うんです。

なんでしょうこのエピソードは。出てくる女出てくる女、皆クズばかりです。
せめて恋人くらいは、ブリキ男の気持ちを理解してやればいいのに、救いも何もあったもんじゃありません。
しかし、この娘もまた老婆に「労働力」としか見なされていない、愛されていない娘であることにも注目したいと思います。彼女もまた、利己的な身内に人間性を無視されて生きてきた犠牲者であり、自分も他人も、「成果主義」のものさしでしか計ることができなくなってしまっている可能性があります。

とにもかくにも、この物語において、「心」のありどころは「心臓部」であり、「人間と機械との境目」も、そこにあると描かれています。これはちょっと面白い解釈ですね。

英語の「ハート」には、「心臓」と「心」の二つの意味を含みますし、ここで心のありどころを「脳」の方に設定してしまうと、「脳みそが欲しい」と嘆く、かかしのキャラクターと目的がかぶり、ややこしいことになってしまいます。それ故このような解釈に落ち着いたのではないかと個人的には思うのですが、切り落とされた首の方に人格がないものと見なした、このエピソードはかなりのインパクトを持って私の記憶に刻まれています。


・ブリキ男の悲しみと救済
ガランドウの身体を持つブリキ男は、道を歩く時も下ばかり見て歩く癖を持っています。「どうしてうつむいて歩くの?」という質問に、ブリキ男は答えます。

自分には心が無いから、気をつけないと、小さな虫をうっかり踏み潰してしまうかもしれない。温かい心を持つ人が、自然にできることが、自分にはできないから、気をつけないといけないんだ」・・・

この台詞は、思い返す度に涙が出そうになります。実は自分も、時々似たような心境に陥ることがあるからです。
「自分の感覚は基本的に間違っている」という、思い込みが何故か自分にはありまして・・・そういう意味でも個人的にブリキ男は私にとって、他人とは思えない、非常に思い入れの在るキャラクターなわけです。

しかし、このブリキ男の言い様をみてください。なんという男前、なんという優しさでしょう!
ブリキ男は、自分の欠落の原因を責めもせずに、自分の欠落を自覚し、自分が欠落しているが故に、せめて努力でその欠落を補おうとしているのです。

温かい心が無いと自覚しているが故に、「優しくあろう」と誰よりも努力しているブリキ男。そんな彼に、オズ大王は、「あんたには心がある。無いと思い込んでいるだけだ」と言います。

この辺は、読者も「そうだよ!ブリキさんは誰よりも優しい心があるよ!」と賛同するところでしょう。その上、オズ大王は、ブリキ男の胴体部分に、布製のピンクッションのような「作り物のハート」を収めるという、ある種の処置をも行ってくれます。

ブリキ男の抱える悩みは、要は「気持ちの問題」だとオズ大王は見なしており、この処置は気持ちを切り替えるための儀式的な意味合いしかないと思われますが、これでブリキ男は一応の救いを得て、旅を終える事になります。

「オズの魔法使い」には後日談があり、そこにブリキ男も再登場していますが、そこでは実はブリキ男の悩みは解決した訳ではない、というやや興ざめなエピソードが描かれています。かつての恋人と、よりを戻したりもしていませんし、依然自分を「心の無い男」と評していることからも、彼の心の傷は、あの時癒えたわけではない事が分かります。

そもそもが、オズ大王と言うのは偉大な魔法使いでもなんでもなくて、ただの詐欺師である訳です。詐欺師に慰められた所で、深刻な傷が癒えるわけもない・・・と言うように受け取れなくもないエピソードですが、続編の事は一旦無視するとして、やはりブリキ男は、「オズの魔法使い」本編において、一旦は救われたのだと、私は思います。というか、思いたいです。

オズ大王の処置は、一時しのぎのごまかしにしかすぎなかかったのかもしれませんが、少なくともその時、オズ大王はブリキ男の心に寄り添い、その時出来うる最大限の努力をしてくれた訳です。「あんたには心がある」という言葉が、嘘かまことか、それはもうどうでも良い事で、そう言葉にしてもらえた事実だけでも、ブリキ男は慰められ、一応の満足を得ることができたのではないかと思います。

布製のハートを胸に収め、誰よりも優しくあろうとふるまうブリキ男。彼は、自分の優しさを「作り物」と思っているのかもしれませんが、善意は時に、真偽の垣根を越えるパワーを生み出す時があると、この物語は語っているのではないかと思います。

それでもやっぱり、ブリキ男さんはもう少し報われてもいいんじゃないかと、個人的には思います。誰かそんな続編、作ってくれないかなぁ・・・。