やれるだけやってみる。


持てる力をすべて注ぐつもりでやってみる。


ものすごく大事。


なぜなら、こういう姿勢、意識、想いでやるからこそ、大きな力を発揮できるものだから。


ただ、こうやって取り組んでいる人は少ないのが事実。


多くの人は、そこまでやっていない。


なんたって、そこまで思い入れるものに出会っていないから。


そうまでしたいと思っていないから。


結果を気にしているから。


そして、様々な理由によって、手を抜いて取り組む。


精一杯やっているフリをして取り組む。


無意識の内に、力を抑えて取り組む。


多くの人が陥っている現状。


でも、実際のところは、結果の先のことを気にしていることが多い。


本来、上手くいくことは良いこととされているが、上手くいくことによって、環境が大きく

変わるのであれば、人はそれに抵抗を抱くもの。


変化のない今の環境に安定を感じ、変化の生じる環境に不安を抱く。


無意識の内に、環境の変化を強く怖れていると、上手くいくことさえも無意識の内に敬遠していることだってある。


一概に、良いこととは言えない。


また、上手くいかなかった場合、上手くいかなかったことによって、周囲から変に思われたり、嘲笑されたり、冷たい目で見られることもある。


こうしたことを怖れて、やることそのものを敬遠する人は多い。


しかも、思い入れが強いと、より一層強く感じるため、強い想いを抑える人は多い。


ただ、それ以上に強い想いで臨み、上手くいかなくてその強い想いを失うことを怖れていることこそ、本質なのではないか。


だから、強い想いを抱こうとしないのではないか。


なんせ、自分が抱く強い想いは、自分の中で大切なものになっていくから。


大切だからこそ、この想いを形にしたい、という欲が生まれる。


形にできれば、いつまでも強い想いを持ち続けることができる事実。


一方、大切だからこそ、この想いを失いたくない、という欲も生まれる。


形にできないのであれば、強い想いを手放すことにもなりかねない事実。


強い想いを持っていることが当たり前になっているため、それがない自分が考えることができずにいる。


そんな自分を認めることができずにいる。


そんな自分を受け入れることができずにいる。


形にしたいという想いと、失いたくないという想いに振り回されるから、迷いが生じためらいが生まれる。


振り回されている間というのは、中途半端な状態。


何も決めることができずに、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと自分の想いが右往左往している状態。


そもそも、中途半端な状態が一番不安定なんよね。


これでは、覚悟を決めるどころではない。


むしろ、いつまで経っても、覚悟を決めることなんてできやしないだろう。


だって、覚悟というのは、自分の中にある強い想いを何が何でも形にする、ということを決めることだから


もしくは、最悪の場合、自分の中にある強い想いを手放す、ということを決めることだから。


何が何でも突き進むか、潔く諦めるか、どちらかを受け入れることによって覚悟は決まるもの。


しかし、多くの人は、これをハッキリと決めない。


前には進みたいが、手放したくもないし、失いたくもない。


どっちつかずの判断をするから、いつまで経っても、中途半端なままでいる。


ただ、いつまでも中途半端な状態でいるわけにはいかない。


それで良い、という人は別なのだが…


では、どちらが選びやすいかを考えてみよう。


何が何でも形にすることを選ぶには、強い意志と自分を強く信じる信念みたいなものが必要となる。


そんなのを持ち合わせているなら、当の昔に覚悟を決め取り組んでいるもの。


今、取り組んでいないのであれば、そういったものを現時点では持ち合わせていない。


強い意思や強い信念というのは、得ようと思っても、今すぐ得ることができるものではない。


なんせ、意志はともかく、信念は、経験を積み上げていく中で育まれていくものだから。


だったら、手放すことを、失うことを受け入れたら良い。


自分が思っている以上に、手放したからといって、失ったからといってどうなるわけでもない。


もちろん、大きな傷を残し、トラウマを残すことだってある。


けど、それは、単に、自分と向き合うことを放棄しているから起きること。


ちゃんと、自分自身を受け止める姿勢を持ち、そんな習慣を抱いていると、そうはならない。


ひょっとすると、こんなことしなくとも、トラウマにまではならないかもしれない。


だって、人は、結構強いから。


案外、タフにできているから。


おそらく、大好きな人に大好きな想いがある状態でふられた経験がある人はなんとなく分かるであろう。


強い想いが自分の中に残り、自分の心は深く傷つく。


だが、そんな自分とは関係なく、時は流れ続ける。


いつもと同じように、日は昇り、そして沈んでいく。


形にならなかったらならなかったで、意外となんとかなるもの。


当然、形にならない、と分かった瞬間は、何とも言えない気分になる。


けど、これは、いつまでも続かない。


人によって時間差はあるが、これを乗り越えると、以前の自分より大きな自分になることができる。


強い想いを手放すほど、強くて優しい人になることができる。


よって、手放すこと、失うことは、一概に悪いものとは言えない。


当たり前ではあるが、強い想いを抱くことは大事。


でも、それ以上に大事なのは、変に固執しないこと、執着しないこと。


仮に、固執する場合は、執着する場合は、徹底的にして、絶対に形にすることを頑なに決めること。


強い想いを抱きつつ、万が一には、その想いを手放す潔さを持つこと。


この感覚が、覚悟を決めることに役立つ。


それに、たとえ、手放しても、失っても、そこで終わりではない。


そこから新たに自分のストーリーが始まっていく。


人生の道というは、自分が今思っている道だけではないんやで。


だから、気楽にとらえ、気楽に臨めば良い。



サコヤンの独り言

「想いを手放すことを受け入れることが、覚悟を決めることにつながる」