どんな人だって、やれないことはたくさんある。
もちろん、やれることだってたくさんある。
だったら、やれることに焦点を当て、やれることをドンドンやれば良い。
その方が人生は好転していくし、自分のためになる。
だが、これをできている人って、意外と少ないもの。
なぜなら、たくさんあるやれないことに焦点を当てているから。
やれないことに嘆き、自分を卑下する。
そうやって自分をとらえることで、自分は何もできないように感じてしまう。
自分を低くとらえれば、やれるものもやれなくなる。
たとえ、やれる力が備わっていてもやれなくなる。
すごくもったいない。
だって、やれる力があるにもかかわらず、やれないと思い込んでいるんやから。
自分の思い込みによって、自分の力を活かしきれていない。
メンタルブロックがかかっていることによって、やれない状態になっている。
ただ、最大の問題は、こうしたことを自分自身が認識できていないこと
やれないと思い込んでいることやメンタルブロックがかかっていることが、当たり前なものとしてとらえていること。
アカン状態であるにもかかわらず、それを良しとしている。
自分自身を客観的に見ることができなくて…
自分という存在があまりにも近すぎて、本質が見えなくなっていて…
自分で自分を否定することができなくて…
どんな状態であろうと、自分は自分を正当化しようとする。
だから、劣悪な状況であろうと、その環境に適応し良しとしてしまう。
そして、芳しくない状況であっても、それを芳しくない状況としてとらえることができなくなっていく。
住めば都という言葉があるように、始めは不都合に感じていたものでも、何度も繰り返していると慣れていく。
慣れていけば、不都合と感じなくなる。
不都合な状態が当たり前と思えるようになる。
人の適応力は本当に素晴らしい。
けど、この適応力は、かえって、自分を堕落させてしまう。
なんせ、当たり前と思うようになれば、この当たり前を続けようとするから。
当たり前と思うことで、次のステージを目指さなくなる。
今の環境に根を下ろし、今の場所で過ごすようになる。
もちろん、そういう生き方もある。
でも、この生き方は、本来ならやれることのほとんどを捨てる選択でもある。
やれることをやらないまま過ごす選択でもある。
やれる力があるのに、やらないまま過ごす。
なんだか、時の流れと共に後悔が膨らんでいきそうな生き方じゃよね。
なんたって、いつまでも、やっておけば良かった、という想いが心に残り続けるから。
心の中に消えることのないしこりを抱き続けることになるから。
しかも、心の中にあるしこりは、存在していることによって、自然と過去に意識が向くようになっている。
すると、今以降に意識を向けることができなくなる。
そのため、やれることは、ちゃんとやること。
やりたいことがあるなら、しっかりとやること。
行きたい世界があるなら、その世界に足を踏み入れること。
迷っていても、ためらっていても、不安がっていても、何にもならない。
仮に、やれることがたくさんあったとしても、実際にやらなければ、何の意味もない。
思っているだけでは、どうにもならない。
ゆえに、自ら動くことが必要なんよね。
ただ、動きたくても動けない人がいるのも事実。
心が傷つきすぎて、やる自分をイメージできなかったりする。
イメージできるのは、やらない自分であり、不安を膨らませている自分だったりする。
心が傷つけば傷つくほど、セルフイメージは低くなる一方。
そんな状態では、動いた方が良い、と分かっていても、動けるものではない。
だから、とにかく、動ける状態に自分自身を整える必要がある。
そして、まずは、今の自分にやれる範囲で良いから、今までの自分とは異なるものを取り入れること。
次にすることは、小さな変化を受け入れ、変化しても大丈夫、という実績を積み上げていくこと。
小さな変化なら、さほど、抵抗なくやれるもの。
やってみれば、意外とアッサリと受け入れるもの。
たとえ、小さな変化であっても、変化していることには変わりない。
変化をする場合、何も、特別なことをする必要はない。
むしろ、他人に馬鹿にされるような簡単なことをすることの方が望ましい。
だって、その方が、ハードルが低く容易にやれるから。
ハードルは低くても、ちゃんとやれた、ほんの少しでも変われた、という実績は残る。
この実績が、次につながる。
良い流れで、次に向かえる。
前向きな想いのまま、歩を進めることができる。
もちろん、どんな些細なことでも構わない。
ワンランク上の財布に買い代えることでも良い。
これまでと異なる趣向の服を着ることでも良い。
しばらく会っていない人に連絡を取ることでも良い。
些細なことを選択肢に入れると、誰だって、やれることはたくさんある。
ただ、多くの人は、些細なことを馬鹿にし、選択肢から排除してしまっているんよね。
実は、ものすごく重要なことであるにもかかわらず…
些細なことを拒むのは、目に見える大きな結果だけを得ようとしているから。
大きな結果が得られないと分かっているから、下に見てしまう。
だが、些細なことでもやれば、変化の流れが生じていく。
そして、変化の流れに乗っていけば、少しずつ、大きなものを得ることができるようになっていく。
最初から大きな結果を望んでいると、いつまで経っても、それは夢のままで終わる可能性は高い。
けど、些細な変化を繰り返していると、時の流れと共に現実味を帯びてくる。
長い目で見ると、些細なことをする、というのはすごく有効な手段なんよね。
だから、他人に馬鹿にされるような些細なことを一生懸命やり続けたら良い。
すると、次第に、お互いに差が生まれ、馬鹿にされなくなっていくから。
とにかく、どんな人だって、やれることはたくさんある。
案外、そんなものなんやで。
サコヤンの独り言
「他人に馬鹿にされるような些細なことをやって、変化の流れを作れば良い」