何を正しいと思うのか。


それは、人によって異なる。


何を見てきたのか。


家族にどんな影響を受けたのか。


どんな環境で育ってきたのか。


各々、育つ過程が異なるため、人によって何を正しいと思うかなんてのは、千差万別。


それぞれに、それぞれの正しさがある。


だから、人は意見がぶつかる。


自分にとってどうしても譲れない対象である場合は特に…


自分が持つ正しさが他人に受け入れてもらえない場合、自分が否定されたかのように感じる。


自分の人格が否定されたかのようにさえ感じる。


そのため、自分が持つ正しさを相手にも認めてもらおうとする。


時には、相手に押しつけてでも認めてもらおうとする。


正しさを強要するのは、否定されることを回避する行為なんよね。


また、強引に押しつけるのは、自分自身が間違っていると認めたくないからなんよね。


無意識の内に、正しくなければならない、と思い込んでいる人は多い。


ゆえに、自分の世界、自分の価値観、自分の考えに固執してしまう。


仮に、今の自分が正しくて、今の自分の世界が正しくて、今の自分の考えが正しいとなると、自分は何も受け入れることができなくなる。


自分以外の何かから受け入れることができなくなる。


自ら今と異なる行動ができなくなる。


なぜなら、今の自分の世界観が絶対的なものとなっているから。


絶対的なものとして思い込んでいるから。


今の世界観を絶対的なものとしてとらえると、それに入っていないものは、すべて正しくないものとなる、間違っているものとなる。


だから、受け入れることができないし、受け入れようとしない。


もちろん、今までの過程があるから、今の世界を正しいものとして思うのも分かる。


けど、自分の人生は、これまでの時間がすべてではない。


生まれてから死ぬまでが、自分にとって正しいものとなる。


よって、今だけを切り取って、今の世界を絶対的に正しいものとして決めつけるのは時期尚早。


人は、何歳からでも変わることができる。


これまでの流れを変えることができる。


変われば変わったで、それが自分にとって正しいものとなる。


変わるまでの自分からすると、間違っているものとしてとらえていたものが、変わってしまえば正しいものとなる。


逆に、変わった自分からすると、正しいものとしてとらえていたものが、変わった後では間違っているものとなる。


今は正しくとも、時の変化や状況の変化によって正しくないものになることなんてザラにある。


むしろ、いつまでも変わらず正しくあり続けることの方が稀。


このことから見ても、絶対的に正しいものなんて滅多にあるものではない。


だが、自分のこととなると、つい、絶対的に正しいものとしてとらえてしまう。


正しいと思っていることが半永久的に正しくあり続けるものとしてとらえてしまう。


決して、そんなことはないのに…


正しさなんて、実は刹那的。


ある一定期間の間だけに通用する正しさだったりする。


だから、無理して、正しくなければならない、と思い込む必要はない。


どうせ、今思っている正しさは、今の自分にだけ必要なものだから。


将来の自分をイメージして、必要ない正しさと気づけば、遠慮なく手放せば良い。


手放すことで描いている自分の姿により近づくことができるようになるから。


ただ、今は正しいと思い込んでいても、その思い込みが次のステージに立つことの妨げになっている場合はよくある。


だから、頑なに正しいととらえる必要はない。


たとえ、正しいものであっても、ひょっとすると正しくないのかもしれない、と時には疑うことも大事。


だって、疑うことで、新たな何かに気づく可能性はあるから。


正しいと思っていることを疑うのは、自分の常識を疑うことでもあり、考えることでもある。


自分の中で常識となっているものというのは、あえて考えることをしないため、見落としているものがあったりするもの。


しかも、重要なことを見落としてしまっていることも結構ある。


当たり前になっていることって、実は、盲点になっているんよね。


当たり前にあるがゆえに、気づけないものもある。


でも、疑えば、そこに意識が向き、気づく可能性が高まる。


以前の自分なら気づけなかったことでも、成長した自分なら気づけることもある。


何を正しく思うかなんてのは、曖昧なんよね。


だって、正しいことの根拠になるものが不安定だから。


時の流れによって、状況の変化によって、変わるものだから。


よって、正しくあることにこだわる必要はない。


なんせ、正しくあることに、唯一の答えはないから。


しょせん、自分がとらえる正しさといっても、自分に都合の良い正しさだから。


そんな正しさを大事にしていると、かえって、道を誤る。


表面的な正しい正しくないかは、さほど重要な要素ではない。


将来の自分をイメージしながら、何が正しいかを考え、その時正しいと感じたものをやれば良い。


それが、自分にとっては、一番良いものだから。


案外、そうなっている。



サコヤンの独り言

「何が正しいかなんて、曖昧なものだから頑なになる必要はない」