自分の人生をいくらなら売りますか。


自分の人生をどれほどのお金を積まれたら差し出すますか。


おそらく、即座にリアルな金額を答えることができる人はほとんどいないだろう。


答えることができる人は、よっぽどお金に困窮しているか、大切な人がいてその人にお金を残したいと強く思っている人であろう。


一度、考えてみて。


自分の人生をどの程度のお金を積まれたら差し出すのかを。


一億、千億、一兆、千兆、一体どれだけのお金だろうか。


ただ、どんなに多くのお金であろうと、ピンとこないもの。


自分の人生は、どんなに膨大なお金を積まれたからといって差し出すことはできない。


それほど、大事なものなんよね。


言い換えれば、自分が自分に対する評価というのは、膨大なお金以上のものがある。


他者が自分にどんな評価を下そうと、自分では、自分を高く評価しているもの。


なんせ、お金と自分の人生が釣り合うものではない、と認識しているから。


自分の人生というのは、自分にとっては、膨大なお金以上の価値があるものなんよね。


普段、ほとんど意識することはないが…


自分の命、自分の人生というのは、それだけで貴重な価値がある。


なのに、自分は、自分の命、自分の人生を貴重な価値があるものとしてとらえていない。


むしろ、価値がないもののように扱っている。


だって、自分を軽く扱っている場面は多々あるから。


自分を傷つけることは多いし、重要なことから逃げることも多々ある。


貴重な時間を無駄に使うことは多く、自分のエネルギーを無駄に使っていることも多い。


自分を否定することもあるし、自分を卑下することもある。


こういったことが平気でできることこそ、自分の命を軽んじている証。


自分の命を大切に扱っているのであれば、決して、できないこと。


自分の命、自分の人生が、膨大なお金以上の価値があることを自覚しているなら、できないこと。


できるようになっていること自体、そもそもおかしい。


ただ、おかしくなっていることに、自分では気づくことができなくなっている。


なぜなら、自分の命、自分の人生を軽んじることが当たり前となっているから。


自分の命、自分の人生を軽んじることしかできないほどに心が荒んでいるから。


日々、何も考えずに、自分を甘やかせることで、いつしか、自分の価値を見失ってしまっている。


本当なら、見失ってはいけないものなのに…


大切な命、大切な人生を大切と思えなくなる。


ものすごく悲しいこと。


では、どうして、大切なことを大切と思えなくなるのか。


それは、大切なことを当たり前なこととしてとらえてしまうから。


あることが当然ととらえ、あることを前提としてとらえてしまうから。


人って、当たり前に思うと、いくら大切なものでも大切なものと思えなくなってしまう。


だって、水の重要性、電気の重要性、ガスの重要性を普段意識しないものだから。


日常生活を送る上で、非常に重要なものであるにもかかわらず、重要なものという自覚がほとんどない。


最近は、電力不足が問題とされているため節電が注目を浴び、電気の必要性を自覚している人は多い。


だが、意識するようなキッカケがなければ、多くの人が電気の重要性を改めて認識していなかったはず。


大切なのは分かっているけど、あることが当然としていたから、考えることはなかった。


そんなものなんよね。


大切なことを大切にとらえるのって、最初の時期か、それを失いそうなピンチになった時。


途中は、ほとんど考えることがない。


なんせ、当たり前にあるものに、人は意識を向けないから。


ゆえに、自分の価値にも意識を向けない人が多い。


なぜなら、自分の命、自分の人生は当たり前にあり、当然のように続くものとしてとらえているから。


本来、当たり前にあるものなんて存在しない。


自分の身の周りにあるものは、決して、当たり前にあるものではない。


なのに、当たり前なものとしてとらえるから、心が荒んでしまう。


心が荒むのは、感謝の心が失われると共に謙虚な心が失われ、傲慢さが増すからであろう。


だから、必要以上に求めてしまうんよね。


例えば、何かを得ることで、自分を満たそうとする。


何かを得ることで、自分の価値を上げようとする。


何かを得ることで、人に比べ優位な立場になろうとする。


ただ、大切なものを軽く扱っている中で、何かを得ようとしても心の充足を得ることはない。


何を得ることになったとしても、それで満足することはない。


だって、人は、物では満足できないようになっているから。


物を得て嬉しいのは最初だけ。


嬉しい瞬間が過ぎたら、また、何かを得ようとしてしまう。


しかも、得たものを守ろうとするから、より一層ストレスが溜まっていく。


得たものを守りながら新たなものを得ようとする。


これでは、自分の心が落ち着くことはない。


重要なのは、大切なものを大切なものとしてとらえること。


自分の命、自分の人生が大切なものであると自覚すること。


これだけで、必要以上に物を求めなくなる。


心が充足するようになる。


そもそも、人は、つい、今の自分に加えようとしていく。


何かを得ることで、良くなろうとしていく。


だが、今の自分を価値あるものとしてとらえ、自分の価値を下げないようにすれば良いのではないのか。


何かを得ることで素晴らしくなるという考え方ではなく、今の自分が価値があり素晴らしいととらえることって、すごく大事なのではないか。


だって、自分の価値を下げないことを意識すると、自分に対するマイナスな言動を取らなくなるから。


自分を傷つけることも、逃げることも、卑下することもなくなる。


また、無駄な時間を使うことも、無駄なエネルギーを使うことも、マイナスな想いに支配されることもなくなる。


何かを得ようとして、より良くなろうという考え方は、ある意味、今の自分を認めていないことになる。


そして、今の自分を認めていない状態で何をしようと、心の充足は得られないもの。


不思議なことにそうなっている。


だから、自分の命は、価値あるものとして自分自身で自覚しなよ。


それが、素晴らしい人生につながっていくから。


案外、そんなもの。



サコヤンの独り言

「自分にとって、自分の命、自分の人生は、膨大なお金以上の価値があると自覚しよう」