被害妄想の度が強いと、人生が上手く回らなくなる。


なぜなら、何をするにしても、何かされるのではないか、何かあるのではないか、と警戒するから。


何もされないし、何もないにもかかわらず、警戒をする。


しかも、無意識の内に。


攻撃されることがないのに、しっかりと防御を固めても意味はない。


意味はないのに、被害妄想の度が強い人は、しっかりと防御を固めてしまう。


ゆえに、意味がない防御をすることによって、かえって、自分の身を危うくしている。


なんせ、進むことができるのに、進むことなく防御態勢を取っているんやから。


何もない時に自分を守る行動は、自分を守る行動とは言わない。


何か危険があるからこそ、守る意味が生じる。


ただ、日常生活において、危険な目に遭うことなんて滅多にない。


人生で考えても、片手で足りるであろう。


それほど、危険というのは、日常的にあるものではない。


稀にあるものなんよね。


なのに、被害妄想の度が強い人は、稀にある危険にいつも備えている。


いつも備えているから、些細なことにも敏感に反応してしまう。


特に、他人の言動には反応してしまう。


他人が、向こうで話をしているだけで、自分のことを悪く言っていたのではないか、と気になる人は多い。


胸の前に腕を組んでいるだけで、自分のことを警戒しているのではないか、ととらえる人も山ほどいる。


何か指摘されただけで、自分のことを嫌っているのではないか、と思う人もたくさんいる。


被害妄想の度が強い人ほど、自分に対する評価が気になるもの。


しかも、良く思われたいという想いが強いと同時に、悪く思われたくないという想いが強い。


おそらく、過去に、悪く思われるなどして心を傷つけた経験があるのだろう。


経験したことがあるからこそ、また経験したくない、という力が働く。


他人の言動が気になるのは、傷つく前に対処しようとしているから。


でも、何もかも反応していると、自分のことが何もできなくなる。


そのため、被害妄想の度が強い人は、他人の言動や動向を気にするばかりで、自分のことを疎かにしている。


自分のことをやるよりも、他人の言動や動向を気にして傷つかないようにすることを優先としている。


だから、自分自身は、さほど進展しないまま時が流れていくんよね。


他人の言動や動向を気にすることに多くの時間を費やしている。


自分の人生だというのに…


すごくもったいない。


本来、他人の言動や動向は、ほとんど気にする必要ないもの。


それでも気にするのは、自分の人生を、貴重な時間を無駄にしていると言っても過言ではない。


そもそも、芳しくないことは、気をつけていても起きる時は起きる。


ゆえに、日頃から、強く意識することではない。


日頃は軽く意識するだけで、放ったらかしでも良い。


何か事が起きた時に対処すれば良い。


じゃなきゃ、何もできなくなってしまう。


何かやりたいことがあっても、被害妄想が強いと、上手くいかないのではないか、何か変に思われるのではないか、といったことを考えてしまう。


こんなことを考えても、まったく意味がないのに…


上手くいかなかったらどうしようと考えるのではなく、やってみて上手くいかなかった時に初めて考える。


変に思われるのではないかと疑うのではなく、変に思われて初めて対処する。


それでOK


被害妄想の度が強い人ほど、事前に対処しようとする。


だが、事前に対処できるものなんて、あまりない。


事前に対処したと思っていても、やってみると、想定外のことが起きたりする。


事前に完璧に対処することなんて、できやしない。


そうとらえていた方が良い。


事前には完璧に対処できないからこそ、やりながら柔軟に対処していく。


この姿勢が大事。


けど、被害妄想の度が強い人ほど、この考えや姿勢を受け入れることができないもの。


なんたって、やるのであれば、完璧な準備をして何も起きないような状態にすることを望むから。


ただ、そんな状況は、どんなに準備をしてもなることはない。


だって、次から次へと、気になる点が出てくるから。


どんなに準備をしても、これで完璧ということにはならない。


そのため、準備が完璧ではない状況で前に進む必要がある。


もちろん、準備が完璧でない状況で前に進むのは、不安が伴うだろう。


でも、その不安の多くが取り越し苦労だったりする。


やってみるとどうってことなかった、と思うことはたくさんある。


やるまでの自分は、完璧に準備をしなければならない、という思い込みにとらわれていたんよね。


思い込みにとらわれていたから、完璧に準備をしなければならない、という考えが絶対的なものに感じていただけ。


しかし、やってみると、完璧でなくても良いことに気づく。


今のままでやって良いことに気づく。


やったところで、何かが起きるわけではないことに気づく。


被害妄想が強いからこそ、完璧を求めようとするが、何も完璧を求める必要はない。


被害妄想も、過度に抱く必要はない。


被害を被ったら、その時、考え対処すれば良い。


事前に、あれこれ考えることではない。


何をするにしても、大概のことは大丈夫なんやから。


とにかく、被害妄想は、強めれば強めるほど人生が上手く回らなくなるから、極力、手放した方が良い。


それが、自分のためになる。


案外、そんなもの。



サコヤンの独り言

「被害妄想を手放すと人生は好転していく」