自分のすべてを受け入れる。
ものすごく大事。
なぜなら、良い点も悪い点も合わせて自分が成り立っているから。
良い点だけ認めて、悪い点を認めなければ、自分を否定することにつながる。
良い点も自分の個性であれば、悪い点も自分の個性。
良い点だけが自分の個ではなく、悪い点も自分の個。
そして、良い点も悪い点も両方大事。
だが、多くの人は、自分の良い点ばかりを見ている。
自分の悪い点は、ほとんど意識しないようにしている。
自分はより良くありたい、という想いがあるために悪い点を認めたがらない。
悪い点を認めることが、自分を下げるような気がして…
だから、良い点だけしか認めることができていない人は山ほどいる。
ただ、良い点だけを認めると、どうしてもバランスが崩れてしまうもの。
バランスが崩れると、自分が取る行動にも支障が出る。
なんせ、出る結果も、良い結果だけを望むようになるから。
期待するようになるから。
しかも、いき過ぎると、良い結果しか出してはいけない、と思い込んでしまう。
良い結果しか出してはいけない、という思い込みは重いプレッシャーとなる。
自分の力量が上回っている場合なら、良い結果を出す自信はある。
だが、いつも自分の力量が上回っているものばかりやれるものではない。
次第に、自分の力量と同程度のものや、上回るものをやる機会が増えてくる。
なのに、良い結果を出さなければならない、と思い込んでいるとやれるものもやれなくなる。
重いプレッシャーに押しつぶされて、行動どころではなくなってくる。
変なプレッシャーは、自分の行動の選択肢を制限してしまう。
ゆえに、できることなら、プレッシャーは感じない方が良い。
そして、この場合でのプレッシャーの原因は、自分の心にある。
自分の良い点しか認めることができていない、認めようとしていない心にある。
それが、良い結果を出さなければならない、という想いを生み出し、プレッシャーを感じるようになっているんやから。
これを、良い点も悪い点も両方ちゃんと受け入れると、事態は変わってくる。
なんたって、自分の悪い点を受け入れると、これから起きる結果をあらかじめ受け入れることができるから。
良い結果であろうと、悪い結果であろうと。
どちらか一方だけに固執することはなくなる。
すると、行動そのものを気楽に取れるようになる。
だって、どんな結果を出しても受け入れる姿勢が取れているから。
良い結果だけが良くて、悪い結果はアカンというのは、自分のエゴなんよね。
良い結果を出すのも自分だし、悪い結果を出すのも自分であって、そこに良い悪いはない。
出た結果に良い悪いがあるのではなく、出た結果に対して自分が評価することによって良い悪いが生まれる。
しかも、この評価は、今までの自分の評価基準に基づいてされている。
おそらく、損得勘定に基づいて評価が下されているだろう。
出た結果が得したと感じたものであれば良い評価が下り、損したと感じたものには悪い評価が下っているはず。
単純に、損得勘定で判断してしまうから、良い悪いが簡単に生まれてしまう。
もちろん、物事を損得勘定でとらえることを自然に学ぶため、仕方ないと言えば仕方ない。
けど、損得勘定で生きている限り、必ずといって、良い悪いが生まれる。
どんなことでも、良い悪いでとらえようとする。
物事は、そんな簡単に良い悪いを決めることができるものではないのに…
良いと感じたものであっても、時が経過することによって悪いものに変わることもある。
悪いと感じたものであっても、時が経過することによって良いものに変わることもある。
一概に、良い悪いを決めることができるものではない。
だったら、最初から、良い悪いを決めなければ良い。
そのためにも、損得勘定の基準を手放せば良い。
そもそも、良い悪いなんて、あらかじめ存在しているものではないんやから。
良い悪いではなく、あるがままを受け入れる。
この姿勢が大事。
すると、自分自身を良い悪いではなく、良い点も悪い点もOKとしてとらえることができる。
自分自身の良い点も悪い点も両方OKとすると、これから出るどんな結果も素直に受け入れることができるようになる。
なぜなら、芳しくない結果が悪い、という概念がなくなるから。
どんな結果を出しても、それはそれで良い、ととらえることができるようになる。
悪いからアカンということでは決してない。
悪かったなら悪かったなりに真摯に受け止め、その結果を次に活かせば良いだけ。
芳しくない結果を悪いと決めつけるから、かえって、余計悪くなる。
自分に起きることで、悪いことなんて一つもない。
どんなことにも意味があり、どんなことにも価値がある。
だから、どんなことが起きても大丈夫なんやで。
どんなことが起きても大丈夫だから、どんなことをやっても大丈夫なんやで。
それが真実。
自分にとって良い点も悪い点も両方大事。
なのに、良い点しか認めることができなくなることで、良い結果を出す自分しか認めることができなくなってしまっているんよね。
自分の良い点も悪い点も両方受け入れ認めることができるようになると、良い結果を出す自分も悪い結果を出す自分も両方受け入れ認めることができるようになる。
本来は、どんな結果を出そうと、それはそれで良いんよね。
案外、そうなっている。
何も、難しく考える必要はないんやで…
サコヤンの独り言
「自分の良い点も悪い点も認めることで、良い結果を出す自分も悪い結果を出す自分も認めることができるようになる」