人が喜ぶことをやるのは、本来当たり前なこと。


なんせ、人は、支え合いながら、助け合いながら生きていくものだから。


各々がやれることで相手の役に立つ。


各々がやれることで相手のために動く。


各々がやれることで相手の力になる。


ごくごく当たり前なこと。


人として基本的なこと。


何ら特別なことではない。


だから、人が喜ぶことをやるにおいて、難しく考える必要はない。


当たり前なことだから当たり前にやる。


その姿勢と意識で取り組めばそれでOK


すると、軽い気持ちで実際にやることができ、実際に喜んでもらえる。


それを特別にとらえたり、難しく考えたりするから、ためらってしまうもの。


当たり前にやることとしてとらえるか、特別なものととらえるかによって、取り組む雰囲気は全然違ってくる。


当たり前にやるととらえていれば、軽やかに取り組むことができる。


特別なことととらえていると、重々しい雰囲気に包まれる。


だから、人が喜ぶことにつながることなら、手段がどうであれ当たり前にやることとしてとらえた方が良い。


当たり前にやることとして、堂々とやれば良い。


それが相手のためにもなるから。


いくら相手に喜んでもらおうと思っても、自分自身の雰囲気が重かったら、相手も素直に受け取りにくい。


かえって、相手に気を使わせてしまう。


人に喜んでもらう際には、相手に気を使わせない配慮が必要となるんよね。


ゆえに、自分自身の気持ちを整える必要がある。


気持ちを整えた上で、人が喜ぶことをやる。


その余裕がものすごく大事。


そして、この余裕が、当たり前なことを当たり前にやる心を育み続ける。


しかも、当たり前なことを当たり前にやる心を忘れさせないようにする。


そもそも、自分に余裕がなければ、誰かの役に立つことはできない。


誰かに喜んでもらうことはできない。


誰かの力になることはできない。


余裕がない状態で、誰かのために動くと、かえって、迷惑をかけることにもなりうる。


そのため、まずは、自分の心を整えることが大事。


心が整い、余裕があるからこそ、人が喜ぶことを当たり前にやれるもの。


こう考えると、心が乱れ、余裕がなかったから、人が喜ぶことを当たり前にやれなかったんやね。


なんたって、心が乱れ、余裕がない状態では、普段なら当たり前なことであっても、特別なことのように感じてしまうから。


特別なことのように感じ、難しいもののようにとらえてしまう。


一度、難しいととらえると、難しいことをやるよう体勢を整えてしまう。


難しいと決め込んで、慎重にやるようになる。


心が乱れていなければ、当たり前なこととして、当たり前にやれるというのに…


ただ、人は、生きている内に、生き方が少しずつズレていくようになっていくもの。


何か些細なことがあるだけで、そちらの方に引っ張られる。


人の心は繊細なんよね。


嬉しいことがあれば、嬉しい方向に意識が向き、嫌なことがあれば嫌な方向に意識が向く。


プラスの方向に進めば、プラスを積み重ねることになり、プラスにズレていく。


マイナスの方向に進めば、マイナスを積み重ねることになり、マイナスにズレていく。


知らず知らずの内に、自分の心が方向を決めているもの。


そして、当たり前にとらえてやるのか、特別なものとしてとらえてやるのかでは、進む方向が異なってしまいがち。


当たり前にとらえてやるとプラスの方向に進みやすく、特別なものとしてとらえてやるとマイナスな方向に進みやすい。


なぜなら、当たり前にとらえるとすぐ行動に移るものだが、特別なものとしてとらえると警戒して行動に移りにくいものだから。


どうとらえるかが、行動に大きな影響を与える。


もちろん、実際に行動に移す人の方が、プラスの方向に進みやすい。


今に留まっていても、プラスなことは得られない。


人生全体を通して見ると、行動する人の方が、多くを得ている。


そして、多くを得るまでに、失敗もたくさんあるし、傷ついた経験もある。


そういうのも含めて、様々なことを得ている。


行動の積み重ねが得ることにつながっている。


行動って、ものすごく重要なんよね。


行動がすべてを決めると言っても過言ではない。


そこで、実際に行動をやれるかどうかは、心の状態によって大きく左右する。


当たり前なことを当たり前にとらえ、当たり前にやる心を保っているかどうかがすごく大事。


この心を保っていれば、それに応じて意識や姿勢も保つことができる。


こうして、自分の内部を整えることで、人が喜ぶことを当たり前にやれるようになるんよね。


心を整え、当たり前なことを当たり前にやる。


人が喜ぶことをやるのを当たり前なこととして、実際に喜んでもらう。


ものすごく基本的なことだが、ものすごく重要なこと。


重要なことなのだが、いつしか、やれなくなってしまいがち。


日々を生きる中で、疎かに扱ってしまって…


これは、心が乱れている証なんよね。


心の状態が、行動に現れる。


心が整っていれば、当たり前なことを当たり前にやれるもの。


心が乱れていれば、当たり前なことを当たり前にやれないもの。


チョットしたズレが、大きな差となって現れる。


ゆえに、当たり前なことを当たり前にとらえ当たり前にやる、その心を保ち続ける意識を持つことが大事なんよね。


これさえ意識していたら、いつだって、当たり前なことを当たり前にやれるもの。


しかも、当たり前なことを当たり前にやることを積み重ねていると、高い確率で成長し続けることができる。


案外、そんなものなんよね。



サコヤンの独り言

「当たり前なことを当たり前にやる心を育もう」