恥じらいは、人の目を意識することで生まれる。


人の目に映る自分がどのように映るか、この想いが恥じらいの元になっている。


なぜなら、人には欲があり、人から高く見られることを望む傾向があるから。


そして、高く見られるのを望むことから、その反対の低く見られることを嫌う。


自分が思っている以上に、低く見られた時に、自尊心を傷つけられた時などに、恥じらいを感じることが多い。


例えば、何かで失敗をして、笑われた場合や、蔑まれた目で見られた場合など。


自分がする失敗は、案外、自分では何とも思っていない。


まだ次がある、また再チャレンジしたら良い。


といったように、意外と、気持ちを切り換えて臨むことができる。


だが、自分の失敗に対して、人から散々な評価を受けるとそうではない。


しかも、多くの人がやれていることを失敗した時なんかは、中々、切り換えて、前に進むことができなかったりする。


人から変に思われているのではないか。


無能なレッテルを貼られているのではないか。


といったことを想い、恥じらいで心が一杯になる。


すると、より人の目を気にして、恥じらう度合いが高まっていく。


こうなれば、結果もあまりついてこなくなっちゃう。


だって、目の前のことに集中することよりも、人の目を意識してしまうから。


ある程度の恥じらいを持つことは大切だが、それが極度になると、自分にとって大きなマイナスとなる。


たかが恥じらい。


されど恥じらい。


多くの人は、育つ過程で、何かしら恥ずかしい経験をするもの。


そして、その恥ずかしい経験が、よっぽどインパクトがあれば、それ以降、恥じらうことをできる限り避けようとする。


極力、皆と同じであろうとする。


なんせ、皆と同じであれば、恥じらいをほとんど感じずに済むから。


皆と同じであれば、皆と同化し、目立つことが少なくて済むんよね。


目立たなければ、人の視線や、人の目が自分に集中することはなくなる。


これは、恥じらいを感じなくて済む、自分を守る一つの方法なんよね。


人と違うことをするから、人の視線が自分に集まり、人の目を気にするようになり、人からどう映っているのかを気にするようになる。


これが、恥じらいにつながっていく。


過去、恥ずかしい経験をした人は、再び、同じ経験をしたくない想いが強まるため、人と異なる行動を避けるようになる。


だが、こうしたことが、自分の成長を妨げる要因の一つにもなっちゃうんよね。


だって、自分を成長させるためには、時には、人と異なる行動をする必要があるから。


恥じらうのが嫌で、人と異なる行動を避けていては、人と異なる行動の中に含まれている成長できる機会を失うことにもなる。


恥じらいは感じたくないが、成長はしたい。


こんな想いを抱くことも、大いにあり得る。


では、こういう時どうしたら良いのか。


それは、人から映る自分がどうなっているのか考えるのを止めること。


人の目を気にしなくなれば、恥じらいもなくなり、堂々と人と異なる行動をすることができるようになる。


人からどう思われようと、構わない。


と開き直ると、人の視線が気にならなくなる。


そのためにも、生きる上での視点を、自分中心から、他者の喜び中心に切り換えることをお薦めする。


そもそも、恥じらいというのは、自分のことばかりを考え、自分のことばかりを優先しているから生じるもの。


格好悪いのは嫌。


皆と違うのは嫌。


下に見られるのは嫌。


こんな想いを根底に抱いているがゆえに、この想いが形として現われている。


だが、発想を変えて、格好悪くても、相手のためになれば良い。


皆と違うことをすることになっても、誰かのためになれば良い。


下に見られても、相手のためになれば良い。


といった視点でとらえると、恥じらいという感情は、さほど抱かなくなる。


それよりも、相手の喜びの方が優先されるもの。


相手のことを真剣に考えれば考えるほど、恥じらいという感情は弱くなる。


そういう性質を持っている。


だから、恥じらいを抱きそうだから、という理由でためらっている時には、自分中心で考えてはいないかを、少し意識してみること。


仮に、自分中心に考えているのなら、他者の喜びに意識をシフトしてみよう。


それだけで、恥じらいの感情は薄れて、よりやりやすくなるから。


過去に、強い恥じらいを抱いた人ほど、恥じらうことを嫌う傾向があり、自分のブレーキになっていることは多い。


だが、そんなのは、どうってことない。


だって、自分を守るために、自分のことばかりを考えていただけだから。


それを、他者が喜ぶように少し意識をシフトすれば良いだけだから。


何も、いつまでも、過去と同じやり方で自分を守る必要はない。


環境が変わり、時代が変わると、自分を守る術も変わっていくんやから。


時には、記憶の修正をしなよ。


過去に抱いた記憶のままでは、対応できないことは多々あるんやから。


過去の記憶を修正すれば、修正された記憶を基に、これからを生きることができる。


過去の自分と、今の自分では、能力にもできることにも違いがあるんやから、過去に抱いた記憶を修正することは大事な作業なんやで。


そのことを意識しながら、時には、自分と向き合う時間を取りなよ。


なんたって、自分と向き合わなければ、記憶の修正なんてできるものではないから。


だが、ちゃんと、記憶を修正すると、これからの人生に活きてくることはまちがいない。


すべては、自分のためでもあるんやで。



サコヤンの独り言

「人を意識することを止めて、どう思われても構わない、と開き直ろう」