人との距離を縮めるためには、自分から動くっきゃない。
なぜなら、相手の方から縮めてくることはほとんどないから。
よっぽど、自分に光るものがなければ・・・
ゆえに、向こうからやってくるのを待っていたところで、いつになるかなんて分かりはしない。
最悪、どんなに待っていようと、向こうからやってこないことは大いに考えられる。
だったら、自ら動くっきゃない。
それしか、方法はないんやから。
もちろん、距離を縮めようとして、かえって、距離が離れることもある。
必ずしも、縮まるとは限らない。
だからこそ、躊躇してしまうんよね。
距離が離れることを怖れて・・・
距離は縮めたいけど、離れるのは嫌。
欲しいものは欲しいけど、失うのは嫌。
自分勝手極まりない。
なぜなら、何かを得るには、それなりの代償がいるものだから。
何も代償を支払うことなく、何かを得ることなんて滅多にない。
それが、自然の原則。
そもそも、人は人との間に生きていく生き物だから、人間関係を築いていくのは必須の能力。
これなしでは、生きてはいけない。
だが、これが、一筋縄ではいかない。
なんせ、人の悩みの多くが、人間関係によって生まれるものだから。
その証拠に、人間関係に悩み、鬱になる人が増えているしね。
そして、人間関係に悩みがある人の多くが、人との間の距離感を上手くつかめずにいる。
お互いの距離を縮める方法を分からずにいる。
一方的に我慢をするようになっている。
バランスの悪い距離感は、不協和音を生じさせる。
ゆえに、どんな距離感を築くかは、非常に大事なことなんよね。
人との間で生きる上では。
ただ、近すぎず遠すぎずでは、人間味に欠ける。
とはいえ、遠すぎると、何かと不便。
かといって、近すぎると、馴れ馴れしくなるし、うっとうしくなることもある。
だから、チョット近いくらいが理想的なのかもしれない。
職場の人との距離は・・・
そもそも、人は、無意識の内に、人との距離を測っている。
自分も相手も距離を測っているからこそ、中々、距離は縮まらないもの。
なんせ、お互いが牽制をし続けているから。
これでは、いつまで経っても、距離は縮まらない。
だから、自分から動く必要があるんやで。
自分が動けば、何らかの変化が生じ、距離が縮まるキッカケとなるから。
動かなければ一向に距離は変わらないが、動きさえすれば距離は変わるもの。
案外、そうなっているんやで。
ゆえに、自ら動きなよ。
人との距離を縮めようと思っているのなら・・・
好きな人であれ、上司であれ、後輩であれ、苦手な人であれ、どんな人であっても、お互いの距離は縮めた方が良い。
だって、縮めた方が、自分にとって良いことが多いから。
そのため、どうやったらお互いの距離を縮めることができるのかを普段から、意識して過ごしなよ。
そして、特に意識することは、相手が何をすれば喜んでくれるか。
上司は、何をすれば喜んでくれるのか。
後輩は、何をすれば喜んでくれるのか。
友達は、何をすれば喜んでくれるのか。
とはいえ、必ずしも特別なことをする必要はない。
なんたって、人は、些細なことでも喜びを感じることができるから。
確かに、特別なことはインパクトがあって相手に強く残る。
だが、些細なことを続けていると、ボディーブローのようにジワジワ効いてくる。
これで、エェんやで。
インパクトが強ければ、近づくのも早いが、離れるのも早い。
でも、ジワジワ近づいていけば、離れるのにも時間がかかる。
どちらが良いかは、時と場合によって異なるが、ジワジワ近づいた方が本物の関係を築くことができるのは、まちがいないだろう。
ジワジワ人との距離を縮めるために何をしますか。
ジワジワ人との距離を縮めるためにどんなアイディアを考えますか。
一度、考えてみることをお勧めします。
きっと、今後の自分の人生に活きてくるので・・・
僕なら、身近の人であれば、意識して名前を呼ぶこと、ちゃんと挨拶をすることを心がけるだろう。
身近の人でない場合は、時々、連絡をして、近況を報告することを意識するだろう。
何も特別なことをする必要はない。
自分が嬉しく感じることを、人にしたら良い。
これだけで、お互いの距離は少しずつ縮まるものだから。
自分から動けば、お互いの距離は変わっていくもの。
最初は、自分も相手もとまどうかもしれない。
慣れていなくて・・・
だが、それも時間の問題。
慣れてくれば、変わった距離が当たり前となる。
ゆえに、人との距離は、縮めるよう意識し、ちゃんと動きなよ。
そうやって過ごしていれば、高い確率で、良い人間関係が築けるようになるものだから。
案外、そんなものなんやで。
サコヤンの独り言
「人との距離の縮め方が上手い人は良い人間関係を築いている」