自分のことを周りの人は、細かく見てはいないもの。
残念ながら、これが事実。
だが、この事実を信じることができなくて、自分のことを人はちゃんと見てくれている、と思い込んでしまうんよね。
おそらく、「自分だけは特別」という想いをどこかに抱いているのだろう。
でも、実際のところ、自分のことを人は細かく見てくれていない。
なんせ、現に、自分だって、他の人を細かく見ていないものだから。
見ているようで見ていない。
意識を向けているようで、ぼんやりとしか意識を向けていない。
それが現実。
だって、予定を合わせ、一緒に遊んだ友達であっても、家に帰ってからその人のファッションを頭からつま先まで正確に答えることはできないから。
どんなに、長い時間いたとしても、答えられるものではない。
だって、意識して見ていないから。
いや、意識して見る必要がないと思っているから。
案外、そんなものなんちゃうかなぁ・・・
人は、自分のことになると一生懸命考えたり、意識したりするのだが、他の人のこととなると結構アバウトにしかとらえていない。
また、自分のこととなると、悩んだり、気にしたりするのだが、他の人のこととなると、結構どうでもよくなる。
人には、そんな性質がある。
例えを挙げると分かりやすいのかな・・・
例えば、自分の顔に「にきび」ができたとする。
「にきび」ができた当の本人にとっては一大事。
特に、女性であれば・・・
だが、当の本人にとっては一大事なことであっても、周りにいる人にとってはどうでもいいこと。
きっと、多くの人が、その「にきび」を意識して見ているわけではない。
見たとしても、最初の一瞬。
会ってから、バイバイするまでずっと「にきび」に焦点を当てる人なんて皆無。
なんたって、「にきび」というのは、顔にできたとしても、顔からすると小さすぎて焦点を当てるものではないし、意識し続けるものではないから。
だって、それを見る側にとっては、「にきび」は重要なものではないから。
どうしても、双方にとって、温度差があるんよね。
しかも、かなりの開きがある。
人は、自分のこととなると、小さなことでも重要なことのように思い込む。
だが、周りからすれば重要ではないことなんてたくさんある。
そして、この事実を受け入れることは、ものすごく大事。
なぜなら、この事実を受け入れることができない場合、自分のことを責めることにつながってしまうから。
さっきの「にきび」を例にしてみると、「にきび」があるから人前に出たくない、「にきび」がある顔を人に見せることが恥ずかしい、といったように思うことだってある。
でも、周りの人は、まったくといって意識していないのにも関わらず・・・
そもそも、自分のことを、人はちゃんと見ている、と思えば思うほど、些細なことをオーバーにとらえてしまうもの。
しかも、自分を責め、自分を否定し、悪循環に陥ることにも・・・
こんな生き方って、結構しんどいんよね。
だって、いつも何かに怯え、何かを心配しているんやから。
息が休まる暇がない。
こうして生きて、幸せになる人がどれほどいるだろうか。
おそらく、ほとんどいないだろう。
なんせ、自分で不幸を探し、不幸の中で生きているから。
だが、自分のことを、人はほとんど意識して見ていない、と理解すると、ものすごく心が楽になる。
なんたって、人を意識して行動する必要がなくなるから。
どんなことでも自分の自由にやることができる。
現に、自分のことを、人はほとんど意識して見てはいないもの。
自分のことをよく考えてみると、それがよく分かる。
普段、自分はどれだけ人を意識しているのかを考えると、ほとんど意識していないことに気づくもの。
他の人も、自分も同じ人間であって、考えることにそう差はない。
自分が他の人のことを強く意識しないのであれば、他の人も自分のことを強く意識しないことが簡単に予測できる。
ただ、自分は自分として、自分の人生を生きているから、自分を特別なものと思い込みたいのは分かる。
だが、そう思っているのは、皆同じなんやで。
皆が皆自分のことを特別だと思っている。
それはそれで良い。
だって、誰もが、自分を一番重要なものとしてとらえているから。
ただ、自分が自分を思う気持ちと、人が自分のことを思う気持ちはイコールではない。
むしろ、大きな開きがあって当たり前。
でも、これを認めることが大事。
すると、自分のことを人はそないに意識して見ていないことが分かるから。
人に見られているようで、実は、ほとんど見られていないことを自覚すると、心がすごく軽くなる。
これによって、人生がものすごく歩みやすくなる。
案外、そんなものなんやで。
とにかく、自分のことを人は、アバウトにしかとらえていなかったりする。
ゆえに、人を過剰に意識する必要はないんやで。
なんせ、そんなことをしても、ほとんど意味がないから。
何はともあれ、できる限り、自分の自由に動きなよ。
人にとらわれることなく・・・
それが、自分のためになることだから。
サコヤンの独り言
「人に意識して見られているように感じるのは錯覚で、案外、自分のことを人は意識して見ていないもの」